大橋院長の為になるブログ

2022.04.30更新

  私が17歳の時、中間試験も終わったし、昔の大垣の東宝映画館へ向かった。客は閑散としており、上映されていた映画は“どですかでん”(原作:季節のない街;山本周五郎)」

私はこの映画の魅力にかなり、引き付けられた。黒澤明ちう監督はどういう人であろう?しかし、当時、ヴィデオもDVDもないから、リバイバルで黒澤の作品を待つしかなかった。私は、

原作者の山本周五郎も気になっており、半谷へ行くと、彼の作品は2段と単行本で売っていた。どれが候補になったか、知らないが”芥川賞を断ったそうだ”どんな作家もこの賞のために、文壇デビューを図るのに、彼は淡々と、日本の侍とはのテーマで書き続けた。どこの本屋にも山本周五郎の作品は置いてある。亡くなって何年たつであろう?

 20歳の時に黒澤明作品”羅生門”が上映された。僕は黒澤明と盗賊演ずる三船敏郎のファンになってしまった。芥川龍之介の”藪の中”と”羅生門”を合作したものであった。映画館は客は全く入っていないが、黒沢のこの作品は1951年度国際グランプリに輝いた。「もう俺はいい加減な作品は書けなくなった」といった。

 ここで黒澤が監督になったとき以来の彼の作品を述べる。私なりの感想を書く。姿四郎;1943年、2;一番美しく(戦時下,女工が軍の弾圧の下で、黙々と、軍需製品を作るのを強制される映画である。そんな中にも、彼女たちは僅かな青春を捜していたのだ。黒澤明は、

女工役の女性と結婚している。3,続、姿三四郎:1945年3月であり、日本軍のチェックが機微すぎ、面白くない。4,虎の尾を踏む男達、戦後、黒沢は初めて弾圧なしに映画を作った。ミュージカルで、榎本健一(エノケン)も出演しており、内容は勧心帳であり、やっと黒沢の世界が回ってきた。4、素晴らしき㈰:1947年、学生運動の初期であろうか、理解不能、5、酔いどれ天使、1948年、

一時、東宝を解雇されかけた三船敏郎を黒沢が主役に抜擢した。当時彼は、町のチンピラとして恐れられていた。しかし、町の頑固な老人医師に結核を診断され、養生を進める。全くやくざに徹していた

松永(三船)は、ついに賭場で喀血する。真田医師(志村喬)の献身的な努力にもかかわらず死んでいった松永を、真田は本当に悲しんでいた。当時、三舟扮するやくざ姿がかっこよすぎて新宿では三船のことを組員は兄貴と尊敬した。6、静かなる決闘:面白くないし、鑑賞すると気分が悪くなる。7、野良犬:1949年、ピストルをバスのなかで刷られた村上刑事は、佐藤啓二と犯人を追うが、そのピストルで次々と連続殺人事件が起きる。相当の苦労の末、犯人を沼地に追い詰めた。左腕を村上は打たれたが、犯人にしがみつきやっと手錠をかける。8、醜聞、面白くない、9、羅生門、1950年、荒れる京都の町で、坊さんと、百姓と、町の無一文が、勘定所で、捕まった、貴族、魅惑に婦人、多襄丸(強盗)が役人の前で今起きた事件を白状させる。死体となった板子までも嘘をつく。この世に望はないのかとみんな途方に暮れていたが、泣き叫ぶ捨て子を百姓が、我が子と同じように育てるという。この世にやっと明かりができた。10、白痴、1951年、ドストエフスキーの作品を正直にフィルムに収めたものだから、やたらと長く、大映が土下座して30分、縮小した。反れども私は、一回見ただけでもう見ない。11、生きる、志村喬が主演で三船は出番はない。あと半年しか生きられなことを悟った市役所の市民課の課長が、縦割行政で、まったく市民のことなど考えていない小役人の集まりの市役所で、市民課の課長が命を捨てて公園を作ります。最後は公演のブランコに揺れながら笑って死んでいきます。12、七人の侍;1954年、有名すぎて各々お楽しみください。13、生き物の記録、1955年、見るのにつらい、14、どん底、ゴーリキーの原作を映画にしたもので面白くない。15.隠し砦の三悪人、1958年、超娯楽作品、私は30回は見ました。16、悪い奴ほどよく眠る;1960年、そうでしょうね、17、用心棒;1962年、18天国と地獄、1963年、19は、赤ひげ;1965年、この17,18,19は問題なし、私は40回は見ています。 以降カラー映画、「どですかでん、デルス、ウザーラ、影武者、乱、、、お好きなように、私は興味なし。

投稿者: 大橋医院

SEARCH

ARCHIVE

CATEGORY