2016.11.12更新

私が電話でおじいさんが動かなくなったから、来るように言われたのは11月5日の午前中であった。すぐに往診に行きおじいさんを診察したが、まず発熱を感じた。そして、驚いたのは、右半身麻痺、発語なし、嚥下障害、であった。左脳梗塞の急性発症であった。一般には、病院への救急搬送が思い浮かぶが、そのご家族は、私に、病院への搬送は止めてください。先生に任せますといわれた。在宅尊厳死である。すぐに訪問看護ステーション、ケアマネージャーを呼び、家族(妻、娘、孫二人、)を呼び、カンファランスを開いた。この会議で決まったことは、もういかなることがあろうとも、救急車搬送はしない、死亡診断書は私が書く、毎日、ナースと私と、ヘルパーが行き、それぞれのしごとに専念する。お互いに緊急時の電話番号確認、毎日500mlの点滴を腹部大腿部に皮下注する。絶飲絶食、お互いの連絡を密にするなどである。

しずかご私が娘さんに呼ばれたのは、ちょうど1週間前の11月5日であ家族のおじいさんに対する愛情があまりにも深く、少しでも水分をあたえようとするもので、誤嚥性肺炎になりかけ、発熱し、いつかは助かると信じておられ、その確率は0に近い、天国へ旅立たれるのをじっと見ていましょうと私は何度も言った。家族はすぐに涙をだし、医療チームは全力を出すし、もうおじいさんは決して苦しんでいないと私は言った。

ある日、娘さんが私に言った。在宅医療は素晴らしいですね。ナースもヘルパーも、一生懸命にやってくださいます。至れり尽くせりです。こんなありがたいことはありません。11月11日、そっと、おじいさんを見に行ったら、娘さんが、今、おじいさんが幸せそうに眠っています。嬉しそうでした。起こしちゃ悪いから帰るよが最後の会話であった。12日午前7時15分、お爺さんは、笑ったように昇天していた。いい在宅見取りであった。

 

 

投稿者: 大橋医院

2016.11.11更新

かばん

「往診迷路」
大橋信昭
突然、夜、電話が鳴り響きました。88歳のお婆さんの具合が急変したとのことです。院長は宴会の帰りでもあり、したたか深酒をしていまして、近くでも あり、私:往診カバンを自転車のサードルに乱暴に引っ掛けて出かけました。院長は場所がわかっているつもりなのでしょう。しかし、酒気おびであり、暗く、雨も降り出し、場所がわからなくなりました。たまたま、親切な人が、院長の困惑した様子を見て、「私の家に入り、地図で調べましょう。あー、道一本ちがっていますよ。私は、警察官です。先生の御苦労はよくわかります。」院長の顔色が変わったのを私:往診カバンは見逃しませんでした。深夜の飲酒往診は気をつけてもらいたいと思います。皆様も院長の酔っ払い往診を見たら一声、「気をつけてね」と声をかけてもらいたいものです。幸い、おばあさんも私も、大事にいたりませんでした。
 院長の、方向音痴も困ったものです。地図を調べ、ナビゲーターの変わりに看護師を連れて行くのですが、必ず途中、後ろから看護師が「先生、この道は違っていますよ。」といわれます。私:往診カバンはどこへ連れて行かれるやらいつもひやひやしているのです。
 今年ももう終わろうとしている、12月31日の夜7時頃でした。あるお婆さんが、「おなかが痛い、すぐ来てくれ。」との電話です。院長は「これは急性腹症だ」と大声で私:往診カバンをひっぱたき 、大慌てで、おばあさんの所へかけつけました。その家は、隙間風をやっと防ぐことができるように小さな丸太と板塀で囲ってあり、お婆さんは一人で暮らしていました。院長は、緊急処置の用意をしていったのですが、お婆さんは笑顔で「ようきてくれました。こたつにでも入り、暖まっていってください。」といわれました。一人暮らしで、寂しかったのでしょう。80歳の老婆と一緒にこたつの中に入るのを院長は嫌がっておりましたが、私はたたみの上で凍えていました。おばあさんも話し相手が、欲しかったのです。とんだ年末でした。

 ある、台風の夜、暴風雨、風は暴れまくり、木々は揺れ、看板ははち切れそう、道路は大洪水となっています。こんな夜、歩いている人がいるのです。馬鹿がいるなと院長はビールを飲みながら大笑いしていました。すると電話がかかってきました。「喘息で息苦しいから、すぐ来てくれ」との電話です。しかたなく院長は合羽を着て、 暴風雨の中あるいていきました。私:往診カバンはずぶぬれで強風に意識が朦朧としていました。院長も私も命がけです。
  ある宴会の夜、さんざん深酒をして、千鳥足で院長は帰宅しました。診察室で彼は、私:往診カバンの前でさっきから、めまい、吐き気がして苦しんでいました。その時、電話です。メニエール氏症候群のお爺さんからの電話です。「めまい、吐き気で苦しい」とのことです。院長も私も同じく苦しいのですが、自転車でふらりよたり、でかけました。私:往診カバンの中から点滴ボトルを荒々しく出しておじいさんの血管確保をして、院長は経過を見ています。院長もお爺さんも、めまい、吐き気が治ってきました。私:往診カバンも何度も言っておりますが、院長の飲み過ぎには注意してもらいたいものです。
 木枯らし吹き付ける、土曜の夕方、息苦しいから来てくれというお婆さんからの、電話です。院長と私:往診カバンは大慌てで出かけました。その木造長屋は2階建てで、北風により揺れているようでした。中に入りますと、一階にも、二階にも三部屋ありますが、名札がありません。苦しんでいるお婆さんが、どこにいるのかわかりません。「お婆さん、お婆さ ん」と長いこと叫んでいますと、隣人の人がやっと出られ、「そのお婆さんはそこの部屋ですよ。」といわれ、はいっていきますと、院長は3日も食べていない、チアノーゼ、心音、脈微弱、心不全と診断され、救急車をよび、入院の要請を中核病院に私を叩きながら叫んでおられました。1月後退院されました。「私は、ぽんびきで生活していました。もう働けませんから、実家 に帰ります。」といって帰って行かれました。北風がお婆さんの背中を、非情にもたたいているようでした。

 耳の聞こえないお婆さんと、目の見えないお爺さんが住んでいる家からの往診依頼は、困ったものです。お婆さんは、「お爺さんが何も食べられなくなった。」との電話で、院長は私を供に往診に行ったのですが、部屋に入っていきますと、耳が悪いお婆さんは、私共が来たことに気がつかず、晩飯を夢中で食べています。しかたがなく、目の見えないお爺さんのところへ行き、「どうしたのだ。」と院長が尋ねますと、「腹が減った」といわれます。仕方が無く、冷蔵庫をあけ、アイスクリームをかれは 食べさせていますと、やっとお婆さんは気がつき「先生、いつの間に、来ていたのですか」との返事です。私:往診カバンとしてもこんな情けない往診はご勘弁願いたいのです。
Shy-Drager症候群の患者を、最後まで在宅で院長が診察したのには、私:往診カバンも疲労の色を隠せなかったものです。少しずつ、症状が教科書通り、そろってきました。手のふるえ、 発汗異常、歩行困難、膀胱直腸障害、言語障害、寝たきり、褥創、突然の呼吸停止、私と院長は過労の余り、車ごと電柱に激突してしまいました。
 屋根は半壊、3畳一間に、老夫婦は暮らしていました。院長と私は、往診するたびに、いやな匂いを嗅がねばなりませんでした。その老夫婦は、腰巻き、さるまたを玄関から、表の電柱に干すのです。私どもは、往診するたびに、その猿股、腰巻きの匂いを嗅がねばなりませんでした。
 糖尿病、脳梗塞の左半身麻痺、寝たきりのお爺さんは、タバコ、お酒を辞めませんでした。院長が「このままでは、死にますよ。」とさんざん言っていたお爺さんは、タバコを吸いながら、静かに死んでいきました。何が、幸せなのでしょう。院長と私の往診迷路はどこまで続くのでしょう。

 

投稿者: 大橋医院

2016.11.11更新

だいじゅ

<大樹>

大橋信昭

 私は、土曜の夜中から日曜日も朝早く起きて、就寝時間も制限して、ミステリ-小説を読み漁っていた。私の頭は、未来、過去、現在が簡単にひっくり返り、光を操る少年の才能や運命にもう夢中でほかの事が分からなくなっていた。
ただ一人老婆の電話あり、往診し、診察を行っており、ここ1週間で昇天すると思われるこれまた老婆の看取り体制になっている。携帯の音には敏感なのだ。
 「あなた、いつまで本ばかり読んでいるの!たまには外でもサイクリングしたらどうなの!」と、私の家内が、上から怒鳴ってきた。そうだ。こんな良い天気に、このまま暗い小説を読み続け、月曜日になったら、うつ病でも発症し、ろくな診察が出来ない。幼稚園児が母親に叱られたごとく、素直にスポーツシャツに着替え、サイクリングに出かけた。いつも当院より北へ行くことが多いが、今日は風の向くまま,南へ向かった。途中の大垣の町の雑踏は見て見ぬふりをし、一気に郊外へ出た。自転車道を、幾時か走らせると、私の目には緑豊かな木々と田園地帯が展開した。もう、お百姓さんたちが忙しくなるころであった。鍬を持って田を起こそうとする老人、肥料を燃やして煙を立てている若者に遭遇した。そして少し西方に鳥居があり、“白髪神社”と書いてあった。
神社の中は、今年の豊作を祝う村人でいっぱいである。山門があり、寝泊り無料だが、そんなところで寝ていたら物乞いと間違われるであろう。それにしても、この“白髪神社”は、こじんまりした神社だが、鳥居までに、多くの石塔があり、周りは、緑の広葉や針葉を支えた木が無数にある。そこへ、南からさわやかな風が吹き付け、木の葉たちは楽しそうに踊っているのである。
 田園に目を向けると、水平線まで、刈り込んだ土が私の目を驚かすはずだ。ところが、遠方だが、いたる所に、高層住宅が立ち並び急に街中の俗世界が私の脳裏をよぎる。
 すると、私の死角になる西方に、一本の大樹がそびえ立っていることに気が付いた。租の大樹の幹は何百年の歴史を刻んでいる如くたくましく、枝は幾重にも別れ、その枝がそれぞれ豊かな緑葉でおおわれている。私は、思わず立ち止まり、その大珠に触れ、上を仰いだ。枝と緑で、あるべき青空は塞がれている。私は、思った。あの緑の上に、私の想像もつかぬ世界が広がっているのではないか?私は危険を承知で、ゆっくりと枝を足場にして登って行った。厚い緑の絨毯があったが、何故か梯子がかかっており、そこには、中世の貴族のような格好をした人たちが、酒を飲んで笑っている。中には文を取り和歌を葉に書きつけ、十二単の女性を口説いている人がいる。また、意外と緑の平坦な広場が広がっており、蹴鞠を楽しむ貴族たちの汗と笑顔が見えた。どうなっているのか?この大樹の上は、平安時代にでもタイムスリップしているのか?不思議そうにしていると一人の若者が、私を招き、酒でも飲めと言った。私は貴族たちとすっかり打ち解け、酒も何杯かあおり、蹴鞠も楽しみ、筆も借り木の葉に一句書こうとした。“大木の、緑の扉、開くと、そこには、争いを避け、笑顔に満ちた貴族たち、”酔っているのか、幻覚に陥っているのか、歌にはならない。そして、綺麗な女性が手を差し伸べてたものだから、触れようとしたら、瞬く間に、田園の真っただ中に、つんのめるようにしりもちをついていた。異常におしりが痛い。もう一度大樹の所へ戻り、さっきの女性と再会したいと思ったら、日焼した皺だらけの老父が私に話しかけてきた。「この大樹は、それはもう大昔からある。しかし、よく旅人がこの上の妖精たちに騙され、あなたのように上から落っこちてくる。大した怪我は無くてよかったね。もう近寄らん方が良いよ。」老父はニコニコしながら農作業に戻った。
 私は、今、見たものは何なのか?臀部は痛かったが、何とか自宅へ帰った。読みかけのミステリー小説を見て、昼食をとり、続きを読むことにした。もうあの大樹の上には上らない。なんだか鳥肌が立ってきた。最近、小説の読みすぎだが、あの爺さんがいていた妖精はあの大樹の上にいつも潜んでいるのだろうか?そっと考えるのももう近づくのもやめることにした。(完)

投稿者: 大橋医院

2016.11.11更新

だいじゅ

<大樹>

大橋信昭

 私は、土曜の夜中から日曜日も朝早く起きて、就寝時間も制限して、ミステリ-小説を読み漁っていた。私の頭は、未来、過去、現在が簡単にひっくり返り、光を操る少年の才能や運命にもう夢中でほかの事が分からなくなっていた。
ただ一人老婆の電話あり、往診し、診察を行っており、ここ1週間で昇天すると思われるこれまた老婆の看取り体制になっている。携帯の音には敏感なのだ。
 「あなた、いつまで本ばかり読んでいるの!たまには外でもサイクリングしたらどうなの!」と、私の家内が、上から怒鳴ってきた。そうだ。こんな良い天気に、このまま暗い小説を読み続け、月曜日になったら、うつ病でも発症し、ろくな診察が出来ない。幼稚園児が母親に叱られたごとく、素直にスポーツシャツに着替え、サイクリングに出かけた。いつも当院より北へ行くことが多いが、今日は風の向くまま,南へ向かった。途中の大垣の町の雑踏は見て見ぬふりをし、一気に郊外へ出た。自転車道を、幾時か走らせると、私の目には緑豊かな木々と田園地帯が展開した。もう、お百姓さんたちが忙しくなるころであった。鍬を持って田を起こそうとする老人、肥料を燃やして煙を立てている若者に遭遇した。そして少し西方に鳥居があり、“白髪神社”と書いてあった。
神社の中は、今年の豊作を祝う村人でいっぱいである。山門があり、寝泊り無料だが、そんなところで寝ていたら物乞いと間違われるであろう。それにしても、この“白髪神社”は、こじんまりした神社だが、鳥居までに、多くの石塔があり、周りは、緑の広葉や針葉を支えた木が無数にある。そこへ、南からさわやかな風が吹き付け、木の葉たちは楽しそうに踊っているのである。
 田園に目を向けると、水平線まで、刈り込んだ土が私の目を驚かすはずだ。ところが、遠方だが、いたる所に、高層住宅が立ち並び急に街中の俗世界が私の脳裏をよぎる。
 すると、私の死角になる西方に、一本の大樹がそびえ立っていることに気が付いた。租の大樹の幹は何百年の歴史を刻んでいる如くたくましく、枝は幾重にも別れ、その枝がそれぞれ豊かな緑葉でおおわれている。私は、思わず立ち止まり、その大珠に触れ、上を仰いだ。枝と緑で、あるべき青空は塞がれている。私は、思った。あの緑の上に、私の想像もつかぬ世界が広がっているのではないか?私は危険を承知で、ゆっくりと枝を足場にして登って行った。厚い緑の絨毯があったが、何故か梯子がかかっており、そこには、中世の貴族のような格好をした人たちが、酒を飲んで笑っている。中には文を取り和歌を葉に書きつけ、十二単の女性を口説いている人がいる。また、意外と緑の平坦な広場が広がっており、蹴鞠を楽しむ貴族たちの汗と笑顔が見えた。どうなっているのか?この大樹の上は、平安時代にでもタイムスリップしているのか?不思議そうにしていると一人の若者が、私を招き、酒でも飲めと言った。私は貴族たちとすっかり打ち解け、酒も何杯かあおり、蹴鞠も楽しみ、筆も借り木の葉に一句書こうとした。“大木の、緑の扉、開くと、そこには、争いを避け、笑顔に満ちた貴族たち、”酔っているのか、幻覚に陥っているのか、歌にはならない。そして、綺麗な女性が手を差し伸べてたものだから、触れようとしたら、瞬く間に、田園の真っただ中に、つんのめるようにしりもちをついていた。異常におしりが痛い。もう一度大樹の所へ戻り、さっきの女性と再会したいと思ったら、日焼した皺だらけの老父が私に話しかけてきた。「この大樹は、それはもう大昔からある。しかし、よく旅人がこの上の妖精たちに騙され、あなたのように上から落っこちてくる。大した怪我は無くてよかったね。もう近寄らん方が良いよ。」老父はニコニコしながら農作業に戻った。
 私は、今、見たものは何なのか?臀部は痛かったが、何とか自宅へ帰った。読みかけのミステリー小説を見て、昼食をとり、続きを読むことにした。もうあの大樹の上には上らない。なんだか鳥肌が立ってきた。最近、小説の読みすぎだが、あの爺さんがいていた妖精はあの大樹の上にいつも潜んでいるのだろうか?そっと考えるのももう近づくのもやめることにした。(完)

投稿者: 大橋医院

2016.11.11更新

だいじゅ

<大樹>

大橋信昭

 私は、土曜の夜中から日曜日も朝早く起きて、就寝時間も制限して、ミステリ-小説を読み漁っていた。私の頭は、未来、過去、現在が簡単にひっくり返り、光を操る少年の才能や運命にもう夢中でほかの事が分からなくなっていた。
ただ一人老婆の電話あり、往診し、診察を行っており、ここ1週間で昇天すると思われるこれまた老婆の看取り体制になっている。携帯の音には敏感なのだ。
 「あなた、いつまで本ばかり読んでいるの!たまには外でもサイクリングしたらどうなの!」と、私の家内が、上から怒鳴ってきた。そうだ。こんな良い天気に、このまま暗い小説を読み続け、月曜日になったら、うつ病でも発症し、ろくな診察が出来ない。幼稚園児が母親に叱られたごとく、素直にスポーツシャツに着替え、サイクリングに出かけた。いつも当院より北へ行くことが多いが、今日は風の向くまま,南へ向かった。途中の大垣の町の雑踏は見て見ぬふりをし、一気に郊外へ出た。自転車道を、幾時か走らせると、私の目には緑豊かな木々と田園地帯が展開した。もう、お百姓さんたちが忙しくなるころであった。鍬を持って田を起こそうとする老人、肥料を燃やして煙を立てている若者に遭遇した。そして少し西方に鳥居があり、“白髪神社”と書いてあった。
神社の中は、今年の豊作を祝う村人でいっぱいである。山門があり、寝泊り無料だが、そんなところで寝ていたら物乞いと間違われるであろう。それにしても、この“白髪神社”は、こじんまりした神社だが、鳥居までに、多くの石塔があり、周りは、緑の広葉や針葉を支えた木が無数にある。そこへ、南からさわやかな風が吹き付け、木の葉たちは楽しそうに踊っているのである。
 田園に目を向けると、水平線まで、刈り込んだ土が私の目を驚かすはずだ。ところが、遠方だが、いたる所に、高層住宅が立ち並び急に街中の俗世界が私の脳裏をよぎる。
 すると、私の死角になる西方に、一本の大樹がそびえ立っていることに気が付いた。租の大樹の幹は何百年の歴史を刻んでいる如くたくましく、枝は幾重にも別れ、その枝がそれぞれ豊かな緑葉でおおわれている。私は、思わず立ち止まり、その大珠に触れ、上を仰いだ。枝と緑で、あるべき青空は塞がれている。私は、思った。あの緑の上に、私の想像もつかぬ世界が広がっているのではないか?私は危険を承知で、ゆっくりと枝を足場にして登って行った。厚い緑の絨毯があったが、何故か梯子がかかっており、そこには、中世の貴族のような格好をした人たちが、酒を飲んで笑っている。中には文を取り和歌を葉に書きつけ、十二単の女性を口説いている人がいる。また、意外と緑の平坦な広場が広がっており、蹴鞠を楽しむ貴族たちの汗と笑顔が見えた。どうなっているのか?この大樹の上は、平安時代にでもタイムスリップしているのか?不思議そうにしていると一人の若者が、私を招き、酒でも飲めと言った。私は貴族たちとすっかり打ち解け、酒も何杯かあおり、蹴鞠も楽しみ、筆も借り木の葉に一句書こうとした。“大木の、緑の扉、開くと、そこには、争いを避け、笑顔に満ちた貴族たち、”酔っているのか、幻覚に陥っているのか、歌にはならない。そして、綺麗な女性が手を差し伸べてたものだから、触れようとしたら、瞬く間に、田園の真っただ中に、つんのめるようにしりもちをついていた。異常におしりが痛い。もう一度大樹の所へ戻り、さっきの女性と再会したいと思ったら、日焼した皺だらけの老父が私に話しかけてきた。「この大樹は、それはもう大昔からある。しかし、よく旅人がこの上の妖精たちに騙され、あなたのように上から落っこちてくる。大した怪我は無くてよかったね。もう近寄らん方が良いよ。」老父はニコニコしながら農作業に戻った。
 私は、今、見たものは何なのか?臀部は痛かったが、何とか自宅へ帰った。読みかけのミステリー小説を見て、昼食をとり、続きを読むことにした。もうあの大樹の上には上らない。なんだか鳥肌が立ってきた。最近、小説の読みすぎだが、あの爺さんがいていた妖精はあの大樹の上にいつも潜んでいるのだろうか?そっと考えるのももう近づくのもやめることにした。(完)

投稿者: 大橋医院

2016.11.10更新

さんじゅう

いつまでも、ついてくるとたたっ切るぞ!

投稿者: 大橋医院

2016.11.10更新

ふふ

この二人は、もちろん夫婦ではない。介護施設のご利用者様と、看護婦であろうか?そうではない。

それが、ややこしい話が持ち上がっている。この車椅子に乗っている男性には、遠く離れた介護施設に妻がおり、

彼が入居している施設にも、ある女性がおり、この人の家内であると主張しているのである。しかも、その家内であると主張する女性は、

亡くなったご主人の遺影をいつも持っている。

ややこしいから、整理すると、この男性には、今も家内が別の施設にいるし、彼の施設にいる女性は、未亡人である。

ところが、この二人が夫婦であると主張しているのである。その二人は、朝から晩まで離れない。手を握り、寄り添い、いたわりあう。

身の回りは、女性がすべて致し、お互いに、心配そうに見つめあっている。施設は、この二人は、夫婦、いや、愛人扱いにすることにした。

いつもいっしよで、嫉妬もあり、そっと二人の世界をたいせつにすることにした。この二人の夜のいとなみは、どうなっているのか?

そんな野暮な質問は、やめましょう。残り何年あるかわからぬが、、二人の愛の世界を見守ろ!

投稿者: 大橋医院

2016.11.10更新

ふふ

この二人は、もちろん夫婦ではない。介護施設のご利用者様と、看護婦であろうか?そうではない。

それが、ややこしい話が持ち上がっている。この車椅子に乗っている男性には、遠く離れた介護施設に妻がおり、

彼が入居している施設にも、ある女性がおり、この人の家内であると主張しているのである。しかも、その家内であると主張する女性は、

亡くなったご主人の遺影をいつも持っている。

ややこしいから、整理すると、この男性には、今も家内が別の施設にいるし、彼の施設にいる女性は、未亡人である。

ところが、この二人が夫婦であると主張しているのである。その二人は、朝から晩まで離れない。手を握り、寄り添い、いたわりあう。

身の回りは、女性がすべて致し、お互いに、心配そうに見つめあっている。施設は、この二人は、夫婦、いや、愛人扱いにすることにした。

いつもいっしよで、嫉妬もあり、そっと二人の世界をたいせつにすることにした。この二人の夜のいとなみは、どうなっているのか?

そんな野暮な質問は、やめましょう。残り何年あるかわからぬが、、二人の愛の世界を見守ろ!

投稿者: 大橋医院

2016.11.10更新

ふふ

この二人は、もちろん夫婦ではない。介護施設のご利用者様と、看護婦であろうか?そうではない。

それが、ややこしい話が持ち上がっている。この車椅子に乗っている男性には、遠く離れた介護施設に妻がおり、

彼が入居している施設にも、ある女性がおり、この人の家内であると主張しているのである。しかも、その家内であると主張する女性は、

亡くなったご主人の遺影をいつも持っている。

ややこしいから、整理すると、この男性には、今も家内が別の施設にいるし、彼の施設にいる女性は、未亡人である。

ところが、この二人が夫婦であると主張しているのである。その二人は、朝から晩まで離れない。手を握り、寄り添い、いたわりあう。

身の回りは、女性がすべて致し、お互いに、心配そうに見つめあっている。施設は、この二人は、夫婦、いや、愛人扱いにすることにした。

いつもいっしよで、嫉妬もあり、そっと二人の世界をたいせつにすることにした。この二人の夜のいとなみは、どうなっているのか?

そんな野暮な質問は、やめましょう。残り何年あるかわからぬが、、二人の愛の世界を見守ろ!

投稿者: 大橋医院

2016.11.09更新

なつめ

私は、14歳の時、草枕を、購入した。

一ページ目から,何が書いてあるか、さっぱりわからぬ!

知に働けば角が立つ、情に掉させば流される。

この2行もわからぬまま、作者は、詩を求め、絵を書き、

銭湯に入り、床屋に入り、茶屋で饅頭をくい、旅館で琴の音を聞き、

最後に漢詩を完成させる。

50年、手離さないが、私の貴重な宝である。

夏目漱石が30歳代で、ここまで世の中を、塾考するとは驚きである。

ゆえに棺桶までこの本をもっていくつもりである。

投稿者: 大橋医院

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