2020.04.30更新

スパイ大作戦:いかんがな!なお自動的にこのテープは消滅するやなんて!そんなたくさんの命令,覚わらんがな!メモさして下さいよ!あーもう、燃えてしもうた。おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.04.30更新

逃亡者:あなた、逃げてばかりいないで、何?ジェラード警部が怖い、しかし、今は、Stay Home と言って 家にジッとしてないといけない、ゴールデンウィークでもやで!

ジェラード警部が怖い?そんなもん知らんがな!あんた何しはったん?奥さん殺しで死刑やて?無実やて、マスクして、手洗いして!おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.04.30更新

ヘンリ少尉「サンダーズ軍曹、これらは蟻の形をしているが、Home Stayers といって、家の外、往来を歩く善良な市民を容赦なく、食い殺す集団だ。どこの組織が作ったのか、

サンダースやっつけてくれ、!」サンダーズ軍曹「わかりました。おーい、ケービー、リトルジョーンズ、ヘンリー、カービ-、、みんな戦闘準備だ!親玉はコロナウィルスだ!」おおはしおおはし

投稿者: 大橋医院

2020.04.29更新

https://www.youtube.com/watch?v=ZJKfmsuvGHg

チャップリンの街の灯:浮浪者のチャップリンは、街で恋した盲目の女性を治そうと、窃盗まがいのことをして、彼女にお金を渡します。

出所後、、視力回復した彼女に驚き、花屋の成功にも喜びます。そしてふたりは。。。。おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.04.29更新

新井俊一郎:原爆のむごさを語り続ける。

新井さんは13歳の時に入市被爆した。同世代の他の学校に通う子どもたちが建物疎開作業中に被爆したのに対し、新井さんが通っていた広大附属中学の生徒たちは食糧増産のため農村へ動員に出ていて無事だった。生き残ってしまったことに負い目を感じ、友人の墓に花を手向けることも出来ず、遺族の前からも隠れるように生きてきた。しかし10年前、当時の惨状を記録に残そうと、同級生と共に手記集を発行。農村動員を決めた学校の英断への感謝と亡くなった仲間への慰霊の思いを込め、中学校の構内に「謝恩碑」を建てた。ある日、亡くなった友人の兄から連絡を受けた。「ずっと恨んできたが、生き残ったあなた達も苦しんで生きてきたことを、手記を読んで初めて知った。すまなかった。」その言葉に「許された」と感じ、新井さんは涙が止まらなかったという。
このことが大きなきっかけとなり、証言活動を始めた。多くの命を奪い去り、生き残った人の心までも、なお苦しめ続ける原爆の惨さを伝えたい。体の無理を押して訴え続ける新井さんの強い思いを聞きとりたい。  私も母が長崎市で17歳の時、被爆をしており、大橋信昭も被爆者2世ということになります。ここにあえて藤島一郎の長崎の鐘を書きます。この歌はあまりにも被爆者には切なく、だから

藤島一郎は感情を抑えて、淡々と歌ったといいます。作詞「サトーハチロー」左曲「古関裕而」 

こよなく晴れた 青空に 哀しく思う せつなさよ うねりの波の 人の世に はかなく 生きる 野の花よ なぐさめ はでまし 長崎の あー長崎の鐘が鳴る

召されて妻は天国に 別れて一人 旅立ちぬ かたみに残る ロザリオの 鎖に白きわが涙 なぐさめ はげまし 長崎の あー長崎の鐘が鳴るおおはし
 

投稿者: 大橋医院

2020.04.29更新

ポンペイの使命:ポンペの医学伝習おおはし

 ポンペに課せられた使命は日本人に西洋医学、つまりポンペの学んだ医学を教えることであった。ポンペが偉かった点にうわべだけの医学術を教えたのではなく、物理、化学等のいわゆる基礎科目を含めて解剖学、生理学、病理学等の講義から系統的な医学教育を始めたことがあげられる。現在では医学部の学生が基礎科学科目の勉強からスタートするのは当然のことであるが、当時の日本では基礎科学の知識レベルが著しく低かった(ほとんどなかった?)ことを考えると、極めて困難な道を選んだわけである。 医学伝習においては西洋医学のイロハも知らない伝習生に言葉の壁を乗り越えて立ち向かわなければならなかったのである。教える側、教わる側の困難と苦労は計り知れない。この難業を若くして成し遂げたポンペの偉業は強く、高く称賛されるべきである。
ポンペのカリキュラム
 ポンペが長崎で教えた医学はポンペ自身の学んだものである。ポンペのカリキュラムが知られているが、明らかにポンペの出身校であるユトレヒト陸軍軍医学校のカリキュラムに準拠したものであることがわかる。採鉱学が含まれているのは長崎奉行の要望に応えた結果のようである。軍医学校の特徴である、理論と実地能力のバランスのとれた医師の養成が長崎にも受け継がれた。そのため内容は臨床的であり、しかも救急治療に直ちに役立つような実学であった推測されている。
ここでは一日わずか3時間の講義だが、最初は言葉の問題が大きく、後半の臨床医学の講義は一日8時間にも及んだ。何度も繰り返すが言葉の壁は如何ともなしがたい。オランダ語の堪能な松本良順、司馬凌海そして佐藤尚中は、昼にあったボンペの講義をもう一度夜復講して他の学生の理解を助ける努力をした。
ポンペによる医学伝習はそのものが日本ではじめての系統的なものであるが、医学教育の歴史から見て重要なはじめてがいくつかある。その一つが1859年9月(安政六年八月)に西坂の丘の刑場で三日間に渡って行われた日本初の死体解剖実習である。ポンペはその後も死体解剖を行っているが、その見学者の中にはシーボルトの娘お稲(楠本いね)も混じっていた。この解剖実習は簡単に実現したものではなく、その許可が下りるまでは、図版をパリから取り寄せた紙製の人体解剖模型(キュンストレーキ)によって説明していた。

投稿者: 大橋医院

2020.04.29更新

砂の器:国鉄蒲田駅の殺人事件で、手掛かりは、東北弁の「亀田」しかなかった。刑事は東北地方の亀田市に行って、無駄出張に終わった。しかし、言語学者によると、出雲弁を大阪から軽蔑してズーズー弁と言うそうだ。ズーズー弁は”かめだけ”であろうと”かめだか”であろうと、普通には亀田しか頭に残らないと分かった。そして被害者は、この出雲地方の巡査部長を長くしていた。しかし、ここにも事件を解明するものは無かった。この映画は1973年から1974年の10か月による松竹の全力をあげた映画であった。しかし、この映画において、ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子の秀夫(和賀英良)が放浪するシーンや、ハンセン氏病の父親の存在を隠蔽するために殺人を犯すという場面について、全国ハンセン氏病患者協議会(のち「全国ハンセン氏病療養所入所者協議会」)は、ハンセン氏病差別を助長する他、映画の上映によって“ハンセン氏病患者は現在でも放浪生活を送らざるをえない惨めな存在”と世間に誤解されるとの懸念から、映画の計画段階で製作中止を要請した。しかし製作側は「映画を上映することで偏見を打破する役割をさせてほしい」と説明し、最終的には話し合いによって「ハンセン氏病は、医学の進歩により特効薬もあり、現在では完全に回復し、社会復帰が続いている。それを拒むものは、まだ根強く残っている非科学的な偏見と差別のみであり、本浦千代吉のような患者はもうどこにもいない」という字幕を映画のラストに流すことを条件に、製作が続行された。協議会の要望を受けて、今西がハンセン氏病の患者と面会するシーンは、シナリオの段階では予防服着用とされていたが、ハンセン氏病の実際に関して誤解を招くことから、上映作品では、背広姿へと変更されている。ラストシーンにて、「秀夫は父親に逢いたかったでしょうね?」すると上司は怒ったように「当たり前だ!彼はもう音楽の世界にしか父親に逢えないのだ。今、彼は父親に逢っている」犯人の本浦秀夫は音楽家として絶頂期にあり、今、彼の最後の演奏「運命」を演奏後、逮捕する積りで刑事たちはいた。何とも哀しい話である。新型コロナ肺炎も、国民の偏見が強く、無事退院しても、家でジッと周囲の視線から逃げた生活を強いられている。こんな馬関な!私がコロナ肺炎に熱心だと、防禦服で駐車場で車の中に閉じ込めた患者を診察していると、ここは怖い診療所ですねtとうわさされる。これでは発熱患者は、放置しろと言うのか?私は発熱患者であろうと、ハンセン氏病であろうと真剣に診察する。そういう医学教育を受けに医学部を卒業し、医師の道を歩いてきたのだ!おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.04.27更新

コロナのワクチン(松田聖子さん、松本隆さん、盗作ごめんなさい)

コロナのワクチンを待ってて 遺伝子の解析の進歩の山頂がもう少し そして 秘密 右手に試験管 左手に欧米論文を 時間を忘れて読みふける 恋してみてる 馬鹿ね 読んでも無駄よ

顕微鏡覗いて 一心不乱よ  コロナ―のお薬を 少し待ってて やがて朝が 眠気の悪魔があなたにまとわりつく I love you so love you  もっと続けてコロナ患者が待ってるわおおはし

投稿者: 大橋医院

2020.04.27更新

岐阜県は、特に大垣市はPCR拒否だ!

僕は、この前、20歳の沖縄出身の独身患者が、37.5度から38度で4日以上苦しんでいるので,西濃の新型コロナ相談窓口へ電話したら、開業医へ行きなさいと言われ、何軒科の診療所を断られ、

当院へ電話してきたが、事務員は診察しますかと聞いてくる。「僕は医師だ。!困った人は診察する!」サー大変である。スタッフが浮足立つ、私は完全防禦でまず彼と車の中で問診を取り、どうしても

レントゲン情報が欲しいので、一般患者を非難させて、レントゲンを撮り、今はデジタルなので、すぐに結果は出る、患者はインフルエンザの検査も希望したが看護師の反対を押し切り実施する。インフルエンザではない、胸部レントゲンも、異常なし、解熱剤を出して帰そうと思ったが、どうしてもPCR検査をしてほしいというので、何回も断わられているのに、大垣市民病院へ電話した。受付からよろづセンターの役員が出た。紹介状をコピーしてください、それを呼吸器科の先生と相談して決めますとの返事、しかし、患者さんは納得していないから救急外来へ行ってもらいました。あらゆる検査をしたといわれるが、PCR検査は必要がなく、解熱剤を出すから自宅安静といわれた。それでも、彼はドライブスルーでPCR検査をやってくれる県があるから、東京でも行くと市民病院から帰ってきた。僕は、まだ、PCR検査を大垣市民が潜伏期かもしれないのでやらないのであって、、、患者さんはがっくりして帰っていった。この大垣市のPCR検査の閾値の高いこと、それに一般市民のコロナ肺炎に対する偏見おおはしは根強く、僕が月に到着したような宇宙服姿に驚いて、先生の診療所は、あんな患者さんが来るのかといわれる。今日の新聞にも書いてあったが、新型コロナ肺炎で無事、退院した患者さんのご家族、本人に対する偏見はひどいものだ。僕はこんな偏見には負けないで、診療をけて行きたい。どんな志を立てて医師になったのか?金持ちになろうではない!患者のいるところ,どんな所、どんな患者さんでも自分のできる範囲はきちんとやる。私は公務員ではない。むしろ公務員根性は大嫌いだ。頑張るぞ、僕も66歳、最前線の医師として活躍できるのに時間が限られちぇいる。幾つまで?負けない

投稿者: 大橋医院

2020.04.27更新

桃太郎 コロナ退治に:村人:「おーい、桃太郎!何してんだよ?そんな猿、キジ、犬まで連れてどこへ行くだ?」桃太郎:「今、新型コロナウィルスが世界中の人をいじめているので、

退治に行くんだ。」村人「どこへ行くのか分かっているのか」桃太郎「このキジが見つけてくれたんだ。ここから二晩船で行けば、新型コロナの親分とけらいがいっぱいいる”コロナ島”

があるんだ。犬も、猿も、キジも仲間になってくれるんだよ。」村人「桃太郎!マスクしないで、防禦服しないで、手袋はめないで、感染したらどうするつもりだ?」桃太郎「私も、猿も、

犬も、キジもわかってくれたんだ。そんな防禦服着てたら、動けないから、世界平和のために命を捨てに行くつもりだ!」村人「やめろ、もうすぐに、医学者がいい薬を開発してくれるかもしれない、

船から降りろ!」桃太郎「それは分かっているが、もう間に合わないんだ!さようなら」船は、あっという間に見えなくなってしまいました。それからコロナ島で、どういう戦いがあったのか、どの村人も知りません。しかし、嘘のように、新型コロナ肺炎はこの世から、姿を消したのです。今、地球上の人たちは,かつての幸福を手にしています。しかし、桃太郎グループはもう帰ってきません。

みんなで勇気を出し、コロナ島に行くべきであります。桃太郎、猿、キジ、犬の銅像でも作るべきです。おおはし皆さんどうですか?

投稿者: 大橋医院

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