2016.11.17更新

<青いカナリア>
大橋医院 院長 大橋信昭
(この物語はフィクションであり事実と異なるものです。)

 私がこの愛くるしい青いカナリアを見たのは、この街の北西の外れで、踏切を超え道が行き止まりになっており、その西側に5件の長屋があり、最初に見ることができる1件目の家の土間に鳥かごがあり、その狭い空間で羽を伸ばし水浴びしていたのだった。
その家の娘さんたち二人は遠くへ嫁いでおり、ご夫婦二人きりであったが、とても仲がよく、愛情に溢れており、その愛はこの青いカナリアにも注がれた。
何処へ行くにもこのご夫婦は手をつなぎ、一緒に行動をし、青いカナリアも幸せであった。二人はもう80歳代後半の老夫婦であったが、私がこの二人のご病気がなければ、青いカナリアの笑顔も見ることができなかったであろう。しかし、青いカナリアが悲しそうになることが起きたのである。まず、ご主人の糖尿病が十分コントロールされていたにもかかわらず、腎不全が進行し、私と専門医と悪戦苦闘したが、改善しなかった。私が往診に呼ばれたのは、ご主人は意識混濁をきたしており、救急車を呼び中核病院へ搬送したのであった。青いカナリアは羽をばたつかせ、悲しそうであった。
 私は、奥さん一人では暮らせないから今後の生活をどうしていくか、遠方に住んでいる娘さん二人に電話連絡を取った。そして、青いカナリアを悲しませることが急に起きたのである。奥さんは急激な認知症となり、その原因が鼻腔腫瘍であることが分かり、その腫瘍は全身転移しており、余命僅かであることがわかったのである。駆けつけた娘さん二人とケアマネージャーと相談し、いずれは嫁ぎ先の東京の病院へ転居させるが、それまで私が嘱託医をしている特別養護老人ホームのショートステイに預かってもらうことになったのである。
もちろん、青いカナリアは置いてきぼりにはしない。特別養護老人ホームの、みんなが集まる広場に置かれ、優しいスタッフが交互に餌を含めて、面倒を見ることになったのである。愛くるしい青いカナリアは、スタッフだけでなくご利用者のおじいさんやおばあさんのマスコットとなり可愛がられた。
 青いカナリアはあの住み慣れた長屋の一室からどうしてこんなに広い豪華な空間に移動したか、大勢の人が見つめ声をかけるのが理解できなかった。しかし、この青いカナリアは徐々に悲しい事実を娘さんたちから聞かされるのであった。
 私がご主人を中核病院へ見舞いに行った時はクスマウルの大呼吸で、延命期間が短いことを知り、翌日に娘さんに連宅を取ったらもう彼は昇天されていた。
皮肉にも、奥さんは認知症であり、東京の病院のターミナルケアの引越し先が決まったので、ご主人の葬儀、荼毘などの様子は、奥さんと青いカナリアには内緒にすることになった。青いカナリアが元気ないことはみんなも気がついた。不思議だ。御主人の死は内緒である。奥さんの病状も悪化し、腫瘍は増大し、認知は計り知れないものであった。私は、知り合いの東京の病院を探し回り、手紙を書きまくった。何とか、今までの事情を理解し、ターミナルをお願いしたいと懇願した。OO病院からOKの返事が帰ってきて、娘さんは奥さんを東京の病院へ搬送した。奥さんは認知のせいか、青いカナリアを一目見て、不思議そうな顔をして去っていった。青いカナリアは悲しそうに見送った。
 東京での奥さんの死亡通知は数日後であった。ご主人も奥さんも一度に両方亡くしたことを知った青いカナリアは羽をばたつかせ悲しみもひどく餌も食べなく、下を向いて、悲しそうであった。
 しかし、特別養護老人ホームのスタッフは優しかった。このカナリアを当苑のマスコットとして一番大きな広間で、みんなが一番集まるところへ住まわせ、
早く悲しみを忘れさせようと、可愛がったのである。

 数日が過ぎ、青いカナリアはその施設で「ピーコちゃん」と呼ばれていた。
みんなが大切にするものだから、すっかり施設に適応していた。「もう悲しいことはないよ、ピーコちゃん、私たちがついているのよ。」
ピーコはとても嬉しそうであった。餌の食べも順調で、鳥かごの止まり木を飛び跳ねていた。いつまでも元気で、この施設にいて欲しい。
天国の飼い主のご夫婦も、喜んでいるであろう。
かなりあ

投稿者: 大橋医院