大橋院長の為になるブログ

2023.01.16更新

 <僕のおもいだすこと> 大橋信昭
 僕の最初に(もっとも古い)記憶は、蒸気機関車のトンネルの中であった。黒い木炭がガラスの隙間から入ってきて、とても不愉快であった。これは、長崎市から大垣市へ向かう汽車の中であった。母からも父からも、僕は長崎で生まれだと言われ事実だろう。生まれて何才だろう?僕はすぐに寝てしまった。父は大垣市生まれ、先天的に極道体質があり、横着で手が付けられなくて、両親の言うことは全く聞かず、友とは喧嘩ばかりをし,時効だが、学校帰りの弱い生徒からかつあげでお金をふんだくるし、故内田先生もやられたらしく、僕にかなり文句を言った。隣の農作物はかっぱらってくるし、犯罪すれすれのことをする少年と、警察、隣近所は警戒していたらしい。家が貧乏で、昼ご飯に梅干し一つの日の丸弁当は、誰にも見られたくなく、わざわざ自宅に帰っていたらしい。父の悪はひどくなり、典型的な不良少年になり、暴力団の親分、組員が友だちであった。父は兄が兵隊になり、格好のいい軍服を着ているものだから、嫉妬して、おじいさんの印鑑を盗み出し、少年突撃隊に入ったそうである。任務はアメリカ軍を見たら、手りゅう弾一つで体当たりすることであった。これを聞いたお爺さんは、父を相当ぶん殴ったが、家出をしたらしい。やがて、敗戦、この事実に腹を立て、まだ日本は勝つと主張し、友達と夜に日本の芸者と戯れ歩いている、アメリカ兵に大量の石を投げこんだらしい。・どう見ても、このままでは、刑務所行きだから、電車に飛び乗り全国行脚したらしい。どこへ勤めても上司には反抗し、すぐに解雇、逃走し気が付いたら日本の西のさいはて、長崎市にたどり着いた。父の才能はすばらしく、あっという間にパチンコ屋を大繁盛し、22歳で一戸建ての日本家屋に住むようになったらしい。そのパチンコ屋のすぐそばの薬局に母が働いていた。病気とは縁の無い父は、母にデートを強制したらしい。母の身内は全く知らないうちにも結婚式もしていないのに、僕が生まれた。詳細は知る由もない。母の両親、親戚が猛烈に激怒したが、僕が二人の最初の子供であることは、明らかである。父は大垣に帰ると決意し、始発列車で、僕と身の回りの物ひとつ持った母は大垣へ駆け落ちである。
僕が気が付いたのは、5歳頃だろうか?スマートボールが周りにいっぱいあった。なんだか父と母は深刻に話していた。この僕の将来を考えても、少しはかたぎの商売をしないとよくない!気が付いたらいつの間にか、ガソリンスタンド経営を両親はしていた。このスピード変わりは、僕は幼すぎてわからない。当時、車に乗る人は極めて少なく、身分の高い人が多く、商売は大繁盛、あっという間に鉄骨鉄筋のビルができていた。忙しかった。しかし、母は私に父に聞こえぬように、将来は医師になれと何回もささやいた。その頃の僕は野球に夢中で、王選手や長嶋選手のようなプロ野球選手を夢見ていた。しかし、中学に進学し、野球部に入れば、補欠ばかりだし、試合には出してもらえないし、母の医師になれが僕の夢の100%となった。幸い、勉強は良くできた。1年生から中学3年生まで、クラス委員にばれたし、生徒会の執行部にも当選した。成績はクラストップを続行し、中学3年生の高校進学の時に、母が岐阜高校に行きなさいと言った。大垣北高校は直ぐ傍にあったが、岐阜市まで国鉄に乗って、西野町まで市電に乗り換え、大変な通学をすることになった。母の医師になれという命令は頻回となった。僕はいつも成績が良く優等生と思っていたら、岐阜高校生になったら、平凡などこにでもいる先生も気が付かない存在になった。進学相談の時に、担任の先生と母と僕の医学部進学は一笑に片づけられた。成績がとんでもなく足らなかった。帰りの母は「お前は絶対に医師になれ!」といった。僕はいつもテレビ番組の「柔道一直線」を見て「医学一直戦」に、置き換え、不眠不休で勉強した。成績は急上昇し、3年生の担任の先生も、受験を許可してくれた。今度は怖い父に「僕はガソリンスタンドを後継ぐ気はなく、医師になります」と勇気を出していった。「医学部に入れるのか?」「頑張ってみる」すると父は鬼のような顔になり2時間説教された。「これまでのお前の甘い18年間、俺は親から一銭ももらわずにここまで来た。頑張ってみるとは何事だ!入りますとはっきりいわんかい!」僕は恐怖に震えていた。もし、医学部を受けて失敗したら、父に殺されると思った。医学部受験一日目は父に殺される夢が出てきて徹夜で受験に臨んだ。しかし、よく解答が進み残りの日も順調で”受かった“と予感がした。合格発表は、なぜかわが大学は深夜0時に発表で、僕は怖くて母と妹に結果を知らせるように頼んだ。深夜0時には電話がかかってこない,1時も合格の電話はない。深夜2時に母と妹がうれしそうに「合格よ」と、電話は大渋滞、家で直接言ってくれた。何故か父は家の外に出て「合格したんだな。いいかげんな医師になると承知しないぞ!」僕の顔も見てくれなかった。あーこれで、母の医師になれの命令は達成し、父に殺されないことが分かった。疲れて2-3日、布団の中にいた。(終わり)

投稿者: 大橋医院

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