大橋院長の為になるブログ

2022.05.30更新

<今日一日一日>        大橋信昭
小生のような高齢者になると、余生幾日か分からないから、一日一日を大切にせねばいけない。外来患者さんは,小生にとって宝物である。この外来患者さんには、悪戦苦闘するのである。
1) 大会社の部長である。高血圧で通院しているが、ブルドッグが怒り心頭に達した顔をいつもしている。「血圧の薬が欲しいだけだ!」と、事務員を睨みつけると、さすが当院の職員「先生に診察してもらいます」しぶしぶ、小生の前に現れる。腕を面倒くさそうに出して、血圧値を測定し、」心音、肺音、腹部触診して、処方箋を書く。何のお礼もなく、不愛想に出ていく。ある日,その患者さんは突然,烈火のように怒り出し、立ち上がり、当院を出ようとした。「何か、ご無礼をしましたか」と聞くと、「マスクをきちんとはめない医師の診察は受けない!」と怒鳴られた。何人か診察しているうちに、小生のマスクが下顎まで垂れ下がっていた。もう二度と、来院してくれないと想ったら定期的に診察に来る。小生とブルドッグの間には会話はないし、不気味な静寂が残るだけである。
2) 89歳のお爺さんだが、亀背が著しく、声は大きく、「私は子供のころに、腎臓を傷めまして、それから腎臓が弱くて!」鼓膜が響く。高血圧症と89歳であるから腎機能は低下している。
「腎臓が少し悪く、血圧が高めだから、塩分を控えるように!」というと、お爺さんは、うれしそうに「やはり、腎臓が悪いですか?腎臓がね!」腎臓が悪くて大喜びである。腎臓!腎臓!と何回も奇声を発し当院を出た。
3) その男の目はいつも血走っていた。そして、大東亜戦争で経験した苦労話を、来院するたびに、長い演説を聞かねばならないのである。天皇陛下がすぐ傍にいるようである。では、諸君も彼の話を聞こう。「その時は、日本列島の最南端は、米粒のように見えた。私は、これから、ラバウルへ派遣されるが、日本を見られるのもこれが最後かと思うと、涙を隠せなかった。船といっても、お粗末なもので、船底にマルタン棒が壁に何列かくくってあり、マルタン棒にまたがって、用を足すのである。一つ間違えば海の激流に攫われる。船室も、寝る茣蓙、リュックサックが自分の大切な空間である。かなりの仲間が船酔いに苦しむ幾夜を過ごし、ラバウルへ到着した。鉄砲を持っているから、戦争に参加すると、思っていたら、畑づくりである。食料は、自給である。戦局は、すでに日本に不利で、連合軍に取り囲まれ、敵の鉄炮を避けながら、畑の収穫物藻食い尽くし、ネズミ、昆虫で飢えをしのいだ。敗戦の玉音放送を聞いたのも、間もなくであった。誰も生きて日本に帰りたい兵隊はいない。玉砕だという。私は,少尉であったので、本土から帰国船がもうくるから、無駄に命を落とすなと部下を殴り飛ばした。敗戦は惨めなもので、生き残った兵隊は、大粒の涙であった。まだ日本は負けていない、これから大和魂で連合軍に逆転勝利だなんていうやつがいたら、叱り飛ばせねばいけない。もう二度と逢えない祖国が、大きく見えたとき、軍隊は解散で、それぞれの人生に分かれた。大橋先生!男は鉄砲の中を潜り抜けて、初めて男になれる。君もそれぐらい頑張れ!」いやだよ!戦争、鉄砲と聞いただけで、平和の中に育った私は身震いがする。この元少尉の話は感動ものだが、会うたび、3回以上聞くと、我慢一筋である。いかに話を中断するかが一苦労である。
4) 或るこぎれいな女性だが、私に色っぽく、「くも膜下出血」をしましてね、薬は今先生からいただいていますが、交通事故で肝臓破裂を起こしましてね、輸血をたくさんやりまして、大変でしたと色っぽい視線を流す。それだけ大病で、美人で不可能だが、愛人に囲いたくなる女性も珍しい。

ほんの4症例を報告したが、当院には、院長に似ておかしな患者さんが多い。しかし、一人一人大切な宝であり、これからも長くお付き合い願いたい。(完)

 

投稿者: 大橋医院

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