2014.01.29更新

僕の左腕は全快だあ。
苦しかった。
昨年の10月17日に、疲労のせいで
左腕枕に、午後8時から午前1時まで熟睡していたのだ。
不思議なことに、家内が起こしてくれた。
これが朝までなら、左腕は再起不能であろう。
ありがとう、愛すべき、我が妻よ。一生の恩を感じる。
もう、ほかの女性には目を配らないよ。
サー仕事だ。外来、往診、消化系検査、循環器、糖尿病、
勉強会、生き返ったのだ。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2014.01.28更新

パサーダ:大垣の北のはずれにある
特別養護っ老人ホーム、
私は、この場所の仕事をとても愛している。
命の触れ合いがある。
明日も定期回診日だ。
看取りは、尊厳死は永遠のむつかしい問題だ。
それに、正面から立ち向かうのだ。
私はパサーだを愛している。


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投稿者: 大橋医院

2014.01.26更新

<左橈骨神経麻痺>

大橋信昭

 それは昨年の10月17日のことであった。私は疲れていた。外来を午前と午後、
必要あれば、在宅訪問診察、月曜日は准看護学校の講義(熱意を出せば、反比例して熟睡していく生徒は増加の一途、全員寝たら、私は帰るぞ!)火曜日はグループホームでアルバイト、認知症で、動き回り糞便をまきちらし、中にはパットの尿を大切に抱いて寝ている老人がいる。ここは理屈の通らない世界である。地球人か火星人か怪しいものだ。水曜日は、特別養護老人ホームの嘱託医として出かける。大垣市と神戸町の境である。綺麗な建物で6階建てであり、全員個室、10部屋でワンユニット、それが100部屋満員である。お風呂、リハビリ、喫茶店、食事、おやつも美味しいし、冷暖房完備、私は水曜日の午後を休診にして、100近い人の、往診、診察、処置に午後5時半まで明け暮れる。職員との話し合いや、家族との討論も含まれる。私はこの大変な仕事は、24時間、365日、当直体制になるのであり、大変なのだが楽しいのである。西濃地方を離れてはいけないことになる。木曜日は在宅の訪問診察で、時には救急車を呼ぶから、気が抜けない。
金曜日は介護認定審査会で、介護度を決める大切な仕事で私は委員長である。
 夜は勉強会が多く日曜日を含め、平日の各メーカーの宣伝まがいの勉強会、サークルでやる検討会になると、疲れは日増しに蓄積されるのだ.
 そこで10月17日の午後8時のことであった。疲労も過度になり、私は書斎で、左腕をマクラに5時間熟睡したのである。午前1時に、家内が心配して私を起こすまで、夢の中であった。大勢の美女に囲まれて、愛撫を受けまくっていたのである。ところが、午前1時に家内が現実に引き戻すものだから、家内に「うるさい!」と脅迫したのである。ところが、その時気がついたのは、私の大きな頭の枕にしていた左腕が動かなくなっていたのである。私の左腕をどん底に落としたのは、夢に出ていた絶世の美女ではなく、私の頭であった。
 それからが大変である。左肘から指にかけて麻痺が起きているのである。私のこの頭の命令がいくらおきても、私の左腕はじっとしたままである。困った!多くの仕事を抱えながら、どうしたものか、朝まで呆然として、友達の整形外科医へ出かけたのである。
朝早くから、午前6時に友の診療所についた。待合室のおじいさんが「ここは午前9時からしか回転しないから、喫茶店でも行きなさい」と言われた。とんでもない、私は医師として働けるか、生活がかかっているのだ。
 あっという間に、午前9時は訪れ、私の友達の、尊敬すべき整形外科の先生での登場である。20分後、診察である。「橈骨神経麻痺だな。頚椎から来ているであろう。レントゲン現撮影をしよう。」。私は無抵抗にレントゲン室へ行った。撮影されたフィルムを見ると、第6頚椎の変性と、全般に頚椎の退行変性を読み取った。ゴルフのやりすぎである。下手なスウィングを無限に若い頃、繰り返したものだから、腰椎、頚椎はしっかり変性しているのである。友人の整形外科医は、良性肢位を保つコルセットを私の左腕にはめてくれて「まービタミン12の内服と、低周波によるリハビリだね」「数カ月掛かるだろうね?」「まー、この左手、上がれと念じることだよ。」と冷たく言い放った。それから、地獄のリハビリである。ビタミンB12を内服して、動かない左橈骨神経を低周波を、毎日、毎日、かける。3ヶ月かけても一向に、私の左腕は意のままにならない。正月を迎え、お仏壇、八万神社のお祈祷、お守り、お墓で土下座、「なにとぞ私の左腕を動くようにしてください。医師としてもう少し働からかせてください。」とお祈り続けた。
 正月も開け、診療に入り、私の左手はうまく動かなかった。仕事だけは続行した。ある神経内科の勉強会で、その専門医が全員あなたは脳梗塞だと言った。これが私をさらに憂鬱にした。絶望の中、私の診療所に、大腸癌を疑う患者さんが現れたのである。「先生、絶対検査してください!」と睨みつけた。検査日は明日。「分かりました。」とはいったもののできるであろうか?再び仏壇に土下座し、南無阿弥陀仏を繰り返し、数珠を左手にまき、「あすの注腸成功させてください」と亡き父、母に頼んだ。次の朝は容赦なくやって来た。患者さんも来た。ところが、不思議なことに、ふだんどおり注腸撮影は成功し、早期癌を発見し、中核病院へ送ったのである。患者さんは感謝し中核病院からも紹介の手紙が来た。
 それからである。全く動かなかった私の左手は、血圧を測り始め、注射は出来るし、胃瘻交換、気管支カニューレ交換もできるのである。あの注腸撮影をきっかけに、わたしの左腕は復活したのである。医師として、人のために尽くしたことがきっかけで,私の左腕は元通りである。「オーご先祖様、神様、医学の教祖のヒポクラテス様、ありがとう。たった今から、医師として再出発だ!!」


岐阜県大垣市の大橋院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2014.01.24更新

<病棟の花>

大橋信昭

小生は、この病棟の花が咲いていなければ、大晦日であろうが、正月や深夜であろうが、還暦も過ぎたのに、特攻精神で病棟へは行かないであろう。必ず、笑顔で、優しく出迎えてくれて、今日のスケジュールを、小生の体によりそい、耳から鼻に向かって、熱い吐息を吹きかけながら、紹介する。小生は、彼女の体臭、口臭、うるんだ瞳、美しい項に釘付けになり、わかったような、わからないような今日のスケジュールを承諾するのである。
病棟回診へ進む。常に彼女のリードに小生はついて行くが、その美しい肢体に見とれ、医師とし思考過程は停止している。「この患者さんですが、もう一週間も便秘で、とても下腹部を痛がるの。先生、診察お願いします。」ご丁寧に小生に手袋をはめてくれる。寄り添って右手から左手へと小生の両手は彼女のはめた手袋に拘束される。耳元に息がかかる。なんと解答して良いか?夢心地でわからない。
「先生、今度は胃瘻交換ですよ。手袋をお羽目になってください。準備はしてありますから、お願いします。」慣れた胃瘻交換も、この香水の怪しげな魅力に、効率が悪い。
「先生、今日は2病棟回診してもらいますが、患者さんはとても楽しみに待っていらっしゃるわ。行きましょう!」そこで小生は、やっと医師の心が芽生える。一人一人、高齢者に聴診器を当てて、一語一語、悩みを聞いてあげる。100人近い患者さんに一人に聴診器が当たる確率は一ヶ月に一人なのである。当然、問診、聴診、触診は丁寧になる。汗だくで、すっかり医師になっている。耳にあたる、彼女の吐息も、突然視界を遮る彼女の白い手も、診察中は気にしない。
やっと回診が終わり、これから亡くなった方の反省会である。医師、看護師、介護士、栄養士、ケアマネージャーが集合し、丸い大きい机で、前回の見取りの、検討会である。その時、突然、病棟の花は「先生の隣でないと嫌です。」といって、堂々と小生の隣の椅子に座り、更に、椅子を小生の極めて近くに座り直す。また、彼女が喋る方向が小生の嗅覚に敏感な鼻に向けられており、小生はその、蜜のような匂いに、また思考力が麻痺する。小生がリードする会議だが、たおやかな黒髪と、透き通るうなじと、愛くるしい彼女の笑顔に、すっかり魅せられ、諸芸の発言はしどろもどろである。小生の情けない会議進行である。するととなりにいた病棟の花が、体を押しつけ、「医局で幾つかの書類を書いてもらいますわ。」またしても、病棟の花が満面の笑みを押し付ける。思わず小生の唇をあわせたくなるが、そこは強烈な理性が邪魔をする。いや、この会議メンバーの前で、そんな行為に及んだら、どんな社会的制裁、社会的信用失墜である。小生は医師で、暖かい家庭持ちでなる。なんの不足があろうか?我慢、我慢、病棟の花の持つ魅惑に負けてはいけない。
ナース室へ行く。未処理の書類が山積みである。一つ一つ片付けていく。すぐ横で、病棟の花はパソコンにデータを打ち込んでいる。「さてこれで、仕事も終わったようだね、」と席を立とうとすると、直ぐにっ病棟の花は、延長作戦に出る。「この症例のこの症状はどう思われますか?」「この患者の熱発時のお支持をもらっていませんわ。」
どんな作戦を出そうと、私の帰宅時間がやってくる。「それじや、失礼します。」と席を立つと、病棟の花は「お送りしますわ」という。私のカバンを持ち、同じエレベーターに乗る。その頃から私に、病棟の花は、小生に、何か訴えそうな、寂しそうな視線を投げてくる。小生は凍りついたようになり、動けなくなる。小生がメロドラマに主役がヒロインに投げかける粋なセリフを、病棟の花に声をかければいいが、どうしていいかわからぬうちに、非情にエレベーターは一階である。出口がどんどん近づき、ついに下駄箱から小生の靴を取り出し、病棟の花に「今日はどうもありがとう。またお願いします」と言って帰ろうとすると、彼女の表情は何か切なさそうな、「愛染かつら」と「君の名は」の主演女優をたして2で割ったような顔色をしている。恐る恐る病棟の花からカバンをもぎ取り、車に乗り込み、出発である。バックミラーに「何もおっしゃらないの!」という悲しそうな見送り顔が見られるが、現実は厳しいものだ。診療所に家族と患者が待っている。小生は診療所へ急いだ。
毎週、毎週、バイト先で恋愛ゲームをしていると疲れるものである。 


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投稿者: 大橋医院

2014.01.19更新

<生きていたい>

大橋信昭

 私は、今、分からなくなっている。
それは、90歳を5年も超えた老婆で、肥厚型心筋症と心不全を合併して、あらゆる高度中核病院で、検査や治療の試みはなされており。もう打つ手はなく、当苑(特別養護老人ホーム)へ搬送さ荒れてきた患者さんである。家族とは当苑での看取りを行うことでスムースに一致した。ところが、その老婆は苦悶ようの症状を頻回におこし、私とナースに何か言いたそうでわからなかったのである。ある夜、その声がやっと聞こえた。「先生!もっと生かさせてください!」
私は呆然とした。会話不能、時々、のたうち回るような状態を見せたりしていた。当苑では、ニトロの舌下、鎮痛剤の注射しかなかった。あくまでも看取りであり、自然に死に向かうコースを、老婆以外は選んだのだが、「もっと、生かさせてください」には、突然にうろたえた。しかし、自然の法則は厳しく、昨年の大晦日の11時40分に昇天した。そのご遺体の顔は、いつものように穏やかでなく、何か、私に一言言い足りない顔であった。
 私は、自信をなくした。今まで百枚を超える"尊厳死"と名をつけて、大勢の人を昇天させた。皆さん、佛のような顔であり、この世のあらゆる苦痛から解放されて、天国では幸せに暮らしていると信じている。これまでの人も「もっと生きたかったのよ」なのであろうか。
 しかし、高齢で百を超え、穏やかな顔をして、眠るように天国へ行った人もいっぱいあるはずだ。昇天、尊厳死が認められなければ、介護施設など存在せずに、全員、終末は集中治療室で救命せねばいけない。そこで、運悪く助かった人は、また覚醒され、胃瘻、中心静脈、医療スタッフによる厳重な管理がなされねばいけない。それは明らかに間違っている。
 最近、いくら説明しても、看取りを理解してくれない家族が増えた。まず小卓偉が説明する。「現代医療はすべて施した。高齢である。死は全ての人がいつかは受け入れねばいけない。もう、飲食も、お薬も飲めないし、穏やかにあなたのお母さんは、眠っている。どうでしょうか?ここは私たち当苑のスタッフに任せて、天国へゆっくりと歩ませたらどうです。」ナースも、私の足らない説明を補充してくれる。その場所では、納得しても、いざ終末期の時にお母さんが苦悶の顔をしたら、家族は気持ちが揺らぐ。見たこともない遠い親戚が現れ、大声で、「なんだ!点滴はしてないし、モニターもないし、君たちはこの叔母さんの死を、どこで確認するのだ!抗生物質や強心剤はなぜ注射していない!」
これでは看取りは全く成立しない。訴訟が怖いから、仕方がなく拝み倒して中核病院へ搬送する。救急隊員にもすまないという。結局中核病院へ搬送したところで、あらゆる高度治療しても、当苑なら20分で昇天できたのに、病院では結局2時間後に死亡診断書が書かれたのである。
 TVドラマで医療番組が多く放送されている。あれはICUであることを、一般の人は理解しているであろうか。
 全員が永遠の命を望み、高度医療を最後まで望むなら、在宅尊厳死はどこへ行くのか?私は開業して26年になるが何例も在宅尊厳死をやってきた。介護保険が始まる前から、患者宅へ毎日、通い死と取り組んでいた。全員、重傷で家族と付添、昇天の時間まで、死の悲しみを分け合ったものである。お通夜に行き、お棺の中のご遺体は仏様のような顔をしている。家族には、何年経っても、どこでお逢いしても感謝される。
 永遠の課題であるが、天国へ限りなく接近した人たちを、苦痛を全力で緩和し、自分の人生が幸福なものであったといえるように、医師と看護師介護士と、ご家族と天国へ登っていくご様子を、在宅医療のも、施設の方も、そう思えるようにしたい。天国には何の苦しみもない。


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投稿者: 大橋医院

2014.01.17更新

<軍医の日記>

大橋信昭

 それは君、日本を離れるときは悲しくて、軍艦から祖国が点になったとき、思わず涙が出たものだよ。私達は、日本の戦争が多面作戦になってしまい、急いで医師を作る必要があった。それで、医学専門学校を多く作り、教育は不十分ながら、戦地で外科医として働ける医師を大量製産したのだよ。私達は外科処置を中心に教育は超特急で済ませ、戦地へ派遣されたのだよ。私も、当時の日本軍国主義にしっかり洗脳されていたから、祖国の使命感が強かったのだよ。
ラバウル方面への派遣だけど、激戦地区だったよ。軍艦には底に二本の太い棒が有り、それに股がってトイレ替わりだけど、謝って足を滑らしたら海へ放り出されるのだよ。軍艦も戦地へ急いでいるから、海へ落ちた兵隊の一人や二人ぐらい無視することがあったよ。用足しも命懸けだよ。
 現地へ着いたら一般兵隊は原野に畑作りだよ。私は、医務班として特別の所で、外傷治療をしているのだが、オーストラリア兵による奇襲があり、畑作りの兵隊は、銃槍で担ぎ込まれたよ。私も、「鉄砲の飛んでくるところで働きたい」と我儘を言ったが、上官により反対された。私は、この上官と馬が合わなくて、遂に殴ってしまったことがある。切腹を覚悟していたが、事情と私をよく理解してくれた別の上官により、切腹は免れた。しかし、二度と上官を殴るようなことは許されないと青白い顔で睨まれた。私は、切腹を免除してくれた上官を人間として軍人として、尊敬した。上官の命令に背くことは絶対許されないことだ。それを許してくれた。
 その頃の医師の仕事といえば、外傷の治療や壊死した足の切断を濃厚なアルコールを兵隊に飲ませていかに早く切断するかであり、足の切断はいかに素早く切断するかが医者の腕の見せどころであった。食糧事情も悪く、マラリアで倒れる兵隊が多くなり、キニーネも消毒液を始め医薬品も不足しており困り果てたものだ。そこで遂に天皇陛下の玉音放送で日本の敗戦を知った。
 それからが大変であった。私の連隊は運良く日本へ帰れることになった。しかし、軍国主義に洗脳された兵隊たちは、日本の敗戦を認めず、帰還船が来ても敵兵と戦うと言い放った。帰国の説得は、殴り合いでもしなければ兵隊は乗船しなかった。オーストラリア兵の奇襲も激しくなり、もう一度、生きて日本へ帰ろうと説得に必死であった。「さらば、ラバウルよ!」と皆は大声で泣き叫んだ。
 船は日本へ急いだ。用足しは例の船底の丸太二本であった。戦争に負けて帰るほど危険は多く、海へ足を滑らしたら、もうその兵隊は顧みられなかった。
兵隊たちと泥と血と汗の触れ合い、飢餓に苦しむ毎日を思い出すと涙が出て止まらなかった。もう生きて、祖国日本へ帰れる日はないと、私も兵隊たちも思っていた。戦争に負けたことにより、祖国は今、どんな状態か、想像もしていなかった。長い航海の末、再び日本の土地を踏み、半壊の病院を元に戻し、診療に忙殺される日々がまたやってきた。
 平和になった今でも帰還兵と当時の苦労を話し合うし、帰還誌や兵隊の手紙が多く配達されるが、診療に追われ、もう一度現地で、戦死した兵隊の御霊を拝み、遺留品があればどんなものでも祖国へ持って帰ろうというグループもたが、医師とは悲しいもので、郷里での仕事に忙殺され、心を痛め断った。
戦後生まれの諸君、男同士の友情は戦地を生き抜いてきた者同士しか分からぬものだ。こんなことを言う私もまだ脳の半分を軍国主義が染めているのだ。戦後生まれの平和主義者にはなかなかなれないものだ。


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投稿者: 大橋医院

2014.01.16更新

私の左腕は、昨年、橈骨神経麻痺で地獄であった。
今年になり、回復を目指し、
2日前より絶好調、

"やるぞ!頑張って診療、往診、勉強するぞ"

""勉強会には出席しまくり、患者のためなら火の中、水の中、"

ともかく、私は、今年も、頑張るのだ。!!!

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投稿者: 大橋医院

2014.01.13更新

投稿者: 大橋医院

2014.01.07更新

今日は、天国見学合格試験の発表日だ。長年、在宅尊厳死、介護施設の看取りに尽力を注いだ全国の医師から、
天国見学船に乗車できる資格発表日だ。
 私も過去に在宅や施設で苦労した患者さんが、今、天国で、幸せに暮らしているか心配で、この試験に応募したのであった。
試験は300問、3日間にわたって行われ、20人が合格した。難問であったが、よく合格したものだ。文章問題がほとんどであり、
各医師の臨床経験も合格に大きく影響した。私は臨床経験の文章が特選で、低い合格率をクリアした。
 試験会場は四谷霊園であり、試験管のりーダーは閻魔大王、虎のような目をして、受験生を睨んでいた。幾多の困難はあったが、
8月15日のお盆の日に、合格者は天国行きの船に乗ることができた。その船は、墓場から沼地へ進み、どんなエネルギーかわからぬが、地下の暗闇に吸い込まれたのである。そこは太陽こそ降り注がないが、どこからともなく、薄青の光が視野をおおっていた。
閻魔大王は私に、逢いたい個人を4人列挙しろと言った。私は、地上でお会いした4人のお名前を蓮の葉に書いて、黙祷した。

<症例1>その老婆は左目に鶏卵大の腫瘍が有るにも関わらずいつも笑っておられ、家族は"絶対に苦しめないでくれ"と絶叫しておられたが、彼女は臨終まで笑っていた。天国で再会した。左目の腫瘍は、消失しており、お花畑で草の輪をいつまでも楽しそうに作っていた。幸せそうであった。
<症例"2>その老婆は、意地悪で、銀行泣かせだが、アパート経営をしていた。優しさがひとかたまりも無く、友人はいなく、
私は、彼女が高血圧症がひどく、発作的に高くなるので、往診を繰り返していた。彼女がいつも嫌う道路越しの生鮮食料品の悪口ばかり聞かされていた。その会社が倒産したとき、彼女は大声で"倒産バンザイ万歳"っと言った。それから数日後、脳梗塞で急に他界した。彼女は天国でも、灰色の光に満ちた陰気なところで赤鬼に、お尻を打たれ続けながら、熱湯に近い水もかけられ、私に助けを求めた。私はその場は直ぐに去った。
<症例3>その老人は、有名な数学者であった。咽頭腫瘍になってから、在宅ホスピスを家族と患者さんと長い討論の末、自宅に死に場所を求めた。緩和治療を私が毎日、彼のご自宅まで通うことと、息子さんが医師であることが助けであった。二人で話し合いながら、ある夜明けの日に昇天した。あくまで紳士で、痛いとか苦しいとか、家族に心配をかけまいとしておられた。天国での彼を探した。彼をあれほど苦しめた腫瘍は消え去り、天国の学校の子供たちに、数学を楽しそうに教えていた。
<症例4>その40代の男性は、髪結いの亭主で、朝から晩まで飲酒を続けた。夢は本屋を自営することだったが、どこの金融機関も彼を相手にしなかった。ますます飲酒量は増え、子供たちの夕食の卓袱台は、ひっくり返すし、家族もこの男を相手にしなかった。大量の吐血があり、私は往診に呼ばれ、中核病院でへ搬送されたがまもなく死亡した。葬式に行ったが、家族は泣いていなかった。彼は天国で何をしているか探しに行った。夕焼けのような薄暗い光の中で、相変わらず彼は酒を飲み続けていた。そして、
吐血が頻回に起きて、もんどりうって苦しそうだが、誰も見ていなかった。彼は家族を苦しめた分だけ、吐血、転倒、骨折を合併し、
飲酒を続けるのであった。

閻魔大王のお許しで再び、当院の診察室に、私は診療に追われている。

皆様ももうすぐに天国ツアーが体験できるであろう。やはり、生きている今を誇りに持てる生活をしないと天国も厳しく、
楽園ばかりでは消してないであろう。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2014.01.06更新

小生は61歳に今年でなる。後厄である。
故に、神社に後役払いに行った。
神主は大変、忙しそうであった。
準備、お払いが大慌てである。
私の頭の上に風がよぎるような、お払いが行われた。
祝詞も早口であった。
あっという間に、後厄祓いが終わった。
お守りや、御札はもらたが、あんなことで後厄が除かれたのであろうか?
この1年間が不安である。どうか無事であありますように。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に、全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

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