2014.04.30更新

昨日は、休日であった。その前の日が西濃循環器奨励会で幹事であった。
昨今の医学、循環器は専門なのに、若い人にかなわない。プレゼンテーション内容も
わからないがEnglishで話すものだから、さっぱりわからない。
最近、私の書斎には文献を並べ、勉強しているが、学会がわからない。

さて、昨日はケーブルテレビが夕陽の三丁目を続編を合わせて、3本上映した。
上映時間は10時間近く、一日中、夕陽の三丁目の世界にいたことになる。
泣いた。この映画は泣ける、泣きっぱなしである。酒がないと観れない。
親子の愛、金より大切なもの、人の優しさ、感動した。
青森から上京した六子が次第に就職先に家族のようになりやがて過程を持つ、
売れない小説家が、ある社長の妾の子を引き取り、いつの間にか小説家として成長していく。
泣いたよ。.泣いたよ。今日本屋に行って最近の映画スターと映画の勉強をして、映画ファン復活だ。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2014.04.28更新

本来、科学というものは、審理を求めるという所に、純粋さがあり、
人間社会の泥沼とは無関係である。
ある自然現象を、科学の力で、数式化するか、写真に収めるか、
誰が何回、その通りやっても、その事実は再現されねばいけない。
昨今のSMaP細胞を見て驚く。理工学部という科学、審理を扱う学部である。
家賃を払わない熊さんと、大家さんの関係にちかい。
この寺家円は成功ですと、泣き叫ぶ実験者とき教室の冷たい態度を見ていると、
金色夜叉に出てくるダイアモンドに目がくらんだお宮と恋を信じ通した寛一が浮かんでくる。
私もいくつか、医学論文を作ったが、教授の意のままであり、真理を追究する純粋さは放置した。
教授と論文編集委員が"OK"を出さない限り、論文は通らない。きゅじゅの機嫌のよさにも影響する。
低気圧の日で雨の日は、論文を教授にもっていかないことだ。
これが「科学」である。

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投稿者: 大橋医院

2014.04.26更新



司馬遼太郎の「街道を行く」を読んで、
強烈に、歴史を追いかけて一人旅に出たくなった。
一人というのは、女房は、東京、大阪、福岡あたりの三大都市でお買い物旅行をしたがるに決まっている。
私は、そんな無駄な旅はごめんである。
私は、まず出雲に行きたい、大陸から渡来してきた民族が、琵琶湖の西を通って、奈良、飛鳥に都を作るあたり、
地酒でも飲みながら、歴史の謎を眺めたい。山陽街道を歩き、秀吉が信長の死を知り、泣いているとき、黒田官兵より、
「殿の時代ですよ」と耳打ちされ、明智光秀を追いかけたところへ行きたい。
幕末、蘭学を求めていかに長崎へ行ったか?ポンペイやシ-ボルトに会いたい。
途中、山口に入り、高杉晋作や、吉田松陰に会いたい。
薩摩まで足を伸ばし、西郷隆盛、私学塾、熊本城、西南の役を通りたい、やがて四国へ渡り、大久保により打ち首になった
江藤慎平、長宗我部一族、山内一豊を感じたい。
しかし、24時間365日体制、在宅医療、特養、学校医、介護認定審査会など考えたら無理である。
"雨は降る降る、神馬は踊る、越すに越されぬ田原坂"

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投稿者: 大橋医院

2014.04.25更新

「腕枕」:左腕を枕に、疲労困憊で午後8時より午前1時まで、寝ていたら、気が付いたtら左腕が動けなくなった。
左足は動く。早速友達の、整形外科医に診察を受けたら、加齢による頸椎の退行変性で、ビタミンB12の継続内服と
低周波によるリハビリに頑張りなさいと、冷たく言われた。
しかし、猛烈なリハビリで今は関知している。還暦を過ぎると、油断も隙ない。
「愛人」91歳の老人男性に愛人がいると、ヒステリーになっている88歳のおばあさんがいる。形成外科にメスを入れた膿瘍と
褥瘡があるので、訪問看護ステーションと介護士、ケアマネージャーに助けてもらっている。おばあさんおのお話を聞いていると、
2階に愛人が隠れているようで、おじいさんをじっと睨むと91歳で私は間に合いません、と返事が返ってくる。長高齢者の性の問題である。医師の仕事も範囲が広がった。
「在宅医療」どこかで、家で死にたい人があれば、往診して、死亡診断書を書かせてもらうという仕事である。一人ではできないので、訪問看護ステーションや介護士、ケアマネージャーの助けがいる。病院で死ぬより、何故、住み慣れた家で死ぬのが悪いのか?家族の受け入れ、経済的に医療費は安いが、地方の家族はみんな、お父さんもお母さんも働いている。絵に描いた在宅医療は不可能である。
「少子化」幼稚園の嘱託医、小学校の校医をしている。生徒が顕著に少なくなったので、中学校3年生の検診をゆっくりやっていたら、生徒の数が昔のように多く面食らった。早く済まして、往診に行こうと思ったが、日本の学童は捨てたものじゃない。立派であり、数も多い。USAの大統領が東京に来ているが、戦争をしないでもらいたい。戦場に行くのはこの子たちだ。

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投稿者: 大橋医院

2014.04.23更新

昨日の午前中の外来時間であった。
「主人が、4日も食べていません、往診してください」
何年も通院してくださったから、緊急往診に出かけた。
国道の裏に当たり、人一人見られない。ここあたりと見当を付けたが、わからない。
床屋のおじさんに効いてみたら「一本路が違っている、あそこを左へ入ってさらに狭い道があるよ。」
汚い屋根半壊の一軒飲み屋が乱雑に並んであって、その隙間に、老夫婦は住んでいた。
狭いウサギがやっと往来できる部屋にじいさんは住んでいた。
素早くバイタルをチェックしたが安定している。
経口医療用栄養品を置いて、「これを頑張って飲むんだ。」
お爺さんはうなづいた。この道は昔、中山道と言って栄えた道だが、今は幽霊街道である。
またも在宅看取りが増えた。なぜか帰りがむなしかった。

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投稿者: 大橋医院

2014.04.21更新

在宅尊厳死を今、厚生労働省が推進しているものだが、
1例、1例、看取るごとに私は、魂が抜け落ち、体力を使い果たし、
暫く動けない。在宅の場合は、担当者の中でも医師が先頭を切らねばならない。
そして、家族の痛みを誰よりも分かってあげなくてはいけない。

その症例は、閉塞性黄疸で衰弱著しく、もう1っ週間もこの世にはいない。
毎日のごとく往診、土曜の夜は苦しくて、苦しくて、往診鞄の鎮痛剤、安静財を全部、注射した。
痛みが取れるのは2時間、麻薬、ソセゴンを薬屋に電話注文した。
月曜日しか手に入らない。

その日の午前10時半に、お迎えが来た。必死であったために、消毒器と聴診器を亡くした。
聴診器は往復の道中、何度も落としたことを覚えている。死亡診断書を書くため焦っていた。
この家は義母、夫も看取りをしている。聴診器がないと外来ができないと苦悩していたら、
背中のどこからか、聴診器が飛んできた。振り返ると誰もその部屋にはいない。

さっきのご遺体があの世から舞い戻り聴診器を、放り投げてくれたのであろうか?
世にも不思議な物語である。

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投稿者: 大橋医院

2014.04.19更新

(この話は架空の出来事です。)

奈々枝さん、ご苦労さん、今は永遠の眠りについたから、仏様だもの、
もうこれかたは、何の苦労もなく、何の痛みもないから、いつまでも、
眠っていたり、お花畑で遊んでいても、誰にも叱られないよ。

だって、奈々枝さんはよく働いたものね。
食料品の店員として、朝から晩まで働き通し。
気が付いたら75才になっていたものね。

姑さんには、献身的に働き、介護保険のないときに、寝たきりになった
姑さんにはおむつの世話から、食事の世話まで、体を拭いてあげ、
近所にお医者さんがいたけど感心していたよ。

ご主人も大動脈瘤破裂で、緊急入院、その後もよく献身的に世話をしてくれた。
ご主人も寂しくなって、天国から呼んだんだよ。

いつからそんな黄疸が出ていたの。きっとあなたのことだから、周りに迷惑をかけまいと、
我慢していたんだろうよ。近所の医者さんは閉塞性黄疸で、肝胆膵合流部の腫瘍だといっていたよ。
まだ昨日だもんね。激しい苦痛で、全身に苦痛が駆け巡り、お医者さんが往診鞄にある痛み止め、
安定剤全部、注射してしまったんだって!今日は麻薬や元雄効果のある鎮痛剤を薬屋さんに
電話しまくっていたらしいよ。土曜日だから月曜日にしか手に入らないんだって。

そのお医者さんは外来診察をしながら、あなたを少しでも助ける方法を日曜まで、奈々枝さんのそばで
悪戦苦闘しようとしていたらしいよ。
そんなときにあなたの死を知ったらしいよ。
外来診察も途中で、看取りに行ったけど、あなたの安らかな寝顔を見て安心して帰ったらしいよ。
だってこれまでが苦労の連続だったし、へこたれたこと一つ言わなかったし。

もうご苦労さん、天国の閻魔さんも笑ってお迎えでしょう。ご主人やお姑さんといつまでも綺麗なお花を
摘んだり、きれいな小川で佇んだりゆっくりしてね。では、ひとまずさようなら。

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投稿者: 大橋医院

2014.04.18更新

私は、今日、急に岐阜県立岐阜高校時代の国語の授業時代の一生徒になっていてi、
机に国語の本を置いて、椅子に座り、鞄には参考書がいっぱいであった。
さー国語の授業が始まるぞ。緊張が走った。それは毎回行われる儀式めいたことが
終わらない限り、授業は始まらないのだ。
 それは、クラスの生徒全員で黒板を掃除するのである。黒板はぴかぴかである。
そこへ国語の飯尾誠太郎先生が入ってくる。驚いたように黒板を見る。そして必ずこういう。
「この黒板をきれいにしたのは誰だ!」全員でしたのだが、手を挙げる順番は決まっているのだ。
「黒田です」と手を挙げると、「よし、前に来たまえ!」
前に行った黒田君は頭をなでられ、ポケットから飴玉を取り出し「よく頑張った」と、
その飴玉ををもらえるのである。
 それでも授業は始まらない。これも順番が決められているのであるが、
「小笠原です。教科書を忘れました。」本当は鞄にしっかり収まっているのである。
飯尾先生は言った。「君、廊下で立っていなさい」と険しい顔をして言うのである。
それから3分、飯尾先生は窓から"後藤卵工場をぼんやり眺め、
「今、廊下に立っている、小笠原君について、どう思うか、大橋君?」
「彼は普段より勉強熱心でありまして、今日、教科書を忘れたのは、昨夜勉強しすぎて、
うっかりしたのだと思います。人間誰しも、謝り、うっかりはあります。彼も先生の講義を聴講したくて
たまらないと思います。許してやってください。」飯尾先生はにっこりして、「大橋、小笠原を教室へ
戻しなさい」そして、私は、楽しそうに廊下に立っている小笠原君を教室へ連れ戻すのである。
「先生、寛大な処置を感謝します」「大橋君にも礼を言っておけ!今度教科書を忘れたら後藤ひよこの工場の
上で立ってもらうぞ!」「わかりました」

 この一連の儀式が終わらないと授業は始まらない。私たち生徒はこれが楽しみであった。
毎回毎回、国語の授業前には生徒全員で黒板をきれいにした。誰か飴玉がもらえるからである。
ところがある日、飯尾先生は教室に入ってくるなり、黒板を睨み「そんなに飴玉を私は持っておらんぞ!」
その日の授業は厳しく、古典であったが、「123ページの5行目から7行目を大橋君現代語風に訳しなさい」
1行訳しただけで、「君の解釈はダメだ!」と叱られてしまった。

 当時進学校であった私の母校は、厳しい勉強の競争社会であった。でも友情は皆、深かった。
ある日、私の家で、いつになく夫婦喧嘩、両親の喧嘩が始まった。その喧嘩は長引き、ついに徹夜喧嘩となった。
私も徹夜である。早朝、私は母とまだ喧嘩している父に向かって「高校の授業があります。学校へ行かしてください。」
お許しが出て、授業に向かった。しかし、昨夜、一睡もしていない。朝から居眠り授業をすることになった。
早速、飯尾先生に呼び付けられた。
「君は、入学以来、真面目に勉強をして、成績はうなぎのぼりだ。この調子なら君の志望している医学部も入れるかもしれない。
昨日は、なぜ授業中、眠りこけていたのだ!」私はそれが両親の徹夜の喧嘩のせいだとは言えなかった。
下を向いてうなずくばかりであった。執拗な尋問についに「夫婦喧嘩で眠れなかったのです。」と言ってしまった。
母親との個別懇談との時、母は飯尾先生に叱られた。「夫婦喧嘩をしているようでは、真面目に成績を上げている大橋君が
勉強できないではないか!夫婦喧嘩はしないように!」
その後も夫婦喧嘩は続行したが、私の成績も医学部を受けてよいところまでになり、濃く高3年生になり、最後の飯尾先生の
国語の授業であった。
飯尾先生は突然、私たち生徒の顔を一人一人睨みつけ、歌いだした。
#ふけーば、飛ぶような、試験の紙にかけた青春を笑わb笑えーーーーー#
私が覚えているのはこの一説だけである。
村田秀雄の"王将"であるが、見事な替え歌であった。43年前のことであり、その後が出てこない。

"ふけーば飛ぶような試験の紙にかけた青春を嗤わば笑え"(完)

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投稿者: 大橋医院

2014.04.12更新

フランスのパスツールは、1861年に発表した論文で、
スープが腐るのは微生物が侵入し、増殖した結果であるとした。

多くの病気が微生物感染によるものと証明したのはドイツの
ロベルト.コッホだ。感染症には対応する細菌が存在することを
見出し、18880年には、結核菌、コレラ菌を相次いで発見した。

北里柴三郎の破傷風もコッホの影響が多い。
「学問に国境はない」

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投稿者: 大橋医院

2014.04.07更新

今日は、ぐったり疲れている。
昨夜、小児夜間急患センター(大垣市民病院)で働いたからだ。
最近はお父さんがなかなか納得してくれない。
100%のエネルギーで病気と治療方針で、やっとお帰りになる。
お母さんは120%の努力がいる。
へとへとになって、お母さんと戦う。
発熱は、抗病反応で、39度以上でも元気であればよろしいと言うのだが、
37度でないと納得しない。
40度が3っ日間続行し、溶連菌感染症の子供が来たが、インフルエンザ反応まで検査して、
水分補給、クーリングの重要性を説明し、前医の薬を飲むようにと長い討論があったが、
結局納得せず、二人目の若い小児科のsecond opinionを求めた。
小児の命の重要性は,分かるが、老夫婦を診察した方が気が楽である。

岐阜j県大垣市のお大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

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