2016.11.17更新

<私の愛した人>
大橋医院 院長 大橋信昭
私は11人兄弟の7番目の子です。どうでもいい子なんですよ。この田山家には私も主人ももらわれてきたのですよ。
どうでもいい子だったのです。それでも義理の両親ですけど私を可愛がり、主人も愛してくださったのですよ。
学校の先生でしてね。生徒たちからも近所からも「先生!先生!」と言われて土地になじまない私たちを支援してくださったのですよ。
お恥ずかしい話ですが、男の子を二人授かりまして、それはそれは大切に育てましたのよ。
甘い新婚生活なんてあったかしら。育児や家事に追われ、間もなく、姑が脳出血で倒れたのよ。
当時は、家で嫁が世話をするのが常識だったけど、辛かったわ。病院なんて入れないの。主人は学校の先生だから、そのお給料だよりだけど、お医者様はよく往診してくださったわ。
私も若いなりに、子供を教育しながら義母の面倒を身を粉にして世話したけど、当時の医療では3年で他界されたは。悲しかったけど、本の一息がついたわ。
 息子の成長と主人の老化は比例するのかしら。主人は管理職で定年前の64歳の時に、突然倒れたのよ。脳梗塞だって後でわかったわ。
その時は、救急車を呼んで「あなた、大丈夫?頑張りなさい!」と看病に必死だったわ。
中核病院に搬送され、いろんな検査を受けた結果、主人は右半身麻痺と言語障害を合併した左の脳梗塞であったらしいわ。
 病院の集中治療室から一般病棟へ、そしてリハビリテーションが始まったの。私はつきっきりだったわ。
息子ふたりはたまに見舞いに来たけど、男の子はダメね。「まー喋らないオヤジなら僕仕事に帰るよ」勝手なものね。
 病棟の部長さんがやってきて、国立リハビリセンターに転院しなさいって言うのよ。それは山奥にあるのよ。仕方がなくリハビリセンターにいったわ。
山へ向かう途中のトンネルを越えるごとに涙が出たわ。でも、私の愛した主人なんだから、少しでも良くなるように願っていたの。
2年が経ったかしら。私は一生懸命に、看病したのだけれど、やはり右半身麻痺と言語障害は治らなかったは。
 もう家に帰りたいって主人はこの頃から、駄々をこねたわ。自宅を介護ができるように改造して連れて帰ったわ。
近くにかかりつけのお医者さんがいたから、時々往診に来てもらい、リハビリも続けたのよ。
 主人も今年84歳よ。姑の看病と20年の夫の看病、いくらかつて愛した夫だけど、私の人生はどうなっているの?
そんなことを考えていたら、夫の様子がおかしいのよ。食べれなくなり、息苦しそうなの。近くの診療所に介護タクシーで連れて行ったら肺炎ですって。
紹介状を書くから中核病院へ行きなさいってそのドクターはおっしゃったわ。とても親身になってくれるの。
すぐに中核病院へ行ったら抗生物質の点滴を1っ週間やって、「もう高齢だから近くの病院へ行くように、2度とこの病院へ来てはいけない。」と言われたの。
私の街の中核病院なのにひどい話ですよ。それで、近くに中小病院があったので、そこへ移ったの。
 その時よ。主人が動く方の手で遺書を書いたの。
「私は苦しまずに痛くもなく、胃瘻や中心静脈栄養のような不自然な治療を拒否します。すぐに家に帰りたい。家で死にたい。」と言い出したの。
"絶対帰りたい。家で尊厳死を激しく主張するの。根負けして、家に帰ったの。
だって、近くに在宅尊厳死を一生懸命に取り組んでいられる、優しいお医者さんがいるので頼んだの。
すぐに来てくださって「訪問看護ステーションの看護師と介護関係の協力を得て頑張りましょう。」そのお医者さんは土曜も日曜も、
夜中も関係なく何回も往診してくださったの。その先生は私を注意するのよ。「奥さん、私に任せて!そんなに動き回ったら奥さんが倒れますよ。」
私は大丈夫。私の主人を丁寧に診察してくださるのね。長くても一週間の主人の命だと先生はおっしゃるの。
私はもっと長生きしてもらいたいから、主人に全力投球をしたの。痛いところはさするようにしたし、今までの夫婦の生活を思い出して、楽しかった頃の話を一生懸命したの。
家に帰って11日目かしら、全く動かなくなったし、下顎呼吸というのかしら、とても危ないって私にもわかったのよ。
近所のお医者さんがすぐに駆けつけてきて下さりもう付きっきりなの。
そして私にこう言ったわ。「奥さんの御主人に対する愛情はようわかりますが、もう2時間ぐらいでしょう。一旦帰りますが、それまでご主人と大切な時間を作ってください」
そして、私は主人が蘇るようにまた全力投球したの。でもあのお医者さんが言うように、徐々に主人呼吸が少なくなっていったの。
何を喋っても。もう一度あのお医者さんに電話したの。お医者さんはすぐに駆けつけ、「ご臨終です」死亡時刻午前11時3分ですって。
「奥さんは頑張られました。素晴らしい在宅尊厳死です。」死亡診断書を作った医師は主人に向かって合掌し深々と頭を下げ帰っていったの。
明後日には荼毘にされるのよ。主人をきれいにしとかなくちゃ。「ねーもう一度喋ってみて」と主人の耳元で大声を出したの。
でも私は馬鹿ね。ありがとうパパ。いつの間にか涙で私はいつまでもいっぱいで主人の顔を見ていたわ。これから一人になるのね。
もう一度最後に言うわ。ありがとうパパ!

あい

投稿者: 大橋医院