2016.11.12更新

私が電話でおじいさんが動かなくなったから、来るように言われたのは11月5日の午前中であった。すぐに往診に行きおじいさんを診察したが、まず発熱を感じた。そして、驚いたのは、右半身麻痺、発語なし、嚥下障害、であった。左脳梗塞の急性発症であった。一般には、病院への救急搬送が思い浮かぶが、そのご家族は、私に、病院への搬送は止めてください。先生に任せますといわれた。在宅尊厳死である。すぐに訪問看護ステーション、ケアマネージャーを呼び、家族(妻、娘、孫二人、)を呼び、カンファランスを開いた。この会議で決まったことは、もういかなることがあろうとも、救急車搬送はしない、死亡診断書は私が書く、毎日、ナースと私と、ヘルパーが行き、それぞれのしごとに専念する。お互いに緊急時の電話番号確認、毎日500mlの点滴を腹部大腿部に皮下注する。絶飲絶食、お互いの連絡を密にするなどである。

しずかご私が娘さんに呼ばれたのは、ちょうど1週間前の11月5日であ家族のおじいさんに対する愛情があまりにも深く、少しでも水分をあたえようとするもので、誤嚥性肺炎になりかけ、発熱し、いつかは助かると信じておられ、その確率は0に近い、天国へ旅立たれるのをじっと見ていましょうと私は何度も言った。家族はすぐに涙をだし、医療チームは全力を出すし、もうおじいさんは決して苦しんでいないと私は言った。

ある日、娘さんが私に言った。在宅医療は素晴らしいですね。ナースもヘルパーも、一生懸命にやってくださいます。至れり尽くせりです。こんなありがたいことはありません。11月11日、そっと、おじいさんを見に行ったら、娘さんが、今、おじいさんが幸せそうに眠っています。嬉しそうでした。起こしちゃ悪いから帰るよが最後の会話であった。12日午前7時15分、お爺さんは、笑ったように昇天していた。いい在宅見取りであった。

 

 

投稿者: 大橋医院