2016.11.17更新

hige院長婦人には髭がある 大橋信昭

<院長夫人には髭がある>
大橋医院 院長 大橋信昭

 院長夫人とは私の妻のことである。妻とは昔、夫の後ろから歩き、影を踏まず、決してでしゃばらずに、影から夫を支える、影から夫を世に認めさせる、存在が理想であった。山ノ内一豊の妻を司馬遼太郎が「功名が辻」に書いている。すなわち、妻が優しく後ろからサポートを受けているうちに、いつの間にか夫が出世している夢のような話である。
 私の院長夫人は今、当院では、特に診療後も、益々権力を蓄積しつつあるようである。この権力の増大を私はいつも警戒していたが、今日に至って手遅れであった。
 新婚時代はしおらしくしていたが、子供が生まれ、開業し、両親が生存していた時代に、水面下で作戦を練っていたようである。悲しいことに、両親が佛になり、子供たちが社会人になり、当院には私と妻しかいない。ここで、妻の
独裁政権が花開いたのである。
 まず、当院の会計を全面的に握られたのである。これは、診療しながら細い金銭のやり取りを考えずに、医師として患者さんの話を集中的に聞けるわけだが、有難いのである。しかし、月日が経つと、当院の経営権を全面的に妻が支配したのである。子供の学費が大変だからと無給時代が長く続き、私もそれに慣れてしまったのである。従業員は給料を毎月貰いながら、どこの国の習慣が根付いたのか、ボーナスまでもらえるのである。もう、子供も社会人になったのだから、私はもう給料をもらってもいいはずである。しかし、その話題になると、はぐらかせられるのである。今や、子供の給料からお小遣いを期待するざまである。
 そして、恐ろしいことに、妻は、私のスケジュールを全部把握しているのである。「あなた!今度の日曜日は、何もないでしょう!私を実家に連れて行って!」いつの間に、院長から運転手に格下げになったのであろう。私の飲み会、学会、勉強会、仕事のスケジュールを全て把握されているのである。私はうかつにも、月の予定表を全てメモ帳に書いてあるものだから、いつの間にか見られているのである。
 そして私の神経をすり減らすのは、妻の買い物に付き合うことである。大量の食糧や日常必需品を購入し、長いウィンドウショッピングに時間が流れることである。彼女のスカーフ選びや、衣服鑑賞につき合うと、もう奴隷の気分である。私のスーツ一丁新品を期待するのだがそこは素通りである。
 私にとって、夜の晩酌は最高の楽しみである。ビールは冷蔵庫の一番奥に追いやられているから、やっと探し出し、一缶開けると、「今日はそれだけにしなさい!」と恐喝されるのである。妻のうたた寝が始まるまで、二缶以上は待たねばならない。この前、酔っ払いすぎて、オデコを柱にぶつけ、擦過傷を不覚にも作ってしまったが、妻の逆鱗に触れ、今やビールがどこに隠してあるか、分からないのである。妻がビールを持ってくるのをじっと待っている毎晩である。
 さて、当院の経営、業務規則についてである。私が様々なアイデアを出すが全て妻に却下される。妻の考えた診療所体制である。これではヒットラーに支配された異民族のようなものである。
 時間を問わず、往診に振り回されるが、その時だけは「気をつけてね」と声が幾分優しい。老人ホームの嘱託医としての回診後の帰宅の時は、何故か優しく、供給されるビールの量も多い。私が診療で疲労を深めるほど妻は優しい。
暇から退屈で、鼻毛を抜いていると妻は不機嫌である。
 ある時、妻は宣言した。「あなたが倒れても、おむつの世話はまっぴらだわ」
これには恐怖を受けた。いつまでも介護保険の世話にならずに自立状態でいなければいけない。運動を毎日し、食事に気をつけ、飲み過ぎに注意し、健康によほど気を付けないと介護施設に送還されるであろう。
 しかし、妻のお陰で、毎日診療を楽しくしている。ただ、言えることは
「院長夫人の顔には髭がある」

 

ひげ

投稿者: 大橋医院