大橋院長の為になるブログ

2019.02.21更新

「読書」    大橋医院   大橋信昭

 わたしは子供の頃から読書さえしていれば、ご機嫌であった。父と母はまだ私が6歳や、7歳の時は夫婦のデートに、私を連行を強制させた。両親は、お出かけ用の贅沢な服を着せて、お子様ランチをおいしそうに食べるのを、おいしそうに食べる、遊園地で笑いながら、可愛いと思われる長男の私を観賞したかったのだ。しかし、私は帰りには、絶対に本屋により、大好物の少年少女文学全集の、本一冊を買ってくれなければ、百貨店に誘拐犯が私を融解するかの如く、全身を使って泣きじゃくった。そして、好きな本屋コーナーに入り、ゆっくりと読みたい本を選び、帰宅するのであった。両親はこの私が異常に本ばかり読むので、学校の勉強は大丈夫であろうか?心配しているようであった。勉強は大丈夫、ほとんど百点満点に近いのだから。
 両親が忙しい日曜日や、学校の休憩時間は図書館にいつもいた。特に祝日は、昼ごはんに帰り、又図書館に行き、朝早くから夕方の薄暗くなるまで読書をしていた。
 その頃は、伝記物をよく読んでいた。「エジソン」「リンカーン」「ベートーベン」霧がない、しかし、ここで強調したいことがある。「野口英世」の電気である。子供用に、貧しくても、努力さえすれば、医師にもなれるし、渡米もできるし、努力は大切なことである、という本である。しかし、渡辺淳一の「遠き落日」を20歳前に読んでみると、確かに渡米して、黄熱病を発見して、世界の野口と書いた自分の伝記をよみ、不愉快になりごみ屑籠に投げ捨てたそうである。当時戦争中であり、“欲しがりません、勝つまでは”に利用されたのである。野口英世は、本名は野口清作と言い、それは二葉亭四迷の小説で、だらしない青年と同時であり、野口英世に改名したのである。伝記と違って本人は学校は休むは、近所の身分が桁外れの上流会級のお嬢さんにラブレターを送り、相手の家、学校、両親からも、こっぴどく叱られている。英世は3歳の時に母親の見てないときに、囲炉裏に左手を突っ込み、屈曲拘縮してしまい、左指のMP関節以降は開かなく、このあたりがすごいのだが、明治という時代は、ある貴族:渡辺繭氏
にこの子は偉くなると目をつけられ、手の手術もヨーロッパから帰った直後の有名な外科医に、指はもう末端は破壊されているが、5本は開くまでの手術を受けているのである。しあし、この左手は、彼は医師に成っても、臨床医になる能力を奪い、当時世界で有名な学者が次々生まれた、細菌学を生涯のテーマとすることになるのである。貧農の子が高校まで出て、北里柴三郎の門番をしていた。そこへ、USAから着ていた有名なマットペインターの東京見物を流暢な英語で、案内したちう薄っぺらいコネしかなかった。英世は、惚れこまれた渡辺氏に学校の教育費、生活費まで出してやり、考えられないことである。英世の父は飲んだくれのばくち打ちで、母:しかが英世の出世を神頼みし、わずかな生活費が補充されるだけであった。彼は細菌学で世に出るには、USAに来た郷研究所の門番のt気のマットペインターを頼って、無謀にも船に乗るのである。お金持ちのお嬢さんの婚約した持参金を窃盗して、何としてもマット氏野ところへたどり着いた。門前払いもはねのけ、彼はメキシコへ渡り蛇毒の血清、進行梅毒の発見が彼の研究成果である。人間機関車といわれるほど努力した光学顕微鏡では黄熱病のウィルスは見つかるはずは無かった。自らガーナへ行き、黄熱病に罹患し,昇天した。これを野口の腹切りという。
 私は小学校や中学校に、進学しても読書をやめないので,遂に、両親は読書禁止令を私に出した。しかし、こっそり旺文社の世界文学全集は片っ端から読んでいた。夏目漱石、芥川龍之介、志賀直哉、ドストエフスキーの「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」、パールバックの「大地」、この長編になるともう僕は読書を始めていることを両親は知っており、学校の成績もy低下せずに上向きだから許してくれた。医学部に入ったら、同じ医師の北杜夫に夢中になり、父親の斎藤茂吉の短歌の研究本は難解であった。若いころは、推理小説に夢中になり,横溝正史、江戸川乱歩、松本清張に日夜明け暮れた。女房が長女をつわりで苦しそうにしているときも、父親が心筋梗塞でCCUに入っているときも読書はやめなかった。
 32歳の時である。「項羽と劉邦」という司馬遼太郎の歴史本を、思わず買ってしまい、それからの私の歴史好きは始まった。司馬遼太郎は全作品、死んでも講演集、記念館、山本周五郎、山岡荘八の「徳川家康」はかなりの時間を要したが、戦国時代、オールスター総出演で夢中であった。吉川英治の宮本武歳はよいが三国志と。特に「新、平家物語は」時間を要した。しかし源の義経が主役であるが、平家から基礎の義武、頼朝、北條家、バランスよく買いてあり、私の頭は中世にいた。
 藤沢周平は楽しかったが、村上春樹は内を書いているか分からず、未だにみかん作品が多い。最近では東野圭吾に無中になり、私は親子買い専門であり、なじみの本屋へ行き、「亭主!個々の3段においてある池波正太郎の本を全部、車に積んでくれ」と頼んだ。最近では、宮部みゆきに夢中であり4万5千円も出しても、彼女の作品の3割しか買っていない。何とか全作品を買いあさり読破するのだ。
 私の書斎は医学書が隅の方で窮屈そうで、歴史、文学書が多威張りである。
私も、随筆や短歌、俳句、短編小説の挑戦しているが、だいぶ医学の進歩に、もう遅れている。医学文献をよまなくちゃ!貴様は医者だぞ。とはいっても、パソコンの傍には宮部みゆきの「本所深川草紙」がもう少しで読み終える。読書は楽しいものだ。

おおはし

投稿者: 大橋医院

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