2016.11.17更新

<旅立ち>
大橋信昭
(この随筆は終末医療を考えるために書かれており、現実症例は御家族の同意を得たものです)

在宅でも施設でも、患者さんの御様態からして、そのまま今、休んでおられるところで尊厳死とか看取りについてご家族と話し合うことがよくあります。最近ではマスコミの影響もあり、最後まで最先端延命治療を望まれない御家族が多くなりました。
「先生に全てをお任せします。」と言われますと、その責任の重さに腹痛を感じることがあります。看護師と介護士の協力のもと、頻回にケアマネージャーも交えて担当者会議が行われます。担当者会議の出席者は医師、看護師、介護士、ケアマネージャー、歯科衛、家族、でありそれぞれの立場になり意見を出し合います。患者さんの心停止までのそれぞれの役割、意見に最後は医師である私が総括することになりますが、私に協力してくださるco-medicalは素晴らしいものです。ご家族への声かけ、言葉の選び方、患者さんには必ず最後まで希望を持ってもらうように、できたら笑い声が起きるくらいの明るい雰囲気を作ります。患者さん、いつかはご遺族になられる方には、やはり最初から最後まで感情をnegativeにさせない言葉を選びます。みんなで協力して、全力を尽くして、患者さんが旅立たれるとか昇天、天国に召されるように頑張るとか、看取り体制に入っていくときの言葉はむつかしいものです。過去に仏になるとか、仏のようなお顔をして旅立たれたという方を思い出しながら、使います。
最近、遭遇した終末見取り例を思い出しながら、結論の出るはずのない症例が代表として3例、書かれることになります。

その老婆は1年前より右眼球に悪性腫瘍が発生していた。
日毎にその腫瘍は増大し、手掌大になった。
軟膏とガーゼ交換、胸水、腹水、
苦痛はひどいはずである。
しかし、その老婆は回診に行くと笑顔で、
「先生、治してくださいよ。」と笑うだけであった。
家族も決して苦痛だけは与えないでくださいというものの、
老婆はいつも笑っていた。
そして数日前、笑ったまま昇天した。
実に不思議な話である。
苦しいのを我慢しておれるはずはない、不思議にも笑ったまま天国へ行った。
いつも渋い顔をしていた息子さんもかなりの感謝の言葉を頂いた。腫瘍の発生場所の運が良かったのか、あの老婆の笑顔が忘れられない。
その家族は全員が刑事のようであった。長男、次男、娘さんがご家族だが、母親は90歳をとっくに過ぎており、高齢から来る廃用症候群であり、多臓器不全といってもよかった。それでも、介護士、看護師が頑張り、手と手を握りあい、肩をさすり、24時間見守り、付き添いによりその母親は寿命が保たれていると思われた。そんな素晴らしい介護体制を、この3人家族は、私を含めて尋問して、細かく手帳に記載した。この嚥下機能はなぜ低下してきたか?義歯が合わなくなったのはなぜか?転倒防止体制は万全か?
すべての質問を書く介護スタッフに浴びせた。私には老化からくるリスクを述べることであった。私は久しぶりに立腹した。これだけスタッフがこの老婆に全力を尽くしているのに、刑事のように尋問し細かくメモを手帳に書き付ける。私は、手を震えながら我慢した。ある夜に老婆は眠るように息を引き取ったが、駆けつけた家族は相変わらず私や看護師、介護士の話を手帳に書き付けたが借りてきた猫のように出棺の時はおとなしかった。

 その老婆は90歳代後半であった。やせ衰え寝たきりであったが、いつも手を合わせありがとうしか言わなかった。その日の回診時も笑顔がいっぱいいで、私は仲良くその老婆と握手した。カルテを見ると既往症は全くなく、病気一つもせずに年を重ねたことになる。2日後に眠るように昇天していた。家族は、感謝の言葉がいっぱいで、私もこんな死に様は羨ましいと思った。

 すべての人に言えることだが、どんな病気で、苦しもうが、胃瘻や気管切開で不自然に延命され、植物状態であろうが、ご遺体の顔は皆穏やかである。冒頭に書いたように仏のような顔になる。すべての苦痛から解放され、幸せそうな顔で正しく仏様である。
この穏やかな顔を見て、私はホッとして死亡診断書を書く。臨終に結論はないが、患者さんの残されたご寿命に医師として何が最善な治療か医療行為か悩む毎日である。
たび

投稿者: 大橋医院