2016.11.17更新

<牢獄>
大橋医院 院長 大橋信昭
(この文章は私の創作したもので現実と関係がありません。)

 森竜二氏は、母の最後も妻の最後も、私により看取られていた。妻の最後は、かなり精神的に落ち込んだらしく、いつもの口癖が連発していた。「先生、早くあの世へ送ってくださいよ。」「神様がお与えた寿命は生きねばなりません。」と神妙に答えるだけであった。
 しかし、その後、森氏の家の前を通ると、必ず、彼は背中で悲しみを最大限に表現し、うなだれていたのである。何かよほど人に相談できないような問題を、自分の胸の中に締まっていたに違いない。
 森竜二氏は、慢性心不全、肺線維症で在宅酸素療法を施行しており、もう約10年間通っている患者さんである。「最近の調子は如何ですか?」「先生、絶好調ですよ!もう酸素いりますか?」と無理な作り笑顔を作った。内服と在宅酸素療法は永久に必要である。「お大事に。」の私のスタッフたちの笑顔に満面で同様な笑顔が返っていた。
 ある日曜日の朝、近所の人が、チャイムを鳴らし、「先生、すぐに来てください!!」私はとりあえず洗顔だけ済ませ森竜二氏の自宅に駆け付けたのである。
彼の希望通り、彼は冷たくなっていた。何の生命反応も見られない。独居である。この後どうするのか?組長を呼んで、隣の中森氏と、森氏の机の上に置いてある“遺書”を森氏のかかりつけの弁護士にも来てもらって中身を読んだ。
第一文は、息子さん宛てである。「幹夫よ!私はお前を信じている。きっと社会復帰してくれるだろう。だから真面目に刑期を務め、一人前になりなさい。私も、母も、祖母もいないが君なら、きっとやっていける。信じているよ。刑期がすぎ再会を楽しみにしている。」
第二文は自分の死後の手順であった。「私の死後、町内には一切迷惑をかけないでいたいのです。私の興亡寺の住職に頼んであるから、枕経だけいただき、戒名は必用がありません。初七日も必要なし、医師に死亡診断書を書いてもらい、すぐに荼毘をしてもらいたいのです。お願いします。」
 噂では、息子さんが世間へ出られない事情があることは知っていた。みんなで話し合った。「まず枕経を読んでもらいましょう。」「私は死亡診断書を書いてきます。昨日に、実は沈んだ表情でしたが24時間以内に診察していますので、
検死は必要ないと思います。」弁護士は「刑務所の中の彼に父親の死を知らせましょう。逢えることはできません。一人っ子のようですので相続は問題が起きないでしょう。」近所の中森さんは「私は、班の人たちとひとまず祭壇を作り、
ここに書いてある連絡先、おそらく遠い親戚でしょうが読んでみます。」
それぞれが役割を分担し、冠婚葬祭業社は荼毘や特殊自動車や、小さくても形だけの葬儀をするべきであると連絡し、2時間後最集合である。
 驚いたように遠い親戚の人が現れた。「私たちは普段、お付き合いがないのですよ。息子がしっかりしていればね。」近所の人たちの献身ぶりを見て、葬式の喪主になってもらった。荼毘も済み、お骨の半分はお寺に引き取ってもらい、やがて出所してくると思われる息子さんのために、法名のない位牌の横にお骨が置かれた。夜も6時を過ぎ、初七日はやるべきであると近所の人のご意見であった。ご住職はもうお帰りになり、私にお経さんを読んでほしいという話であった。驚いたものだ。朝は死亡診断書を書いたのに、夜には住職の役である。ともかく、大きな声でお経さんを読み皆さんの合唱に後押しされ、住職の役は務まった。
 翌日もいろんな雑用があったが、親戚の人も、ふってわいた災難のようだが、一生懸命働き、ひとまずひと段落した。みな、疲労は隠せないし、森竜二氏への最近の悲しみの理解と同情とを共有し、家の鍵は顧問弁護士が預かり、あとは息子の出所待ちである。
 数か月がたち私たちも、森氏のことは忘れて、日々の生活に追われていた。
ある日、真っ暗の森氏の家に明かりともった。どうやら、出所したようである。
数日後、私の診療所に現れ、照れ笑いに「すいませんでしたな。」と軽く頭を下げ帰宅した。私は怒りに震えた。あのお父さんの悲しみを彼は理解しているのか。何だ!あの旅行から帰ってきたようなあの態度は?不愉快であった。やはりである。今回のことで一番ご苦労された中森さんは、この息子の態度に激怒し大喧嘩となりそうになり、パトカー騒ぎとなった。

 何か月も経つと人々はやさしいものである。警察の保護下で、彼は仕事を始めた。町内の雑用にも参加し始めた。口をきく人は少なかったが、理解される方が出来はじめた。今度こそ、まともな町民になってもらいたものである。
もうすぐ祭りだ。彼はお父さの紋付き袴で出席するであろう。私もお父さんの森竜二さんのことを思い出し、そのすべてを知り、息子さんを応援する気持ちになった。医師とはいろんな仕事があるものだ。診察、死亡診断、冠婚葬祭、住職、出所者の社旗復帰である。
 月日がたてば、何事も無かったような平和な町内になっていた。今年の夏祭りも皆さんはきっと頑張るだろう。森氏も私も頑張るつもりだ。祭りが楽しみだ。
ろうごく

投稿者: 大橋医院