2020.06.29更新

DoctorX:を5本も借りて来ました。日本では、DoctorXみたいな女性の存在はあり得ないし、許される職場もない。手術などできる場所がない。ドラマか漫画ですね。しかし、勤務医時代、教授回診、縦制度,准教授、助手、医局長、白い巨塔みたいなものがありましたが、全く無視して、手術能力だけで病院を渡り鳥みたいに動けません。しかし、パンコースト症候群、生体ドミノ肝移植、遺伝性APTTアミロイドーシスなど、久しぶりに聞く言葉が出てきました。勉強になりますね。おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.06.29更新

狩猟民族 対 農耕民族:狩猟民族とは哀れなものである。農耕民族が、土をいじり、ゆっくりゆっくり、農作物を作り、領土を拡大していく。狩猟民族は、その農耕民族を馬鹿にして、無視して、狩猟に明け暮れていたら、知らぬ間に、農耕民族の土地は広大なものになり、

狩猟民族は、偏狭なところへ追いやられているのである。しかし、元みたいに、狂ったように、農耕民族に復讐し、世界の1/3ぐらいの領土を根こそぎ奪っていき、あっという間に崩壊する。また農耕民族は奪われた土地にじっくりとこそを据える。日本のアイヌ、インディアン

(先住民族)の悲哀と思える。おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.06.29更新

パッサージュ パリ:私は、NHKのパリのパッサージュに感動してしまった。

「パッサージュ」とはガラス屋根で覆われたアーケード街のこと。パリで最初のパッサージュが誕生したのは18世紀末。20世紀初頭、デパートの台頭によって一度はすたれたものの、古き良き時代の遺産として再び注目を集めている。

パッサージュの中で最も美しいといわれているのが「ギャルリーヴィヴィエンヌ」。古いガラス屋根の下、レトロなパリを存分に楽しめるウィンドウショッピングはいい。

18世紀後半から19世紀半ばにかけて当時歓楽街だったマドレーヌ教会からバスティーユ広場までの界隈にパリのパッサージュは数多く造られました。20世紀初頭からはデパートが登場し衰退したものの、私道が多かったため、そうしたパッサージュは100年近く放置されることに。その結果、建設当時そのままのまるでタイムスリップしたかのような空間がパリの片隅に存在することになったのです。

現在では改修もすすみ個性的な専門店と昔ながらの老舗が同居するとてもレトロでモダンな場所になっています。
現存するパッサージュはほとんどがセーヌ右岸中心部かルーブル美術館の北側、オペラ・ガルニエの東側に集中しており、パリの中心地でお散歩するのにピッタリな位置にあります。
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パッサージュは、鉄鋼とガラス屋根が使われているのが大きな特徴です。古いガラス屋根から降り注ぐ太陽の光。壁の彫刻、大理石の床面のモザイク模様、ネオ・クラシックの装飾の中を歩くと、まるでフランス映画の中に自分が迷い込んだかのような気分になれます。

このギャルリー・ヴィヴィエンヌは施設全体が国の歴史的建造物に指定されているだけあって通りを歩いているだけでも十分にパリの美しさを楽しむことができます。オシャレなサロン・ド・テや老舗のワイン店などが軒を連ねているので、時間があれば、是非回廊席でお茶を一杯楽しみたいところ。最高のパリでのひとときを味わえることでしょう。

私が驚いたのは、岐阜の柳瀬商店街みたいなものなのだが、商店以外、地下,2階、屋上すべて、隣、隣、、、すべて連なっている、一種の

村になっている。隣、2軒先、3軒先とは連続しており、ノックがあいさつである。向こう三件両隣というが、商店街が、各家に隣との境がなく、村になっている。これには驚いた。おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.06.29更新

あぶない刑事:恥ずかしながら、6月26日と27日に、「あぶない刑事」をはじめて鑑賞しました。

面白いですね!7作品、全部読みました。舘ひろしと柴田恭兵の名コンビ、しかも、ドラマがスピーディー、退屈しない、

仲村トオル、浅野温子、木の実なな、、、世界的な凶悪犯と真っ向勝負、しかし、柴田恭兵と舘ひろしは良く走ります。

かなりトレーニングをしないとあんなに走れません。しかも、最後は絶体絶命で、殉職したかと思ったらいきている?面白い!おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.06.23更新

「山の吊り橋:作詞:横井弘  作曲:吉田矢健治  歌手:三橋美智也

山の吊橋(つりはし)ア  どなたが通る

せがれなくした 鉄砲撃うちが  話相手の犬連れて 熊のおやじを みやげにすると

鉄砲 ひとなでして通る ホレ ユラユラ」おおはし

https://www.youtube.com/watch?v=nbSuqmATyQc

僕の大好きな歌です・

投稿者: 大橋医院

2020.06.20更新

ブラタモリ 一乗谷:驚きました!一乗谷、ブラタモリ、2019年2月の再放送、私のファンのは林田理沙アナも出てました。

すごいですね、全く近代都市をあの山深いところに、作っていた朝倉氏には敬服します。同時にあれを壊滅、焼き払った信長が憎いですね。

妹のお市の方を浅井氏に嫁がせた信長ですが、浅井、朝倉の関係も歴史が古く、浅井、朝倉連合軍により、一時命がけで岐阜へ逃げ込んでいます。逆襲でしょうか?しかし、大勢の人の血が流れたでしょうね。信長は、人を殺しすぎますよ!秀吉になると、談合というか、少し穏やかに国が秀吉のもとに転がるのですがね。信長がいなかったら、またどんな日本になっていたかわかりませんが、一乗谷を復元、ご苦労さんでしたね。今日は歴史と林田理沙アナに見とれていました。おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.06.17更新

ことばを考える:ことばは単にコミユニケーションの手段ではない。私は、医学部生のころ、解剖学で、内臓をラテン語で覚えた。名前はあるが,実態はない。この内臓名はラテン語で無理に作ったものである。人間の体の内臓には名前はない。名前をすべての臓器に当てはめたのは、先人たちは大変であった。しかし、ことばは広辞苑に記載されているものがすべてではなく、日常、毎秒、毎時間、作られていく。

日本語は難解で、他人事と書いて、”たにんごと”と”ひとごと”と両方を読める。ことばを作るのは人間だけである。貴方の愛玩犬は”ワン”というが、しゃべってはいない。絶対音感の世界である。音の高さで考えている。鶯に私がホーホケキョと言っても、コミュニケーションは生じない。音の高さが違うから通じないのである。人はことばの高さが違っても同じと考える。多数の群衆と一人の人と同じ人と考える。例えば、リンゴが大小2つ、梨が大小2つ、あってもどれも、果物で同じと考える。典型的にはお金である。金で買えないものは無い。お金は

等価交換である。物とお金を同じにする。それどころか数学の世界では、a=bとb=aは人間は同じと考える。猿はクルミを朝4つ食べて、夜に3つ食べさせても不満である。人間は一日に7個と解釈できる。英語でThis is a pen.の aは、 This is the pen.と考えてみる。感覚的な言葉であるaは、頭の中のリンゴである。日本語はaも theもない。昔あるところにお爺さんが住んでいたの”が”は特徴である。同じにしたくなければおばあさんは洗濯にいくの”は”に限定してもよい。中国語を考えると“行”と書くだけで、行く、行かない、行けば、、、が含まれる。

帰省ということばは「帰って親の顔をみる」と解釈するが、最初は「親を自分の家に帰す」ということであったらしい。”重”も考え物である。”おもい””じゅう””しげ”ともよべる。日本語は感覚的な言葉である。文字は広辞苑を広げて調べるべきである。。重い。スマホで指だけで押して安易にすましてはいけない。人体は体を使わないと五感も退化するかもしれない。おおはし

 

 

 

 

 

 

投稿者: 大橋医院

2020.06.12更新

おおはし「イコール」  大橋信昭

 私は、中学の数学の問題を見て考えた。いわゆる代数学で認められた規則なのだろうが、x=2と仮定すると、問題文の最初に書いてあった。「=」という文字は等号とも呼び、「イコール」がポピュラーな呼び方であり、「イコール」の左右が等価であることを示す数式である。ここで屁理屈を言うと、“x”と“2”はあくまでも同じでないことである。数学という学問で決められた約束である。“2”は算用数字であり“x”はアルファベットである。これが世界の共通語と決めて、学問の世界でも、英語論文しか評価されないが、AからZまで26文字であり、小文字もあるが、たった26の記号で、乳幼児の読む「赤ずきんちゃん」から、世界のノーベル賞も取った論文も26文字で表現できるのである。その点、日本人は不便であり、ひらがな、カタカナ、漢字に至っては、無限で数えられない。この複雑な文字を使って、毎日、いや、時代により変化しているが、使いこなしている。広辞苑を開き、文字をじっと考えることもあるが、現代はインターネットであろう。言葉は、日々、いや秒単位で、今も東京の新宿で若者が新しい日本語を作ったかもしれず、定着するかもしれない。この複雑な思考を要する“x”と“2”が同じと考えろという数学の問題は暴力的である。暴力では学問になじめないので、
“=”という記号を持ち出す。
 学校の数学の問題は、時として諦めなければならない体験にあふれている。
ある教科書には(a)=(b)と仮定すると書いてある。間違っても(a)と(b)は“=”にしようという約束事である。屁理屈ばかり考えていると、義務教育さえ終了しないし、教員、友人、両親が心配して、精神科の医師に相談するかもしれない。数学は面白い学問であって、問題を数学者が一方的に作成し、解答せねばならない。その解答する過程の思考こそ数学であって、この私の解答は数学者の解答と“=”であってもうれしくもない。一時代過ぎ去れば、間違っているかもしれない。数学的に問題を考察している時ほど、快適な時間はないのであって、答が文部科学省の解答と“=”でなくても、楽しませてくれるのである。私事で恐縮だが、医学部の入試問題で、数学は我が母校は900点満点中、300点も欲張っており、5問しか出題しないから、一問60点もするものだから、数学が300点取れる能力を試す入試問題であった。もちろん、理科や英語、国語も、問題に入っているが、同じレベルの問題処理能力を訓練されてきた、受験生たちばかりだから、数学で博打問題でも,作らねば入学者を決められないのであろう。私は、5問中、4問まで解答できたが、問題出題者と考えが一致したが、どうも不一致しない問題が一問、残ってしまった。恥ずかしながら大学から与えられたメモ用紙が真っ黒になるくらい思考を繰り返し、この大学の生徒になれるのは、この問題をすぐに解答に数学のルールに逆らわず、正しい数学的思考から出題者の考えと“=”になるかである。私は普段、屁理屈ばかり考えているので、出題者の解答と“=”になったのは数学問題終了時間数分前であった。今の母校の生徒になれることを確信したのである。“=”には一苦労も二苦労もつきものである。

 

投稿者: 大橋医院

2020.06.11更新

「閉じこもりはいやだよ」最近、コロナ騒ぎで、ますます仕事終了後、書斎に閉じこもり、我が家の女性群とは口を聞かなくなった。これは私にない彼女達のバー小体(性染色体で、女性はXX,私はXY,XXの一つは不活化しており、細胞核に潜んでいるのが顕微鏡レベルで見えるのだ。)のせいであろう。私以外、不幸にも家族、職場、アルバイト先女性である。うらやましいかと思われがちだが、バー小体を忘れてはいけない。女性は超リアルに物事を考え、有り得ないロマンを妄想する私とは、一言も共有するところがない。がっかりする現実だが、昨日から私の書斎に引きこもり、前より集めた本の背表紙を眺める。膨大な本に楽しい。私は何故か吉川英治の「新.平家物語」を取り、平治の乱で敗れた頼朝が、東へ東へと敗走する中、垂井で吹雪に逢う所の文章を読む。父と兄とは、はぐれ一人ぼっちになる。これが幸いで、父親と兄は平家に捕まり打ち首になる。しかし、時間遅れで頼朝も捕まり打ち首直前に、平清盛の継母が、先立たれた子にそっくりで、せめて命は助けてくれと、伊豆への島流しになる。これが後に平家滅亡の原因である。バー小体のせいである。私は、この吉川英所の名文をわが家の掃除で忙しそうなバー小体を持った妻と娘に見せると、全く無視され、やがて憎悪の目で書斎から出るなと言われ頼朝の伊豆の島流しと重なる。男女差の深さを痛感する。最近コロナ流行のせいで女性は、マスクで顔を隠し、下心で観察しても、美女か醜女が分からない。バー小体を持たない私は患者さんが来院したら全力で診察するが、診察室から書斎に引きこもるのが一番幸せである。おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.06.09更新

物の理ものを理解する時に、どこかで止まる。もうこれ以上、進めない、理解できないというところに突き当たる。自分の考えにこだわり、
相手の考えを耳に入れない。全体の状況を考えて、多角的視点から、適切な判断を下せない。人は、自分のいやな事、知りたくない事、興味のない事に対して、その情報を無視しようとする。耳をかさない人に話が通じない。「話せばわかる。」「一生懸命誠意を尽くして話せば通じるはずだ、わかってもらえる。」というのは、幻想に近いのか。人は、知りたくないことに耳を貸そうとしない。人間は、そもそも関心がなかったり、信条的になっている状態では、話してもわからない。自分は正しくて、相手は正しくない。個人の間のコミュニケーションだけでなく、戦争、テロ、民族間宗教間紛争までたどりつく。互いに話が通じない関係は世に蔓延している。人は、自分の脳に入ることしか理解できない、学問が最終的に突き当たるのは、自分の能である。様々な意見が否定されないのは住みよい社会である。個性、独創性教育は、脳

や文明の方向性と矛盾する。本来、意識は、共通性を徹底的に追求する。意識の共通性を徹底的に確保する為に、言語の論理と文化、伝統ができる。伝統は、本来は、人間の知恵の集積である。個性を伸ばす事よりも、まず、他人の気持ちを聞き取れる、理解できるような教育の方が大切と考える。 現代人は、無意識、身体、共同体を忘れている。学習は身体を通した出力によって成り立つ。共同体の忘却は、共通了解の喪失を意味する。日本では共同体に機能主義が勝ってしまった。理想の共同体は、人間の理想の方向の結果として存在する。「理想の国家」が先にあるのではない。かつては「誰もが食うに困らない。」が理想のひとつの方向だった。今はそれが満たされ、理想がバラバラとなった。今、理想のひとつの方向と考えられるのは、「人生には意味がある。」という考え方である。人生を一言で言い切れると思っている。人生に唯一の答えがあると思っている。人生の意味は自分だけで完結するものではなく、周囲の人、社会との関係から生まれる。日常生活において、人生の意味を見い出せる場は共同体、社会しかない。人生の意味として今考えられるのは、共同体、社会、環境、周囲の人、である。社会適応性でしか測れない。何かの能力に秀でている人はいるが、別の何かが欠如していることが多い。現代社会は脳化社会、意識中心社会をおおはし作り上げ、肥大化した人間の脳は、言語や芸術、科学、宗教を生んできた。

 

投稿者: 大橋医院

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