2016.11.21更新

<私の女性恐怖症>
大橋信昭

(御注意:この文章は、現実とかけ離れており、文章が過激で、13歳以下の児童がお読みになる場合は、ご両親同伴でお願いします) 

私が幼稚園に通い始めた頃、近所に千佳ちゃんという同級生がいたが、よく手をつないで通ったものである。“この手をつないで”という行為は、小学校3年生以来、しばらく経験しなくなる。「のぶちやん(信昭の愛称)はね、お母さんが言ってたけど、ニンジンが嫌いなのね。私のママも言ってたけど、ニンジンを食べないけど偉くなれないのだって。あの、乃木将軍も頑張ってニンジンが食べれることが出来るようになったのだって。」なんだか叱られているのか甘えられているのか、彼女の体臭、口臭は甘かった。幼稚園でも遊び、一緒に帰り、話題は彼女がリードしていた。当時、銭湯が近くに入り、社交場になっており、私は母と一緒に入っていた。幼稚園児は女性側のお風呂出入りOKということである。私も5歳以下であったので、違和感が無く、母に介助を受けて入浴をしていた。そこへ、千佳ちゃんがオールヌードで登場である。「のぶちゃんも大きくなったのだから、お父さんと入らなければ、駄目よ!」頭を下げるしかなかった。このまま、千佳ちゃんと、幼稚園、小学校と通い続けるつもりであったが、父の仕事の都合で、転校となった。すぐに、千佳ちゃんの家に行ったが、
彼女は熱性疾患に罹患しており、頭部に氷枕をして、ぐったりしていた。彼女のお母さんが、今日はもうお帰り!と言った。転校後も何回か遠い道を千佳ちゃんに逢いに行ったが、お母さんはそれ以来、門前払いだった。
 私の小学校や中学校や高校時代の、女性との触れ合いなんて上記のごとくで読者には、迷惑である。幸いクラス委員に毎年、なっていたので、副委員長は美人で秀才と決まっていた。生徒会活動は、美人と活動することになり、とても楽しかった。中学2年の副委員長、すなわち同級生美女ナンバー1と、ある日、振り向きざまに、唇が触れたことがあった。ただし、これは事故であり、恋愛感情からくるものでは無かったが、私は暫く幸福感に浸れた。
高校に入ると、どうしても医学部に入りたく日夜勉強していたが、通学の市電の中で、私と視線をわざと合わせる女性がいた。毎日、繰り返している度に恋となった。電話をして、お母さんまで、説得して数回デートしたが、難しい文学論ばかり私はしゃべり、すぐに振られた。サー遅れた分、医学部入試の勉強が大変であった。
医学部になると、これが世の中ひっくり返った。薬学生、看護学校の生徒、女性に取り囲まれている雰囲気になった。1年生の時、クリスマスの晩、ある女性が私の下宿を訪れた。クラブの薬学生である。「私の悩みを聞いてほしい」と、体を私に摺り寄せてきた。私はそのまま、朝まで彼女の悩みを聞いており、そのままおかえり願った。残根な事実であり、二度と彼女は私に近づかなかった。医学部の3年から4年になると、看護学生や(当時)看護婦さんとの触れ合いが講義中、病棟でも多くあった。看護学生が私に看護雑誌に載せたいとインタービューに来た。貧乏学生の私を、看護学生が3人タクシーに乗せ、今夜ご一緒しませんか?と飲めない酒を無理やり強制した。酩酊が先行し、朝、下宿に着いたときは何も記憶が無かった。何もなかったのだろう。
医師になると、医師寮が与えられ、4LDKで一人は贅沢であった。毎日,寝る部屋を引越しした。目の前は看護師寮であり、東側は看護学校の寮であった。毎晩、ノックがあり、台所、リビングを勝手に掃除する女性が毎晩、交代で現れた。あっけにとられ、眺めているだけであった。当直室へ、突然入ってきて、私、悩みがあるの、聞いてくださると、唇と唇が重なりそうに接近する看護婦は降参だ。貞操は守ったはずだ。(馬鹿者!ここは男性ホルモンにまかせればよい)私の外来は、看護学生、看護婦が多かった。皆、風邪をひいていると言い、立派な、乳房が露見された。乳癌はありませんかという看護婦もおり、その乳房をしっかり触診せざるを得なかった。癌を見逃したら大変だ。
学校の検診もあった。女子専用の学校である。朝から昼、夕と中学生、高校生、や大学生の上半身と乳房を無限に見た。桃源郷の世界を歩いているようであった。
しかし、職場では、ルールがあった。おはようの順番である。まず婦長、次に主任、それから年代順、一番若くて、ピチピチの看護婦は最後だ。そんな環境で仕事をしているうちに、嫁をもらった。28歳の時である。これで持てなくなると思っていたら、産気づいた女房をよそに、これから、ご不自由ですねと接近してきた看護学生の朝までのパーティーに参加した。何人とキスしたか覚えがない。それから、人妻の看護師と真剣な恋愛に陥りそうであった。嫁さんが悪阻で苦しんでおるのに不道徳だ。これは支離滅裂な人間関係だ。転勤しかない。30歳位の時、病院を変わった。送別会、歓迎会でも、女性の体当たりは強烈であった。やがて、子供ができ、禿が進行し中年化が顕著化したとき、彼女たちのターゲットは次の若い医師に変わったようである。
今は開業して、院長となり、孫もできたが、相変わらず恋は続行中である。
しかし、これは、私の一方的幻想かもしれない。(完)

みずうみ

投稿者: 大橋医院