2016.11.20更新

くら2

<蔵のある家>
大橋医院 院長 大橋信昭

 その年は例年になく、雪が降りよく積もった。私が頼まれた仕事は寝たきりの母が息も絶え絶えであるから、家で往生させてくれという話である。介護保険制度も始まっていない少し昔の話になる。その家は旧家なのか、小高い丘の上にあり、雪を踏みつけながら往診依頼した息子さんの標札にたどり着くと、木戸がみえ、それを右から左へ、ギシギシ音を立てながら、開くとやっと庭が見られるのである。その家の奥に白壁で覆われた大きな蔵が私を圧迫した。
 蔵を見上げながら、やっと上り口に、60歳代にしては老け込んだ老夫婦が私を迎えた。彼らの母を診察して欲しいということである。中は以外に奥に広く、廊下、仏間、居間の向こうに暗い日の当たらぬ部屋があり、不自然にも幾重にも重なった布団があり、90歳は越した老婆がうごめいていた。息子さんが主に介護しているらしく、その妻はその老婆を見向きもしなかった。
 診察したところ、大腿部頚部骨折、褥瘡、寝たきり、廃用症候群で、認知症があり、会話は不可能でうなっているばかりであった。この年老いた息子さんが介護しているのか、おむつ交換も不十分で糞臭が立ち込めていた。私が聴診器を当てようとすると、両手が仏様を拝む姿勢で硬直しており、心音を聴取することさえ困難であった。
 「息子さん、私はあなたのお母さんに何をしてあげたら良いですか?」すると息子さんは悲しそうに、「こんな構えは立派な家だが、貧乏神が住み着いており、母には十分な医療を受けさせてあげることができなかったよ。数年前から床に着いたが、転んだり、発熱したり、苦しいと喚いたり、食事もほとんど取れないが見て見ぬふりをしていたよ。おむつを買ってきて下の世話は何とかしているが、風呂ももう何ヶ月も入らせていない。タオルで出来る範囲を拭いてやるのだ。」すると、横にいた彼の妻が怒ったように「医者なんかなぜ呼ぶのだよ!このまま見ていればいいじゃないか!私たちは、このばあさんにどんな目にあってきたと想っているのだよ。私は忘れないよ。」
 どう考えても、この老婆とこのご夫妻に不幸なことがあり、老婆の衰弱に関して二人の意見は全く違うらしい。息子さんは私による在宅尊厳死、お嫁さんは過去の憎しみから、おばあさんから背を向けているようである。何があったか知らないが、ともかく私はこう言った。「しばらく往診させてもらいます。医師としてやることはやります。お家での治療に限定して、最後まで診させてもらいます。」私が、なかなか閉まらぬ木戸に苦戦していると、息子さん夫婦の大声での罵り合いが聞こえた。あの立派な白い蔵は不自然だ。雪も激しくなりその日は帰宅した。
  私はそれからも往診を続行した。介護保険制度がなかった時代だから、もう老人の息子さんがオムツ交換までやっている可哀そうな姿を見ると、お手伝いせざるをえなかった。ともかく糞臭との戦いである。汗だくで介護のつらさを息子さんと味わった。老婆は泣いて、詫びるだけである。それにしても、何があったのか、彼の妻は姿を現さない。
 少しずつ、老婆の体は衰弱し、点滴も拒否されているから、心肺停止を聞いたのは往診を始めて、1月間も経っていなかった。死体という物質化した老婆はあらゆる苦痛から解放され、仏様のように幸せな顔であった。葬儀は自宅で済ませるという息子さんの話であった。
 私は納得がいかなかった。なぜあのご夫婦は老婆と何があったのか。お嫁さんの冷たさは?お通夜の日も雪は降り続けたが、私は白壁に囲まれた蔵のある家まで走り、木戸をあけて、「お参りさせてください!」とご遺体に焼香した。
お嫁さんはやっと重い口を開いた。「先生、どうして私がおばあさんを無視していたのか不思議に感じていたでしょう?それはね、私たちの大切な息子が幼児の時に、事故死したのよ。それは私たちのせいだけど、私たちが一番悲しいのに、すべて私のせいにして、決して許してくれなかったの!それから、ことごとく喧嘩が我が家に耐えなくて、どうしても私の義母とはうまくいかなかったのよ。」

 私は夜道を当院へ急いでいた。雪は容赦なく、私の方をたたいた。むなしさだけが私の心の穴を吹き抜けていた。立派な蔵なんて何になるのだ!人間の幸せって、仏になるしかないのか!

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

くら2

<蔵のある家>
大橋医院 院長 大橋信昭

 その年は例年になく、雪が降りよく積もった。私が頼まれた仕事は寝たきりの母が息も絶え絶えであるから、家で往生させてくれという話である。介護保険制度も始まっていない少し昔の話になる。その家は旧家なのか、小高い丘の上にあり、雪を踏みつけながら往診依頼した息子さんの標札にたどり着くと、木戸がみえ、それを右から左へ、ギシギシ音を立てながら、開くとやっと庭が見られるのである。その家の奥に白壁で覆われた大きな蔵が私を圧迫した。
 蔵を見上げながら、やっと上り口に、60歳代にしては老け込んだ老夫婦が私を迎えた。彼らの母を診察して欲しいということである。中は以外に奥に広く、廊下、仏間、居間の向こうに暗い日の当たらぬ部屋があり、不自然にも幾重にも重なった布団があり、90歳は越した老婆がうごめいていた。息子さんが主に介護しているらしく、その妻はその老婆を見向きもしなかった。
 診察したところ、大腿部頚部骨折、褥瘡、寝たきり、廃用症候群で、認知症があり、会話は不可能でうなっているばかりであった。この年老いた息子さんが介護しているのか、おむつ交換も不十分で糞臭が立ち込めていた。私が聴診器を当てようとすると、両手が仏様を拝む姿勢で硬直しており、心音を聴取することさえ困難であった。
 「息子さん、私はあなたのお母さんに何をしてあげたら良いですか?」すると息子さんは悲しそうに、「こんな構えは立派な家だが、貧乏神が住み着いており、母には十分な医療を受けさせてあげることができなかったよ。数年前から床に着いたが、転んだり、発熱したり、苦しいと喚いたり、食事もほとんど取れないが見て見ぬふりをしていたよ。おむつを買ってきて下の世話は何とかしているが、風呂ももう何ヶ月も入らせていない。タオルで出来る範囲を拭いてやるのだ。」すると、横にいた彼の妻が怒ったように「医者なんかなぜ呼ぶのだよ!このまま見ていればいいじゃないか!私たちは、このばあさんにどんな目にあってきたと想っているのだよ。私は忘れないよ。」
 どう考えても、この老婆とこのご夫妻に不幸なことがあり、老婆の衰弱に関して二人の意見は全く違うらしい。息子さんは私による在宅尊厳死、お嫁さんは過去の憎しみから、おばあさんから背を向けているようである。何があったか知らないが、ともかく私はこう言った。「しばらく往診させてもらいます。医師としてやることはやります。お家での治療に限定して、最後まで診させてもらいます。」私が、なかなか閉まらぬ木戸に苦戦していると、息子さん夫婦の大声での罵り合いが聞こえた。あの立派な白い蔵は不自然だ。雪も激しくなりその日は帰宅した。
  私はそれからも往診を続行した。介護保険制度がなかった時代だから、もう老人の息子さんがオムツ交換までやっている可哀そうな姿を見ると、お手伝いせざるをえなかった。ともかく糞臭との戦いである。汗だくで介護のつらさを息子さんと味わった。老婆は泣いて、詫びるだけである。それにしても、何があったのか、彼の妻は姿を現さない。
 少しずつ、老婆の体は衰弱し、点滴も拒否されているから、心肺停止を聞いたのは往診を始めて、1月間も経っていなかった。死体という物質化した老婆はあらゆる苦痛から解放され、仏様のように幸せな顔であった。葬儀は自宅で済ませるという息子さんの話であった。
 私は納得がいかなかった。なぜあのご夫婦は老婆と何があったのか。お嫁さんの冷たさは?お通夜の日も雪は降り続けたが、私は白壁に囲まれた蔵のある家まで走り、木戸をあけて、「お参りさせてください!」とご遺体に焼香した。
お嫁さんはやっと重い口を開いた。「先生、どうして私がおばあさんを無視していたのか不思議に感じていたでしょう?それはね、私たちの大切な息子が幼児の時に、事故死したのよ。それは私たちのせいだけど、私たちが一番悲しいのに、すべて私のせいにして、決して許してくれなかったの!それから、ことごとく喧嘩が我が家に耐えなくて、どうしても私の義母とはうまくいかなかったのよ。」

 私は夜道を当院へ急いでいた。雪は容赦なく、私の方をたたいた。むなしさだけが私の心の穴を吹き抜けていた。立派な蔵なんて何になるのだ!人間の幸せって、仏になるしかないのか!

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

<天国へのご招待>
大橋信昭
 昔から天国へ行けば、お花畑が一面に広がり、住人は苦痛も無く、ストレスもなく、平和な毎日が約束されていると聞いている。私は臨死体験で、天国から現実世界へ奇跡的に戻ってきた人達から、インタービューを受け、天国の現状をできる限り、皆様にご報告するつもりである。(あくまでも架空のお話であり、読者からの抗議は受け付けません。)
ご主人はは仲良し:「あら!奥様、御久し振り、ここで再会するとは不思議よね!あら、あなたの御主人、施設に介護度5度で、もうすぐに天国へくるという噂だったのに、何よ、隣の婆さんと接吻しているわよ。あなた、黙って見ていいの!何か言ってあげなさい!」「だって天国からどうやって主人を懲らしめるのよ?」「あそこに閻魔大王がいるでしょ。白い浴衣と三角頭巾を借りて、下界へ降りて“うらめしや”と脅かしてすぐに帰ってらっしゃい。」下界でお楽しみの接吻中の御主人が、幽霊の奥様を見て驚き、心停止をきたし、すぐに天国へ救急搬送され、夫婦げんか再現された。無制限勝負である。天国へ招待された夫は「助けてくれ!」
借金取り:「あんた、大阪のでもミナミでちゃんと言ったやろ!借りたもんは返さないかんのや。元金、十一の利息含めて、一千万、耳揃えて返してもらえましょうか!なんやったら、角膜、内臓、切り売り?あんたもう死んでたんや。そな、閻魔大王に頼んで、地獄で針の山で一働きしてもらえましょうか?」「堪忍してくれなはれ!天国にお金はありませんがな。借金は天国故に、チャラ!ではいけまへんか」「通用しませんがな。かつてミナミの鬼といわれた俺や、袋だたきさせてもらううで。」天国でも借金取りって怖いでんな。
赤穂浪士:「吉良上野介さん、いい加減にしてくだされ!あんな松の廊下で浅野の殿を意地悪するものだから、私らも恰好つかんかったんや。なんであんな意地悪したんや?」「大石殿、私も歳で癇癪持ちでね、故郷では名君と言われていたのだが、なんとなくあの若僧、いや失礼、浅野殿をからかいましてね。お互いもっと長生きできましたのにな。」「吉良殿、それにしても天国はありがたいですな。お互いにないはずの首がつながってますやろ。ありがたいですな。」「本当にありがたい」
##政治家:「毛沢東はん、天国では共産主義も、自由主義も、どうでもええことやありませんか?」「蒋介石さん、ほんまや、もう政治論争は懲りましたは、それにしても大勢の人を犠牲にしましたな、これからは、仲よくしましょう。私らは、多勢の犠牲者により狙われておりますから、二人仲よくこっそりとうまくやりましょうね。」天国での政治的紛争はありません。
#いやー久しぶりですな!平清盛殿。」「お元気ですか、源頼朝殿。お互い当時は源平合戦をやりましたな。私ら、今ではテレビ、映画、小説に引っ張りだこですな。お互い狭い日本で、何故あのような醜い争いをしたのでしょうか?あの当時の京都は、無政府状態で一般市民に迷惑をかけました。」「私も平家で暴れたのに、黒沢明監督の“羅生門”をみて涙を流していましたが、お互いに罪深き人間、今後日本が平和でありますよう、天国からお祈りしましょう。」

「結論」天国良いとこ、皆さん一度はいくところです。(完)

 

てんごく1

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

<水門川>
大橋医院 院長 大橋信昭

今日、大垣市の福祉会館の4階で、ある会議があった。会場に早く着いたので、窓を開けバルコニーへ出た。そこには水門川が一面に見渡せることができ、昔は桑名への重要な交通路として汎用され、今は桜の季節になると、大勢の観光客が乗る渡し船が停泊していた。私は、思わず俳句心が高揚し、二句、メモ用紙に書き込んだ。
“深緑の、水せせらぐ、水門川”
“深緑の、船は流れる、水門川”
久しぶりの俳句に私は大変機嫌がよくなった。
私は、50歳を超えるころまで、この水門川を、よく散歩したものであった。午後の診察を終え、夕食をすまし、運動靴に履き替え、スポーツシャツに着替え、私の診療所から、県道258号線にまで歩き、その後市民病院正門を素通りし、西に方向を変え、松尾芭蕉の銅像が立っている所へ、早足に到達する。この大垣市に俳句ブームを起こした松尾芭蕉に敬礼をする。その後ろには水門川が、大垣城を取り囲み、旧大垣市街を蜘蛛の巣のように流れているのである。その水は清らかで、透明でそこには藻が流れている。鯉も気持ちよさそうに泳いでいる。伊吹山の豊かな雪が地下水となり、大垣市はいたるところで湧水が出る。そして、水門川に沿って、さらに西へ歩くのである。のどが渇けば、いたる所に、湧水があり、給水には事欠かない。のどが渇くことは散歩中も私は知らないのである。やがて、西大垣駅に至り、やっと当院まで東へ散歩が続行する。春には桜が咲き乱れ、舞い、やがて悲しく散っていく。夏には木々は思いっきり背伸びをし、縄張りを争い、深緑のたくましい葉が灼熱の青空に、自己主張する。秋には、アポトーシスが始まり、あの緑の葉が黄金色に、赤や黄色に変身し、寂しそうな土にかえる。冬は木の葉を落とした大木が伊吹山からたたきつける木枯らし(大垣では伊吹おろしという)や吹雪に耐え、一年を終える。その間、水門川は、黙々と流れ続ける。時々、川底の鯉をカラスが狙う。ほとんど空振りである。
 昨日、水門川にそびえ立つ大木の根元に蝉が死にそうになっていた。天敵の餌にはかわいそうなので、葬ろうとすると、指に絡みついてきた。ここで短文を読んだ。「息絶えた,蝉を葬ろうとしたら、私の指に絡みついてきた。命のはかなさ、短さを考え、そっと土を盛り、土手を築き、天敵に襲われないように、できるだけ長生きをし、最後は、安らかにお眠りなさい。」(完)
すいもん

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

<春の里帰り>
大橋信昭


去年嫁にいったお春が、1年ぶりの里帰りだ。
父:「オー春、おとうじゃないか、どうした?そんなおっかない顔をして帰ってきたんだ、おとうは春が夏に帰ってきたと、
洒落をいう所だった。何があった?」
お春:「婿殿へ嫁いでも、彼は優しいのだけれど、義理のかあさんの意地悪なこと。お米柔らかしくして、風邪ひいたとき、
こしらえたけど、こんな水みたいなごはんは食べられねー、普通に炊いて持っていっても石みたいなご飯だ!掃除洗濯、何一つ間にあわないーな、この嫁は、どういう躾で育ったのか?近所に言いふらすだよ。風呂加減も熱いの寒いのほめられたことはない、針の筵の毎日だ。おとうには悪いがもう帰ってきてしまった。」
父:「そうかね、嫁ぎ先でそんな苦労をしていたか?どうだ?おとうが持っている毒入り饅頭があるから殺してしまえ!」
お春:「おとう、そんなことはとてもできない、いやだ」泣きじゃくるだけである。
父:「すぐに殺せと言ってはいないよ。1年間、我慢して、向こうのお母さんにお仕えして、近所とも仲良くし、母親からも、近所からもいい嫁だと、思われるとき毒を盛りな。信用されているから、怪しまれない。病気で死んだと思うさ。そうなったらお春も気が楽だ。わかったかい!1年の辛抱だぞ。」
しぶしぶ郷里に帰ったお春はよく働いた。よく気が付くし、義母はびっくり、飯はうまい、近所にも愛想がよい、いい嫁だという評判があっという間に広がった。
1年後の夏にお春が夏の熱い時におとうのところへ帰ってきた。
父:「どうだねあんばいは?」
お春:「おらーとても幸せだ。婿殿は優しいし、お母さんも娘のようにかわいがってくれるよ。近所の人も優しいし、こんなこと夢みたいだ」
父:「なんだか、お春は太ったね?ひょっとするとお目出度じゃないかね?ちょうど良い、去年、おとうが作っておいた毒まんじゅうがるから今が、義母をやっちまうチャンスだぜ!」
春:「飛んでもねい、おらー、嫁ぎ先で末永く幸せに暮らす気持ちだ。1年前の我儘はこの通り!許してくれ!」と土下座した。
おとうはにっこり笑って、これは毒饅頭じゃない、ただの砂糖菓子さ、少し脅かしすぎたね。なーに、どんなところでも1年、根を詰めて仕事がを必死で頑張れば、おめえの春が来るというもんだ。」
その後、お春は嫁ぎ先で子だくさん、婿さんのおとうもおかあもお春も、孫もよくかわいがったとさ。
hるい

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

<春の里帰り>
大橋信昭


去年嫁にいったお春が、1年ぶりの里帰りだ。
父:「オー春、おとうじゃないか、どうした?そんなおっかない顔をして帰ってきたんだ、おとうは春が夏に帰ってきたと、
洒落をいう所だった。何があった?」
お春:「婿殿へ嫁いでも、彼は優しいのだけれど、義理のかあさんの意地悪なこと。お米柔らかしくして、風邪ひいたとき、
こしらえたけど、こんな水みたいなごはんは食べられねー、普通に炊いて持っていっても石みたいなご飯だ!掃除洗濯、何一つ間にあわないーな、この嫁は、どういう躾で育ったのか?近所に言いふらすだよ。風呂加減も熱いの寒いのほめられたことはない、針の筵の毎日だ。おとうには悪いがもう帰ってきてしまった。」
父:「そうかね、嫁ぎ先でそんな苦労をしていたか?どうだ?おとうが持っている毒入り饅頭があるから殺してしまえ!」
お春:「おとう、そんなことはとてもできない、いやだ」泣きじゃくるだけである。
父:「すぐに殺せと言ってはいないよ。1年間、我慢して、向こうのお母さんにお仕えして、近所とも仲良くし、母親からも、近所からもいい嫁だと、思われるとき毒を盛りな。信用されているから、怪しまれない。病気で死んだと思うさ。そうなったらお春も気が楽だ。わかったかい!1年の辛抱だぞ。」
しぶしぶ郷里に帰ったお春はよく働いた。よく気が付くし、義母はびっくり、飯はうまい、近所にも愛想がよい、いい嫁だという評判があっという間に広がった。
1年後の夏にお春が夏の熱い時におとうのところへ帰ってきた。
父:「どうだねあんばいは?」
お春:「おらーとても幸せだ。婿殿は優しいし、お母さんも娘のようにかわいがってくれるよ。近所の人も優しいし、こんなこと夢みたいだ」
父:「なんだか、お春は太ったね?ひょっとするとお目出度じゃないかね?ちょうど良い、去年、おとうが作っておいた毒まんじゅうがるから今が、義母をやっちまうチャンスだぜ!」
春:「飛んでもねい、おらー、嫁ぎ先で末永く幸せに暮らす気持ちだ。1年前の我儘はこの通り!許してくれ!」と土下座した。
おとうはにっこり笑って、これは毒饅頭じゃない、ただの砂糖菓子さ、少し脅かしすぎたね。なーに、どんなところでも1年、根を詰めて仕事がを必死で頑張れば、おめえの春が来るというもんだ。」
その後、お春は嫁ぎ先で子だくさん、婿さんのおとうもおかあもお春も、孫もよくかわいがったとさ。
hるい

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

<春の里帰り>
大橋信昭


去年嫁にいったお春が、1年ぶりの里帰りだ。
父:「オー春、おとうじゃないか、どうした?そんなおっかない顔をして帰ってきたんだ、おとうは春が夏に帰ってきたと、
洒落をいう所だった。何があった?」
お春:「婿殿へ嫁いでも、彼は優しいのだけれど、義理のかあさんの意地悪なこと。お米柔らかしくして、風邪ひいたとき、
こしらえたけど、こんな水みたいなごはんは食べられねー、普通に炊いて持っていっても石みたいなご飯だ!掃除洗濯、何一つ間にあわないーな、この嫁は、どういう躾で育ったのか?近所に言いふらすだよ。風呂加減も熱いの寒いのほめられたことはない、針の筵の毎日だ。おとうには悪いがもう帰ってきてしまった。」
父:「そうかね、嫁ぎ先でそんな苦労をしていたか?どうだ?おとうが持っている毒入り饅頭があるから殺してしまえ!」
お春:「おとう、そんなことはとてもできない、いやだ」泣きじゃくるだけである。
父:「すぐに殺せと言ってはいないよ。1年間、我慢して、向こうのお母さんにお仕えして、近所とも仲良くし、母親からも、近所からもいい嫁だと、思われるとき毒を盛りな。信用されているから、怪しまれない。病気で死んだと思うさ。そうなったらお春も気が楽だ。わかったかい!1年の辛抱だぞ。」
しぶしぶ郷里に帰ったお春はよく働いた。よく気が付くし、義母はびっくり、飯はうまい、近所にも愛想がよい、いい嫁だという評判があっという間に広がった。
1年後の夏にお春が夏の熱い時におとうのところへ帰ってきた。
父:「どうだねあんばいは?」
お春:「おらーとても幸せだ。婿殿は優しいし、お母さんも娘のようにかわいがってくれるよ。近所の人も優しいし、こんなこと夢みたいだ」
父:「なんだか、お春は太ったね?ひょっとするとお目出度じゃないかね?ちょうど良い、去年、おとうが作っておいた毒まんじゅうがるから今が、義母をやっちまうチャンスだぜ!」
春:「飛んでもねい、おらー、嫁ぎ先で末永く幸せに暮らす気持ちだ。1年前の我儘はこの通り!許してくれ!」と土下座した。
おとうはにっこり笑って、これは毒饅頭じゃない、ただの砂糖菓子さ、少し脅かしすぎたね。なーに、どんなところでも1年、根を詰めて仕事がを必死で頑張れば、おめえの春が来るというもんだ。」
その後、お春は嫁ぎ先で子だくさん、婿さんのおとうもおかあもお春も、孫もよくかわいがったとさ。
hるい

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

「小生は父親である」
大橋信昭

小生は父親である。城でいう殿様みたいなはずである
それがどうなったのか?次女だけ今同居しているが、仕事は終わると
「ママ、ただいま!」である。この世に生命体として、人間として生存しているのは、ママよりパパの方が、繁殖という過程において、かなりのエネルギーを注ぎ、きっかけを作ったはずである。
 それがどういう現象であろうか?ママに日は、長女も次女も、素敵なカーネーションが届く。長女も東京から里帰りの際、「ママ、お帰りなさい」と、一直線に母親のもとへ走る。もう父親無用なのか?
娘たちと我妻はとても仲が良い。3人でひそひそ話をしているが、同級生がお茶会をやっているようなものである。
 長女はもうすぐ子が生まれる。小生は、やっと御爺さんになるのである。この長女とフィアンセの結婚も全くもってけしからない。二人の交際は、知らなかったのは小生のみである。ある日、大切なお話あると、長女から連絡があり、
婚約者を連れて行くから認めてほしいという話である。
すぐに長女はフィアンセを連れてきたが、二人の話はかなり進んでおり、彼女が医師として、病院に研修に入ったすぐに、このラグビー選手みたいながっちりした整形外科医と、すぐに恋人になったらしい。途中、母の死もあり、小生は悲しみのどん底になり、院長室に引きこもり、飲酒に悲しみを代償する日々であった。やっと、立ち直ったら、長女の結婚である。
 小生は長女の婿になる、このがっちりしたキン肉マンと、1泊二日でじっくり話し合った。喧嘩にはならぬが、話は全く2次元にも、3次元にも、共通点がないのである。まったくつまらぬ討論会となったが、20年も30年も、世代が違うから、仕方がない現象と思った。むしろ、長女をいたわり、生意気な女医の長女をよくコントロールしている。この二人を引き離すことは不可能である。すぐに結婚である。最近の結婚式は、両親というものは、子供たちに招待される御客さんで何の苦労もなかった。フィアンセの御両親は、岡山で、4代続く、医師の名門で、長男がもう医師として家の跡取りとなっており、次男のフィアンンセは整形の手術が趣味と仕事を兼ねており、休みは長女とデートをしたり、マラソン大会をしたり、うらやましい気楽さである。子供がもうすぐ生まれる、孫ができるという話も、細君からである。7月から8月にかけて、産後の休養を我が家の実家で取るらしい。その時に、長女夫婦とも仲良くなり、主役の孫ともしっかり触れ合いたい。医師である長女は首も座るか分からぬ孫を東京砂漠へ、連れて帰り、医師の修行と育児に励むそうである。婿殿の細かい優しさと寛大さがあるからこそ実現できるのであろう。
 さて次女である。薬剤師であるが、歩いて5分のところの調剤薬局に勤めている。一気に彼女の世間の評判は高まり、「お父さんにそっくりで、美人ですね。仕事もよく間に合います。」という話である。ここで、次女は大変機嫌を壊している。「お母さんにそっくりで、仕事ができます。」という話なら彼女は上機嫌なのである。仕事は忙しいらしい。小生も次女の調剤薬局に処方箋を出している。お客さんや、看護師さんから、「大橋先生の娘さんでしょ!」と言われるらしい。あっというまに不機嫌になり、疲れて帰宅するなり、「ママ、ただいま」から、小生がせっかく夢中になっているNHKスペシャルが4チャンネルに変えられる。実に一気に低級番組になり、小生は書斎へ引きこもる。次女とママの楽しい話し合いは無限に続行する。メール、電話を通して、妻、長女、次女、婿殿との連携はとても固いものである。次女にボーイフレンドがいるかどうかは全く小生には、知らされていないが、知る順番は家族の中で最後であることは予想される。
 小生は父親として、大変迫害を受けた印象を読者は持たれたようだが、誕生日にはみんなで、パーティー、プレゼント、「おめでとう」の合唱は聞かされるのである。お互いの都合のよい日曜日には、外出する。小生のお気に入りのベンツでドライブし、デパートで彼女らは、好きなだけ買い物をし、小生は座っているだけで高級料理が運ばれる。後片付けもしない。そんなときの彼女たちはとても機嫌が良い。しかし、請求書は小生の前に集められる。
 彼女たちの、ショピング、食欲が満たされると、帰路の車中は静かなものである。
こんな我が家であるが、幸福であると思う。いつまでも笑顔の絶えない我が家を作りたい(完)

ちおや

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

<左橈骨神経麻痺>

大橋信昭

 それは昨年の10月17日のことであった。私は疲れていた。外来を午前と午後、
必要あれば、在宅訪問診察、月曜日は准看護学校の講義(熱意を出せば、反比例して熟睡していく生徒は増加の一途、全員寝たら、私は帰るぞ!)火曜日はグループホームでアルバイト、認知症で、動き回り糞便をまきちらし、中にはパットの尿を大切に抱いて寝ている老人がいる。ここは理屈の通らない世界である。地球人か火星人か怪しいものだ。水曜日は、特別養護老人ホームの嘱託医として出かける。大垣市と神戸町の境である。綺麗な建物で6階建てであり、全員個室、10部屋でワンユニット、それが100部屋満員である。お風呂、リハビリ、喫茶店、食事、おやつも美味しいし、冷暖房完備、私は水曜日の午後を休診にして、100近い人の、往診、診察、処置に午後5時半まで明け暮れる。職員との話し合いや、家族との討論も含まれる。私はこの大変な仕事は、24時間、365日、当直体制になるのであり、大変なのだが楽しいのである。西濃地方を離れてはいけないことになる。木曜日は在宅の訪問診察で、時には救急車を呼ぶから、気が抜けない。
金曜日は介護認定審査会で、介護度を決める大切な仕事で私は委員長である。
 夜は勉強会が多く日曜日を含め、平日の各メーカーの宣伝まがいの勉強会、サークルでやる検討会になると、疲れは日増しに蓄積されるのだ.
 そこで10月17日の午後8時のことであった。披露も過度になり、私は書斎で、左腕をマクラに5時間熟睡したのである。午前1時に、家内が心配して私を起こすまで、夢の中であった。大勢の美女に囲まれて、愛撫を受けまくっていたのである。ところが、午前1時に家内が現実に引き戻すものだから、家内に「うるさい!」と脅迫したのである。ところが、その時気がついたのは、私の大きな頭の枕にしていた左腕が動かなくなっていたのである。私の左腕をどん底に落としたのは、夢に出ていた絶世の美女ではなく、私の頭であった。
 それからが大変である。左肘から指にかけて麻痺が起きているのである。私のこの頭の命令がいくらおきても、私の左腕はじっとしたままである。困った!多くの仕事を抱えながら、どうしたものか、朝まで呆然として、友達の整形外科医へ出かけたのである。
朝早くから、午前6時に友の診療所についた。待合室のおじいさんが「ここは午前9時からしか回転しないから、喫茶店でも行きなさい」と言われた。とんでもない、私は医師として働けるか、生活がかかっているのだ。
 あっという間に、午前9時は訪れ、私の友達の、尊敬すべき整形外科の先生での登場である。20分後、診察である。「橈骨神経麻痺だな。頚椎から来ているであろう。レントゲン現撮影をしよう。」。私は無抵抗にレントゲン室へ行った。撮影されたフィルムを見ると、第6頚椎の変性と、全般に頚椎の退行変性を読み取った。ゴルフのやりすぎである。下手なスウィングを無限に若い頃、繰り返したものだから、腰椎、頚椎はしっかり変性しているのである。友人の整形外科医は、良性肢位を保つコルセットを私の左腕にはめてくれて「まービタミン12の内服と、低周波によるリハビリだね」「数カ月掛かるだろうね?」「まー、この左手、上がれと念じることだよ。」と冷たく言い放った。それから、地獄のリハビリである。ビタミンB12を内服して、動かない左橈骨神経を低周波を、毎日、毎日、かける。3ヶ月かけても一向に、私の左腕は意のままにならない。正月を迎え、お仏壇、八万神社のお祈祷、お守り、お墓で土下座、「なにとぞ私の左腕を動くようにしてください。医師としてもう少し働からかせてください。」とお祈り続けた。
 正月も開け、診療に入り、私の左手はうまく動かなかった。仕事だけは続行した。ある神経内科の勉強会で、その専門医が全員あなたは脳梗塞だと言った。これが私をさらに憂鬱にした。絶望の中、私の診療所に、大腸癌を疑う患者さんが現れたのである。「先生、絶対検査してください!」と睨みつけた。検査日は明日。「分かりました。」とはいったもののできるであろうか?再び仏壇に土下座し、南無阿弥陀仏を繰り返し、数珠を左手にまき、「あすの注腸成功させてください」と亡き父、母に頼んだ。次の朝は容赦なくやって来た。患者さんも来た。ところが、不思議なことに、ふだんどおり注腸撮影は成功し、早期癌を発見し、中悪病院へ送ったのである。患者さんは感謝し中核病院からも紹介の手紙が来た。
 それからである。全く動かなかった私の左手は、血圧を測り始め、注射は出来るし、胃瘻交換、気管支カニューレ交換もできるのである。あの注腸撮影をきっかけに、わたしの左腕は復活したのである。医師として、人のために尽くしたことがきっかけで,私の左腕は元通りである。「オーご先祖様、神様、医学の教祖のヒポクラテス様、ありがとう。たった今から、医師として再出発だ!」

まひ2

投稿者: 大橋医院

2016.11.20更新

第六感 独田農

<第六感>

大橋信昭

 第六感とは、基本的に、五感以外のもので五感を超えるものを指しており、
現実では説明し難い、鋭くものごとの本質をつかむ心の働きの事である。

「虫の知らせ」午前2時、就寝中、なんとなく、一階の正面玄関へ向かった。
なんと、背の高い小太りの丸顔の眼鏡をかけた男が、鉄の棒で、当院の正面玄関を突破しようとしている。私は思わずその盗賊、いや強盗殺人と目があった。
彼は、咄嗟に近くに車を止めており、共犯と一緒に立ち去った。警察に電話しても「気を付けてください」、ガード会社は、「すぐに、5分以内に参ります。」
そっけないものであった。私が、犯人に殺されない限り、誰も助けてくれないことが分かった。それにしても、何気なく、玄関へ私が夜中の2時に降りていくことは、ご先祖様のおかげか、第六感というものかもしれない。

「予知」孫の誕生予定日は、8月5日であった。実家で出産するということで、我が家へ長女は里帰りしていた。まさしく、8月5日、彼女の陣痛は、始まった。しかもその間隔は短縮する傾向であった。産院へ彼女は頻回に電話していた。産院のナース、医師が来てくださいということで、婿殿の大切な妻であり、初めての子供でもあり、私は、慎重に産院へ彼女を妻と運んだ。ナースがいうことには、産道がまだ狭く、一日ぐらいはかかるかもしれない、という話であった。私は明日の診療もあるし、まず我が家で待機することにした。しかし、夜中の2時半に突然、初孫が生まれた予感がして、産院へ急いだ。ブザーを鳴らし、家族と連絡したら、今、初孫が出産したとのことであった。初孫を拝むことができた。しかし、何故生まれたと感じたのであろうか?第六感であろうか?

「なんとなく」その日の診療は感冒で混んでいた。私は感冒患者を、手早く診察していた。しかし、その患者は、私は何となく、診察を止め、超音波撮影を施行した。なんと、肝臓癌を発見した。すぐに中核病家へ搬送したが、あの大勢の感冒患者から、何故肝臓癌を診断できたか、謎である。第六感であろうか?

「準備」今日は、中核病院で、夜間の小児夜間当直であった。小児科は私の専門ではない。故に、あらかじめ、小児科の予習をしていくのである。その日はなんとなく、水疱瘡の初診患者が初診で来院する予感がした。治療方針、薬用量をしっかり復習して、急患センターへ出かけた。やはり、水疱瘡患者が来院した。予習は充分してきたので、自信を持って診療できた。これも第六感であろう。

「夜中のラブレター」初恋の女性に40年ぶりに逢った。ある公的職場である。当時の思いが私の方が強かったのか、すぐに17歳の高校生に戻った。話も挨拶程度で悔いが残った。何か話をじっくりしたかったと、夜、やけ酒を飲んだ。
すっかり酩酊し、突然パソコンに向かって、ラブレターを書き、千鳥足で郵便ポストに投函しようとしたが、ご先祖様が“やめなさい”と叫んだ気がした。
突然理性が戻り、ラブレターは破り、布団にもぐりこんだ。これは第六感ではないが、大変な家庭問題になるところであった。

「禁酒」最近疲れやすく、年齢によるものかと思えば、飲酒量が増え、肝機能悪化、酒癖が悪く、酩酊し、次女のパソコンを壊し、仏壇の前で裸踊りをしていたらしい。私は,覚えがないが次女からきつく叱られた。このままでは社会的犯罪者になると思い、断酒剤を服用して、アルコールと縁のない世界になった。第六感ではないが、酒のない世界は素晴らしく、読書、随筆がはかどり、救急患者にもいつでも適応できる。

以上私なりの第六感を考察したが、皆さん、ご経験はありませんでしょうか?(完)第六感

投稿者: 大橋医院

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