2014.10.30更新

「遠野物語」
柳田氏のある作品より、大正初期

柳田は20代半ば、岩手県の遠野に教員として暮らしていた。
ある大家の7畳の部屋に、一人暮らしをしていた。
そこには別の部屋へ、お花の教室が開かれていた。
そこへ通う17歳の麗しい美少女に恋をした。逢うたびに挨拶をするのが関の山であった。
ところが、ある日彼女は別の男と歩いているのを見てしまったのである。
柳田は苦しんだ。眠れぬ毎日が続いた。
そして、決定的なことは、彼女は結核になり、自宅療養、そして結核療養所へと旅たっていった。
19歳の彼女は、結核により死亡したことを知らされる。
「もし、私が鶯ならば、籠の中にて飼われたいのだ。」
彼は苦しみ、苦しみ、遠野地方に広がる風土話を書き始めたのである。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院