大橋院長の為になるブログ

2019.11.11更新

<孫と大東亜戦争> 大橋信昭

 私の初孫は、広島原爆投下の日に生まれました。

次の孫は、真珠湾攻撃の日に生まれました。実は、この真珠湾攻撃は日本の奇襲ということになっておりましたが、山本五十六が飛行中、USAに暗殺されたように、

とっくに、日本軍の暗号はUSAは、解読していました。

石油資源を凍結して、困った日本は、まずは国民から石油、貴金属を搾取しました。国民の指輪からお寺の鐘までなくなりました。反対する天皇の御前会議にも関わらず、

真珠湾に攻撃をしました。トルーマン大統領は喜びました。この奇襲は分かっており、悪いがらくたの船を攻撃させ、重要な軍艦並びに飛行機は、安全なところに隠しておいたのです。

USAは焦っていました。国民は第2次世界大戦に参戦するのを嫌がっていました。しかし、ドイツナチスは、スターリング攻防戦で敗退しており、もはや後退しています。このままですと

ヨーロッパはソビエト連邦に支配され、社会主義社会になってしまいます。うまいこと、日本はひっかかり、いや、やむを得ず、USA,ヨーロッパと開戦したのです。これで日本は焦土と結果的に

なりますが、アジアを植民地支配から、救ったことになります。アジア諸国で独立戦争がはじまり、鬼畜米英は撤退しました。日本の奇襲のおかげで、USA国民は第2次世界大戦に参戦したのです。ノルマンジーの攻防です。激しい戦いでしたが、連合軍はヨーロッパの戦争に加わりました。結果的に、ドイツも敗戦し、ヨーロッパは西の資本主義、東の社会主義と、東西冷戦となります。

ベルリンの壁が象徴ですが、これがキューバ危機、朝鮮戦争、ベトナム戦争へと広がります。USAとソビエトの代理戦争です。長い歳月をかけて、やがてベルリンの壁も壊され、東西冷戦は終わっても、ソビエトから離脱した、ルーマニア、チェコスロバキア、エチオピア、ユーゴスラビア、などは貧困と内戦の拡大、東の国民が大量に西に難民となりました。

日本は、朝鮮戦争まで、GHQの支配下で虫ころ扱いされましたが、吉田茂首相が頑張り、昭和27年、サンフランシスコ講和条約でやっと独立しました。まだまだ日本が豊かになるのには1964年の東京オリンピックまでかかりました。池田隼人首相の「所得倍増論」は実現しました。まだまだ歴史は続行しますが、私の2番目の孫は真珠湾攻撃の日に(12月10日)生まれ、初孫は広島原爆投下(8月6日)に生まれたのです。母は長崎の被爆者であり、私は被爆者2世であります。2度と原子爆弾は世界中のどこの都市にも落としてはいけません。oohashi

投稿者: 大橋医院

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