2016.11.19更新

<往診カバンは埃だらけ>   DR.NO 独田農 大橋信昭

 

<往診カバンは埃だらけ>    DR.NO

 私は往診カバンでございます。院長に購入され酷使されること17年がたちました。生まれたての頃は真っ黒の立派な表皮でしたが、今では埃だらけで昔の面影もございません。院長様、たまには私を掃除してください。さっぱりしたいものです。
 今日は、ある老人をめぐって深刻な話し合いが患者宅で行われます。私も同伴します。
 北風が敲きつけるその家は、木造の2階建てにあり,ひっそりと鎮まり帰っていました。一階に寝たきりのお爺さんと、お婆さんが、2階には若夫婦と子供たちが暮らしていました。お婆さんは、駅前通りに殆どお客が出入りしたこともない衣料品店を経営していました。お爺さんに朝食を与えて、来る当てもないお客さんを待つのです。その店の2階には離婚して傷心した娘さんが寝起きしているのです。この娘さんは魂が抜けており、老夫婦の年金の余ったお金で最低限の生活をしておりました。表に出ることには恐怖心を抱き、4畳半の天井のみ、見ていました。
 お爺さんは、もう寝た切り、ベット上で排泄物は垂れ流し、もう昼か夜か、春か夏か分からなかったのです。ただお婆さんは「主人は私だけが頼りで、いつも一緒でなくてはいけなく困ったものです。」と言われます。
  私は往診カバンでございます。院長に購入され酷使されること17年がたちました。生まれたての頃は真っ黒の立派な表皮でしたが、今では埃だらけで昔の面影もございません。院長様、たまには私を掃除してください。さっぱりしたいものです。
 息子さんも、生活に追われていました。運送業といえども厳しい世界で、朝も、昼も、夜もない生活です。お客さんの商品を要求のまま運びわずかな利益を得ていたのです。それではやっていけませんから、もっと多くのお客さんの要求にも応えねばなりません。寝る暇もないのです。奥さんもパートに出ていましたが、お爺さんの具合の悪化、お婆さんの痴呆が忍び寄り、狭いお自宅でお二人の世話に限界が来ていたので今井はお爺さんにのお客さんの要求にも応えねばなりません。寝る暇もないのです。奥さんもパートに出ていましたが、お爺さんの具合の悪化、お婆さんの痴呆が忍び寄り、狭いお自宅でお二人の世話に限界が来ていたので今はお爺さんに付き添っています。お孫さんたちも、アルバイトに出かけますのが、自分達の生活費に消えていくのです。
 ここに介護制度があります。今日、ケアマネージャー、私、訪問看護ステーション、ヘルパーなどと家族全員が集まり、話し合いました。院長は、会議の主導権を強く珍しく怖い顔をしておとりになりました。みんなが集まれる機会はめったにございません。院長の言葉はいつもと違って冷淡に、何の修飾も無かったのです。
 「お婆さんが言うようなお爺さんのこの家での生活は家族全員が共倒れです。お婆さんが夢見ているほど、お爺さんは何も分かっていません。介護はプロに任せるべきです。幸い私は老人ホームの嘱託医です。お爺さんは、最初不安でしょうが、デイサービス、ショートステイを利用すべきです。このまま、在宅のヘルパー、看護師の支援も受けましょう。夫の介護を施設に任せることは恥ではありません。お爺さんもきっと慣れてきます。施設を利用しなさい。そこにはエネルギッシュな若い介護士が一杯います。何もかも面倒をみてくれ、しかも若い人のエネルッギーをもらい若返りますよ。これは近所に体裁が悪いなんて、間違っています。よし、今、私が施設に電話します。段取りを取りましょう。お爺さん、お婆さん息子さん夫婦、お孫さん、在宅で世話する人たち、みんな幸せな方向へ向かいます。施設にいる寂しいお爺さんのところへはお婆さんはいつでも行ってやってください。後は、私が何でも責任を取ります。このままではだめです。前向きに幸せの風をこの家に呼び入れましょう」
 とんとん拍子で、施設利用は決まりました。もう陰で、ののしりあうお婆さんとお嫁さんと、間で苦しむ息子さんの苦痛も減るのではないでしょうか?
 こんなご家庭が現実です。
 最近は私も院長もターミナルで疲労の極致に何回かなりました。
 少し告白させてください。プライバシーは守るように書きます。不愉快な人は読まないでください。

 彼は裁縫職人として知られていました。ひたすら、針と糸と布地に戦いながら何十年と畳に座り続けたのです。
 80歳を超え、彼は体力の低下を感じ、当院を受診しました。肺の進行癌でありました。家族は「最後まで、自宅で仕事をさせてやりたい。助からないなら、彼の好きな仕事をできるまでやらせてやりたい。助からないなら彼の好きな仕事をできるまでやらせてやりたい」ということを言われました。しかし、病気は進行し,寝たきりになり、何も食べられなくなり意識混濁となりました。一日1000mlの補液で、最後の瞬間を私と家族は待っていたのです。不思議なことが起こりました。
 脳死になっているのではないかと思われる彼が昇天直前、「先生、ありがとう」と言って笑顔で息を引き取りましたのです。科学では解明できない現象でありましょう。

 彼女は胆管癌で黄疸も出現、苦悶は極限に達していました。どんな鎮痛剤も彼女の苦痛をやわらげることはできませんでした。あまりにもの悲惨さに院長は救急車で中核病院に入院させました。モルヒネで昏睡にさせたのです.しかし、ほんの意識が回復した瞬間に、
彼女は主治医に直訴したのです。「私を家に帰してください。家に帰さないとあの世から恨みますよ」と主治医は聞いたのです。慌てた彼は院長に在宅ターミナルを懇願しました。家族の希望により、点滴ルートを外し、苦悶を訴えるときのみ、モルヒネを注射しました。一週間の苦しみのあと、昇天されました。住み慣れた家と多くの家族に看取られ幸せそうでありました。

 八百谷のご主人がありました。病気のためか、50台をはるかに超えた老人に見えました。お子さんたちは「いつまでも、少しでも生きていて欲しい」。ぺーすめーかーと言われました。院長は御自宅に往診し,患者さんを診察し中心静脈を確保し、ヘパリンロックを使い、朝9時から夕方7時まで高濃度のカロリーを点滴し、モルヒネを持続的に投与し、お子さんたちの希望に応えました。ある日のことであります。患者さんは言われました。「先生、私のお腹を診てください、この手術痕、最初の手術も手遅れだったのです。この子たちが熱心に懇願するものだから手術を受けました。2回目は癌が腸に転移し、閉塞したのです。姑息的な腸の手術もこの子たちの涙で受けました。先生、もう勘弁してください。もう点滴はやめてください.全ての医療を止めてください。」と言われました。全ての補液、治療を止めて、彼は一週間後昇天されました。夜明けの4時でたちの涙で受けました。先生、もう勘弁してください。もう点滴はやめてください.全ての医療を止めてください。」と言われました。全ての補液、治療を止めて、彼は一週間後昇天されました。夜明けの4時で薄ら明るかったが、微笑んでいるようでありました。

 102歳の老婆の娘さんは元看護師さんでありました。おおきな中核病院の婦長をしておられました。お婆さんはさすがに衰弱しておられました。ペースメーカーが彼女を無理に延命していたのです。彼女はそのペースメーカーをかなり悪性腫瘍の様に気にされました。元看護師の娘さんが、訴えました。「先生、このまま自然死で結構です。しかし、母はあれほどペースメーカーを気にしていました。なくなったら、あの機械を取り除いてください。」と言われました。ある午前3時にお婆さんは亡くなえられました。娘さんの希望通り、院長はメス、糸とガーゼを私の往診カバンに入れ往診されました。死を確認された後、メスをいれ機会を取り除き、老母も娘さんも満足そうでありました。

 いやな話ばかり書いて、ごめんなさい。私と院長はこの後、例えようのない疲労が全身を覆うのです。院長は必ず言います。「頑張って明日も白衣と聴診器で頑張るぞ!」おっと!私、往診カバンもまだまだ頑張りますよ。
  
ほこり

投稿者: 大橋医院