2016.11.11更新

かばん

「往診迷路」
大橋信昭
突然、夜、電話が鳴り響きました。88歳のお婆さんの具合が急変したとのことです。院長は宴会の帰りでもあり、したたか深酒をしていまして、近くでも あり、私:往診カバンを自転車のサードルに乱暴に引っ掛けて出かけました。院長は場所がわかっているつもりなのでしょう。しかし、酒気おびであり、暗く、雨も降り出し、場所がわからなくなりました。たまたま、親切な人が、院長の困惑した様子を見て、「私の家に入り、地図で調べましょう。あー、道一本ちがっていますよ。私は、警察官です。先生の御苦労はよくわかります。」院長の顔色が変わったのを私:往診カバンは見逃しませんでした。深夜の飲酒往診は気をつけてもらいたいと思います。皆様も院長の酔っ払い往診を見たら一声、「気をつけてね」と声をかけてもらいたいものです。幸い、おばあさんも私も、大事にいたりませんでした。
 院長の、方向音痴も困ったものです。地図を調べ、ナビゲーターの変わりに看護師を連れて行くのですが、必ず途中、後ろから看護師が「先生、この道は違っていますよ。」といわれます。私:往診カバンはどこへ連れて行かれるやらいつもひやひやしているのです。
 今年ももう終わろうとしている、12月31日の夜7時頃でした。あるお婆さんが、「おなかが痛い、すぐ来てくれ。」との電話です。院長は「これは急性腹症だ」と大声で私:往診カバンをひっぱたき 、大慌てで、おばあさんの所へかけつけました。その家は、隙間風をやっと防ぐことができるように小さな丸太と板塀で囲ってあり、お婆さんは一人で暮らしていました。院長は、緊急処置の用意をしていったのですが、お婆さんは笑顔で「ようきてくれました。こたつにでも入り、暖まっていってください。」といわれました。一人暮らしで、寂しかったのでしょう。80歳の老婆と一緒にこたつの中に入るのを院長は嫌がっておりましたが、私はたたみの上で凍えていました。おばあさんも話し相手が、欲しかったのです。とんだ年末でした。

 ある、台風の夜、暴風雨、風は暴れまくり、木々は揺れ、看板ははち切れそう、道路は大洪水となっています。こんな夜、歩いている人がいるのです。馬鹿がいるなと院長はビールを飲みながら大笑いしていました。すると電話がかかってきました。「喘息で息苦しいから、すぐ来てくれ」との電話です。しかたなく院長は合羽を着て、 暴風雨の中あるいていきました。私:往診カバンはずぶぬれで強風に意識が朦朧としていました。院長も私も命がけです。
  ある宴会の夜、さんざん深酒をして、千鳥足で院長は帰宅しました。診察室で彼は、私:往診カバンの前でさっきから、めまい、吐き気がして苦しんでいました。その時、電話です。メニエール氏症候群のお爺さんからの電話です。「めまい、吐き気で苦しい」とのことです。院長も私も同じく苦しいのですが、自転車でふらりよたり、でかけました。私:往診カバンの中から点滴ボトルを荒々しく出しておじいさんの血管確保をして、院長は経過を見ています。院長もお爺さんも、めまい、吐き気が治ってきました。私:往診カバンも何度も言っておりますが、院長の飲み過ぎには注意してもらいたいものです。
 木枯らし吹き付ける、土曜の夕方、息苦しいから来てくれというお婆さんからの、電話です。院長と私:往診カバンは大慌てで出かけました。その木造長屋は2階建てで、北風により揺れているようでした。中に入りますと、一階にも、二階にも三部屋ありますが、名札がありません。苦しんでいるお婆さんが、どこにいるのかわかりません。「お婆さん、お婆さ ん」と長いこと叫んでいますと、隣人の人がやっと出られ、「そのお婆さんはそこの部屋ですよ。」といわれ、はいっていきますと、院長は3日も食べていない、チアノーゼ、心音、脈微弱、心不全と診断され、救急車をよび、入院の要請を中核病院に私を叩きながら叫んでおられました。1月後退院されました。「私は、ぽんびきで生活していました。もう働けませんから、実家 に帰ります。」といって帰って行かれました。北風がお婆さんの背中を、非情にもたたいているようでした。

 耳の聞こえないお婆さんと、目の見えないお爺さんが住んでいる家からの往診依頼は、困ったものです。お婆さんは、「お爺さんが何も食べられなくなった。」との電話で、院長は私を供に往診に行ったのですが、部屋に入っていきますと、耳が悪いお婆さんは、私共が来たことに気がつかず、晩飯を夢中で食べています。しかたがなく、目の見えないお爺さんのところへ行き、「どうしたのだ。」と院長が尋ねますと、「腹が減った」といわれます。仕方が無く、冷蔵庫をあけ、アイスクリームをかれは 食べさせていますと、やっとお婆さんは気がつき「先生、いつの間に、来ていたのですか」との返事です。私:往診カバンとしてもこんな情けない往診はご勘弁願いたいのです。
Shy-Drager症候群の患者を、最後まで在宅で院長が診察したのには、私:往診カバンも疲労の色を隠せなかったものです。少しずつ、症状が教科書通り、そろってきました。手のふるえ、 発汗異常、歩行困難、膀胱直腸障害、言語障害、寝たきり、褥創、突然の呼吸停止、私と院長は過労の余り、車ごと電柱に激突してしまいました。
 屋根は半壊、3畳一間に、老夫婦は暮らしていました。院長と私は、往診するたびに、いやな匂いを嗅がねばなりませんでした。その老夫婦は、腰巻き、さるまたを玄関から、表の電柱に干すのです。私どもは、往診するたびに、その猿股、腰巻きの匂いを嗅がねばなりませんでした。
 糖尿病、脳梗塞の左半身麻痺、寝たきりのお爺さんは、タバコ、お酒を辞めませんでした。院長が「このままでは、死にますよ。」とさんざん言っていたお爺さんは、タバコを吸いながら、静かに死んでいきました。何が、幸せなのでしょう。院長と私の往診迷路はどこまで続くのでしょう。

 

投稿者: 大橋医院