2013.07.30更新

<椿六十郎>

大橋信昭

 その侍は、山門の2階で高鼾であった。禄を求めて40年、いずれも長続きはせず、浪人生活にすっかり慣れ、ヤクザの用心棒で日銭が稼げたが、最近は
剣さばきがすっかり鈍り、剣も質流れになり、竹光となった。
 「腹が減ったな。ここ2-3日、水しか飲んでいない。明日は、百姓の薪割りでも手伝い、飯だけは食わしてもらおう。」そう言って、もう眠りに入った。
 なんだか下が騒々しい、城の若侍が、密談をしている。若侍の頭目が言うには、「この班は、汚職がはびこっている。その黒幕が大目付の菊井かもしれない。」
「お前のオヤジの代官は姿を消したそうじゃないか!」「あのマヌケ顔の代官は大目付の菊井のところへ閉じ込められているに違いない。」「よし、あの代官を助け出し、大目付の汚職を国に直訴して、この班を清潔な世界に導くのだ。」「よし、やろう、みんな!」9人の若侍は、武装して、大目付宅へ急いだ。
 この話を聞いていた、椿六十郎は、これは絶好の儲け口と気がついた。
 先に、大目付宅へ、先走り、この若者の反乱をネタに飯と酒代を稼ぐのだ。そっと、山門から降りた椿六十郎は、菊井の門を叩いた。「開門!急ぐようだ!」
門番が出て、「なんだ、浪人ではないか、今、忙しいのだ」「こんなうまい話を菊井に言ってやらないとえらいことになるぞ!」警戒して菊井は椿六十郎の話を聞いた。一瞬顔が青ざめた。「こんな話、ただってことはないな!」「ふん!」と六十郎を睨みながら、小判3枚を懐にねじ込んだ。「これで、数日は飲み食いに困らないだろう!」
 その後、大目付の悪事を国元へ直訴しようとした9人の若侍は、お縄となった。山門の上で、飯と酒でいい気持ちの椿六十郎は、数日、空腹ではなかった。「またどこかに、儲け話はないかのう?」竹光の刀を肩に背負いながら、
椿六十郎はこの班を去った。
 そんなうまい話がそこらに転がっているのはまれで、いつも水腹で、街道をやっと歩いていた。すると強面の侍が馬で駆けつけ、椿六十郎を取り囲んだ。
「貴様、目付の悪事を利用して前途有望な若侍をひどい仕打ちに合わせたな。事件は解決したのだ。神妙に縄に打たれよ!」腹も減り、剣術も衰え、竹光の椿六十郎は、馬に引っ張られ、神妙に牢の中におとなしく入っていった。
「臭い飯でも、餓死よりはましだぜ」同じ牢の中に入っている連中に、鋭い眼差しを送った。これが椿三十郎の三十年後であった。(完)

投稿者: 大橋医院

2013.07.30更新

「還暦になたら」
還暦になったら、還暦になったら百人、友達作るんだ。

還暦になったら、還暦になったら素敵な恋をしましょうよ。

還暦になったら還暦になったら家庭は大切にしましょうよ。

還暦になったら還暦になったら女房は大切にしましょうよ。

還暦になったら還暦になったら、立派な医師になりましょう。

還暦になったら還暦になったら、医学の勉強頑張りましょう。

還暦になったら還暦になttら、、体を大切にしましょうね。


岐阜県大垣市の大橋医院の院長の大橋信昭は高血圧症、糖尿病、動脈硬化に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2013.07.17更新

<信念>

大橋信昭

 医師になり35年も、時間が経つと不思議な経験をすることが多い。

ある日流感の流行っている日、待合室は咳、鼻水、咽頭痛の症状の人だらけであった。その大勢の人の中に、この中高年の紳士は風邪ではおかしいとなんとなく思うのである。まるで神様が命令したように、腹部エコー検査をした。
肝腫瘍である。そこには何か悪性の病気の匂いがするのである。中核病院へ連絡を取った。

ある日、アルツハイマー病であると主張する娘さんがいた。確かにそのお母さんは認知も重篤である。そのままアルツハイマー病として、内服させてもいいのだが、急激な認知の症状と、言葉で表せない表情が、脳血管障害を疑った。もちろん、麻痺もなく神経症状もない。中核病院の病診連携室の事務員はその日、悲鳴をあげて忙しそうだった。「先生、アルツハイマー病の痴呆の評価ならまず、脳神経内科の問診を受けてください、」と荒い声が帰ってきた。「いや、どうしてもアルツハイマー病ではないと思うのだよ。脳血管が絡んでいると思うのだ。」強引に私も、至急のMRIを施行してもらった。やはり、硬膜下血腫であった。緊急手術となり、夜の8時に、部長から電話が鳴った。「先生、ありがとう、今手術が終わりましたよ。」次の日の昼休みに見舞いに行った。全く老婆は別人となり、笑顔で私と握手した。娘さんが嘆いていた。「急に元気になり、じっととしていないし、すぐに退院だそうだけど不思議ね。二日前とは別人なのよ。」帰宅の道中、医師として嬉しかった。あのまま、認知症で放置されたら、今の幸福な世界を彼女は知らずに終わってしまったかもしれない。

ある日、元気の無いご円さんを診て、いつの間にか注腸撮影をして早期癌を発見していた。今も元気で、お経さんを上げている。
絶対に、病気は見逃さないぞという信念をいつも持っていれば、医者冥利につく仕事ができるものだ。私も、患者さんも会えば、いつも笑顔でいられる。

岐阜県大垣市の大橋医院の院長の大橋信昭は高血圧症、糖尿病、動脈硬化に全力を尽くします。




投稿者: 大橋医院

2013.07.17更新

http://www.ohashiclinic.com/blog/blog01/

今日は午後特別養護老人ホームに診察にいきます。
これは楽しみで、お目当ての看護師に逢いにいくのではありません。
病棟ワークですよ。

胃瘻交換、看護師との討論、介護士、栄養士、理学療法士と触れ合えるからです。

投稿者: 大橋医院

2013.07.09更新

私の街の中核病院で担当者会議が行われていた。
担当者会議は退院にあたり、病院の主治医、これから在宅で面倒を見るかかりつけ医、訪問看護ステーション、
ケアマネージャー、介護士などがつまり、今後の在宅プランを話し合うのであった。

その患者は、誤嚥性肺炎で入院し治療の結果、やっと退院の目処が立ったのである。
ケアマネージャーが司会のもと、退院後、それぞれの役割を確認した。

病棟担当医師は「今回の患者さんは主治医と家族で看取りでお願いします。嚥下は年齢的に機能不全ですし、
いつ肺炎を起こすかわかりません。ペースメーカーは定期的に受診してください。膀胱の排尿機能は皆無に近いですから
定期的にバルーカテーテルを交換してください。」
私は思わず奥さんに言った。「看取りってわかってらっしゃる?何もしないで、自宅で奥さんと私が最後の息を引き取るところを
見ているっていうことだよ。」奥さんは「とんでもない!今主人に先立たれたら、私はどうなるのですか?」

こな話では看取りができるわけがない。中核病医の先生に「また、救急車を呼んだらごめんなさい」

在宅での生活が始まった。
早速、発熱で往診である。細く電話がかかってくる。「今日、デイサービスに無事行ってきましたわ。主人の元気がとても良いのです。」別の日は「今日、私が何とか、お風呂に入れたんですよ!」

これじゃ、誤嚥性肺炎や転倒、心不全がいつこ起こるかわからないし、奥さんの頭にはご主人の命は永遠であるし
看取りは"Impossible"である。

岐阜県大垣市の大橋医院の院長の大橋信昭は高血圧症、動脈硬化に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2013.07.08更新

前略。全国の皆様。大橋信昭です。

わたし、突然、この世に未練を持ちまして、禁酒したいと思います。
禁酒を絶対やるとは言ってません。

1年続行した、ロングブレスダイエット(毎日、朝夕)と繰り返してきました。
一時ノンアルコールビールも続行し、3-4kg体重が減少したらと思ったら、

お中元でビールをたっぷり頂き、
1日に7缶、飲み続けたら1っ週間でもとのもく闇です。
大きいお腹です。

ダメです。そっと小さい声で"禁酒、低カロリー、運動、健康でありたと願う

サーいつまで禁酒は続行するでしょうか?

岐阜県大垣市の大橋医院の院長の大橋信昭は高血圧症と動脈硬化に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2013.07.05更新

「加賀藩」

加賀藩ほど世渡りのうまいところはない。
織田信長の家来であったときは、犬と言われるくらい忠実な部下であった。
秀吉の時代は、影ながらの友であった。
家康が東西の戦いを起こした時、じっとして家康の味方になった。

領土は120万石、秀忠、綱吉の時代にも、疑いの目が幕府から向けられた。
同僚の、加藤清正家、福島正則家はお家取り潰しである。
前田家は決して幕府に敵意のないことを証明するために、
120万石の富を、学問や芸術に注いだ。
前田家の奥さんは率先して幕府の捕虜になった。
参勤交代も初め、幕府のご機嫌取りに必死で、
長くその家を続けた。

岐阜県大垣市の大橋医院は高血圧症、動脈硬化、心不全に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2013.07.03更新

「黄色いスーツの老父」
大橋信昭

その黄色いスーツをいつも、おしゃれに着こなして、その町の人気者でいつも笑顔の老父と診察室でお逢いしたのは、お盆も近い太陽が西にやっと怒りながら眠りにつく頃であった。「どうされたのですか?」と問うと、「最近咳がひどくてね、一か月前からですよ。食欲もない。」付き添いの奥さんが「先生、主人は6kgも体重が減ったのですよ」と、心配そうに私を睨んだ。私は、初診患者として打聴診は行い、「胸部レントゲンを撮影させてください」と了解を得、右肺の大きな腫瘍と遭遇し、顔色を変えないように努力した。
「右肺に腫瘍がありますね。良性か悪性か、中核病院の呼吸器の専門家に診察を依頼したいのですが?」老人と奥さんは素直に私の紹介状をもち、しばらく中核病院の抗癌治療でお逢いすることはなかった。最近は良性腫瘍といっても、告知に近く、覚悟を決めていたようであった。それから2ヶ月後、当院に、黄色いスーツの老人は姿を現した。「いや、降参しました。抗癌剤はとても辛く、治癒率100%ではありません。私には無駄な治療のように思えます。先生が紹介してくれた専門医には、はっきりと治療を断りました。その後、勉強をしましてね、玄米療法と樹木の気を吸いながら、元気でいます。」「なるほどね、あなたの人生ですから、右肺の腫瘍の摘出手術と化学療法までして、重大な決心をなさいましたね。しかし、胸部レントゲン一枚撮らしてもらえませんか?」老人は快く承諾した。
胸部レントゲンをよく診てみると確かに摘出した右肺は綺麗になっているが、左肺にも手掌大の腫瘍を観察できた。電子画像だから、レントゲン画像はすぐに私とその黄色いスーツの老人の前に現れた。私は左の新たな腫瘍を睨んでいた。老人にも左肺の異常がわかったらしい。すると、老人は、「私は今、民間療法を勉強しており、今後無駄な医学的診察は止めてもらいたい。」と不愉快な顔をして診察室を去った。随分、お逢いできなかった。2週間後、黄色いスーツの老人は現れ、「咳がひどいからお薬をください。レントゲン撮影は止めてください。」と、その後、何回も現れ、咳止めのみを請求し、すぐに帰宅した。
しかし、このままではいけない。家族と話し合いたく、電話をして診察室に来てもらった。奥さんと娘さんが訪れ、娘さんが看護師であることを知った。例のレントゲン写真を見せ、右肺の癌を摘出しながら左に癌が再び現れたこと、痩せが目立つことを述べた。「おそらく癌は全身に転移しているかもしれません。」ご家族はやはり食欲も減退し、咳を時々激しくし、苦しそうなのだが、医療を拒否しているそうだ。「お家で最後まで、私に診させてもらえませんか?住み慣れた家で、私が訪問看護ステーションや介護スタッフとチームを作り、痛みの軽減を中心に治療計画を作らせてください。」
医療従事者が娘さんなので在宅で尊厳死をすることに理解をするのに時間はかからなかった。担当者会議がご自宅で行なわれた。私、ご家族、訪問看護師、ケアマネージャーによる今後の在宅治療計画である。最初はご本人が拒否していたが、我々をご自宅に迎え入れることにお許しが出た。
痛みはご自宅ではあまりなく、終始昔話に花が咲いた。趣味が歴史研究で蔵書は、本格的な文献的な考察本であった。
お孫さんが絵を書くのが趣味で風景画やおじいさんの肖像画があった。その絵がおじいさんの一番のお気に入りである。時間は、日々は流れ、おじいさんはいつの間にか昏睡になった。何も食べないし何も喋れない。在宅酸素だけは施行した。奥さんと娘さんはおじいさんの世話に夢中であった。ほんのわずかの水を口に含ませるだけであった。「奥さん、娘さん、よろしいですね。好きな部屋で拘束もなく、最後まで歴史の蔵書に目を通していたし、お孫さんとの触れ合いはよかったですね。」家族の反対は無かった。

ある秋を感じ始める、ひんやりとした夜におじいさんは息を引き取った。不思議に、奥さんも娘さんも泣いていなかった。お通夜に出席した。「奥さん、娘さん、頑張ってよ。」奥さんも娘さんも悲しむどころかを在宅の期間の感謝を私に述べ、これからの夢を語っていた。泣き顔、キリッとした顔、笑い顔を順番に見て取れた。そしてお棺の中のおじいさんを見させてもらったが黄色いスーツで立派に着飾り、笑っていた。何も死ぬときは病院や介護施設と決めてはいけない。住み慣れた家で、自由に、愛し合った妻と、可愛い娘さんとお孫さんと抱き合いながら、笑顔で尊厳死できるのである。

投稿者: 大橋医院

2013.07.01更新

大垣市民病院で夜間の小児の救急外来を昨日施行した。
小児の診察を初めて3年はなるが、勉強になることばかりである。
ほとんどの患者が感冒か腹痛か下痢かである。
しかし、必ず一晩で2-3例の患者さんが入院対象になるから
一例一例、真剣勝負である。
まず小児は可愛いが、39度の発熱をしていたら、解熱剤で済ませていいか、
入院対象かの見極めに全力投球する。
それにしても、小児を診察して、初心、研修医になったつもりでいる。
打診、聴診、望診、触診に全力投球をする。
神経症状もしっかり見る。
子供とのふれあい、お母さんやお父さんへの説明には時間を惜しまない。
基本的には小児の自然治癒力を大切にするが、医師はそこに少しお助けを入れることになる。
この小児診療を勉強し、続けることにより、私の医師の診察能力は広がるに違いない。

岐阜県大垣市の大橋医院は高血圧、動脈硬化、心不全に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

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