2016.11.17更新

寿命

<ご寿命>
大橋医院 院長 大橋信昭

 生まれた限り、人間という生命体はいつかに個体に変化せねばいけない。私は、この他界に関する部分の仕事が加速度的に増えた。難しい仕事である。
 人間は他の動物と同様、死にたくはない。しかし、病気知らずのまま百歳を迎えても、101歳になる老婆は死に怯えている。101歳になった老婆が食べられなくなり、何らかの疾患に罹患すると、家族は大騒ぎである。胃瘻はどうするか、点滴はしてもらいたいだの、人工呼吸器の設置やペースメーカーまで話し合わねばならない。私は自然死、在宅ホスピス、施設での看取りをできるだけ勧める。
 老いたる体が急に心不全になろうが、肺炎になろうが、脳梗塞になろうが、家族を納得させるためには、中核病院と連絡を取り、救急搬送し、治療してもらわねばいけない。すぐに退院するが、また再発する。再発を繰り返すうちに、
電解質もアルブミンも腎機能も心機能も低下し、治療に反応しなくなる。長い寝たきり生活で、すっかり廃用症候群となる。すべての生活に全介助を要しさらに認知症も加わり、自分の子供の正体もあやしくなる。
 ベットの上でおむつをして、大便も小便も処理して綺麗にしてもらっても、赤ん坊と違って、介護される人も介護する人も気の毒である。そのうち尿道バルーンが入る、強行派の家族は積極的に胃瘻を懇願する。胃瘻など入れたら、その患者は将来地獄のような生活が待っているが、家族の意見は強い。本人は自己主張できないほど退行変性が進んでいる。不本意ながら胃瘻を入れる。
 最近、悪性腫瘍を抱えながら、すべての治療を拒否する患者さんが増えている。確かに、悪性腫瘍を取り除いても、かなりの痛みに耐えねばならないし、化学療法、放射線量法などに至れば、拷問を受けるような苦痛が待っている。そんな酷い仕打ちを受けても100%は助からない。それなら、自宅で好きなことをして、私のような家庭医を呼んで緩和治療を最後まで望まれるのである。
救急車は呼ばないでくれ、苦痛は少しでも取ってくれ、と遺言まで書いてある。家族も合意である。やがて食料はおろか水分も受け付けなくなる。そうすると、体のバランスが崩れ、意識レベルは低下し、血圧も下がり、呼吸回数も下がり、
昇天される。あんなに苦悶状のご様子が私に伝わってくるが、生命反応が停止すると仏様のように穏やかに眠っている。この過程に至るまで、家族のケアが大切である。私もこの家族の一員のように苦しまねばならない。死亡診断書を書いて荼毘され、告別式がすんで数日後、家族は当院へ感謝を述べに来る。
 胃瘻など入っていたり、点滴など無理やり体に押し込むと、延命期間は伸びるが、苦しい期間も伸びるだけある。胃瘻を入れて3年もすると、人間の体とはおもえない退行変性が見られる。呼びかけても反応せずに、褥瘡に要注意せねばならず、できたらなかなか治らない。形成外科に相談して無理に皮膚を移植してもらっても、大量の医療費の損失のような気がする。胃瘻患者はあらゆる合併症を起こす。肺炎、心不全、異物が入っているからよく発熱する。日和見的な感染症を受けやすい。時々ものが言えない人が死にたいと発言することがある。私の錯覚かもしれない。
 患者さんのご家族に申し上げたい。人間はいつか昇天するのである。寝込んだ自分の両親がどれだけの医療と不自然な延命期間があれば、ご家族は納得されるのであろうか。我々、医療チームが血と汗を流しヘトヘトの姿を見せるとご満足願えるのか?
 人の寿命は今、どうなっているのか?私が医学部を昭和54年に卒業したときは、患者さんが60歳を超えると、もう年齢も年齢ですからと、超高齢者のような話をした。私も今年に60歳になるが、もう少し長生きしたい。今、80歳は元気でトレーニングジムへ行き、90歳は静かな生活だが、元気でその人数は数えられないことはないがたくさん活躍していらっしゃる。100歳以上もうなぎのぼりだ。もうここまでという寿命はなくなった。医療従事者は年齢を理由に、治療を削減してはいけない。90歳も100歳も、20歳を超えた若者と、治療を変えてはいけない。家族の医療知識は膨らむし、治療技術の進歩は無限で医療費は膨大に膨らむ。裁判はすぐにそこに控えているし、我々医療従事者は、よほど精神と肉体を鍛錬しないと、寝たきりになるであろう。

投稿者: 大橋医院