2015.05.11更新

<私の大垣祭り>

大橋信昭

 いよいよ憂鬱な大垣祭りが来た。大垣祭りは設楽(土曜日)、本楽(日曜日)と別れていて、伝馬町は山があるから、このどちらかに一家に一人は出席せねば村八分にされる。たまたま、土曜日は月命日で、お坊さんがお参りに来てもらえたので、午前中は診察があり、午後は念仏を唱えるということで、欠席させてもらった。お坊さんに、大垣祭りの話をしたら「私は出ません!」と気分を悪くされた。何故、不愉快になられたのか?明治政府が強行した「廃物希釈」の事であろうか?日本には昔から神社と仏の道が共存していた。日本国民は神社であろうがお寺であろうが、"ありがたい"と頭を下げてきたのだ。急に明治政府が、国家を強くするために、神社を尊重し、お寺をさげすむようなことをしたから、私が檀家のお坊さんも大垣祭りは面白くない。
 しかし、伝馬町で診療所を開いている医師の私は大垣祭りに出席せねばならない。日曜日、午前6時に覚醒し、洗顔をはじめすっきりさせ、紋付き羽織袴に挑んだ。当然家内の応援がいる。家内が駆けつけて、私は幼稚園児のごとく祭り装束を着せてもらった。足袋をしめ、下駄をはき、一歩一歩、大垣八幡神社の伝馬町の松竹山に到達した。「みなさん、おはようございます。」と言ったら、まだ何も仕事をしてないのに椅子が出てきて「お座りください。」と言われた。そして町の長老達による私の紋付き羽織袴の着付けのチェックが始まった。
細かなところが、紐の結び方、羽織のバランスがチェックされた。紋付き羽織袴を伝統通り正確に着るのは難しいのである。町内の人と、久しぶりに逢ったので雑談が弾んだ。青い空にさわやかな風で、普段の閉塞感に苦しんでいる診療所に比べ、とても気持ちが良い。サー祭りが開始だ。松竹山も動き出した。八幡神社で踊り山の踊り子たちが2月から訓練した踊りを晴れ舞台で順番に披露している。私はパンフレットや踊り子たちの紹介書を聴衆に配っていた。配った相手が患者さんであることが多い。狭い大垣市だ。どこに行っても患者さんとはお逢いする。「先生も御苦労さんですね。」という話が飛び交う。
 八幡さんでの披露が終わったら、少し西に行って、記念撮影である。松竹山、踊り子、町内の方、梃子さん(山を引く方、梃子でも動かないというくらい大事な役)、写真撮影の際に、私は前列に座らせていただいた。町内の皆様、ありがとう。
 山は動き出した。八幡神社の西から駅前通りへ抜けて、各町内の神社に「この度はご苦労様でした。」と、相互に言い合う。私は、仲の良い後輩と山の前で無駄口が多く、3回も注意された。これ以上注意されてはいけないと思い、山の後ろ側に逃げた。錦町で急に、祭り頭が伝馬町の秋葉さんに代表して私も含めて5人立ってくれと命令が出た。日頃、町内活動をサボっている私には、驚いた使命だ。恐れながら私が入った代表5人が、伝馬町へ急いだ。脱水気味であるので、公民館に駆け込みスポーツドリンクをかけ飲んだ。サーこれからが大変だ。13両山が全部、伝馬町の秋葉神社に頭を下げに来る、各山の代表者、町民、梃子さんたちも挨拶にくる。町内会長、相談役、祭り代行、私、松竹会会長、が鳥居の下、南側に整列した。13両山がほぼ1時間以上かけて、「本日はご苦労様です。」「本日はおめでとうございます。」と交互に、深々と頭を下げ挨拶の山となった。私は、感動した。大垣市の山13両全部と、役員、各町内の人、
山引きの人全員と、挨拶を交わした。多少疲労を覚えたが、江戸時代から続行している行事に参加できたこと、大垣祭りの壮大さを再認識したこと、感動の嵐であった。行事が終わり、帰宅途中、青い空と焼け付く太陽が身に染みた。
あまりにも遅く帰宅した家内が、私の無事を異常に喜んだ。家族、家庭の中が一番だ。(完)


岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院