2014.05.04更新

最近、日本人の書いた主として科学論文の、正当性が疑われている。
ノーベル賞をもらった人や、XXXX細胞はあると信じていますと泣いた女性の学者もいた。

私が医学論文を書いていた頃は、1979年から1986年の時代である。
バブル絶頂期で、世にお金はあふれんほど流通し、料亭、パーティーの連続であった。
そういう時代は各会社は新薬つくりに猛烈な競争をしていた。

私は医学博士を欲しいと思った。世の医者、殆どがそう思っていたのではないか?
世界に出した英語の論文二つと日本で通用した日本論文一つさえあれば、医学博士だ。
英語の論文の自信がある方を主論文、あとは副論文になる。
この論文が博士論文になるかは教授の胸一つである。上記の10年以上、かばん持ちである。
「あーそうです。」「はい、分かりました」「おかばんをお持ちしましょう」「お風呂が入りました。」

さて、私の論文である。教授は私に大動脈閉鎖不全(AR)の重症度を「インピーダンスプレティスモグラフィー」
で判別しろという命令であった。ARの患者を探さねばいけない。他の医学部まで行って調査した。
論文は順調であった。ARの重症度は見ただけで分かるのに、何もインピーダンスでややこしくしなくてもよかった。
当時の私の愚痴である。論文は1年余りで完成し、"Asian Pasific Congress of Cardiology"という学会で発表となった。
当時私は30歳そこそこであり、チャイナドレスのまぶしいこと、故宮博物館でも、展示物には何の興味もなく、
もっぱら案内状をデートに誘うチャンスを狙っていた。無事発表も終わり、論文印刷も終った。すると教授は言った。
「君、あれでは少し症例が足りなかったようだ。あれは副論文にして"Kubicek法"を改善して、胸郭から動脈成分のみ
抽出し、Al誘導を開発したまえ!」目の前が真っ暗になった。胸郭には肺もあり食道もあり、複雑になっているのだが、
ニュートンやガリレオじゃあるまいし、そんなことができるであろうか?あの時は私一人では、百年かかりそうで、IBMの技術者に
手伝ってもらった。明けても暮れても誘導開発である。ウサギの実験で、何とかA誘導ができた。
あとは人体で応用である。医局長に頼み込み、心臓カテーテルのときに、A誘導と電磁血流派による血流測定の同時測定、
あとは核医学による動脈血流とA誘導の動脈抽出派との関係、そして、臨床応用、幾年かはかかったが、形あるものができつつあった。教授も君の論文はほぼできていると言ってくれた。幸いにもワシントンDCで"World of Congress Cardiology"に
発表してくれと手紙が来た。これは極めて一流学会であり、そこでの発表は教授も、医学博士をUSAから帰ったら君のものだと
いった。無事発表を終え、論文化した私は来週の学位で医学博士が決まることになった。教授のかばん持ち10年のたまものであると思った。そんなときに、相関係数がいい表に、一つミスがあることが分かった。これを取り除くと、いびつなグラフになるのだ。
医学博士論文が、無事教授会で決定しても気味の悪いものであった。あの時、教授は知っていたか?ヒッチコックのミステリーである。1987年の出来事で時効である。日本の研究者よ、これからは世界のマスコミの風当たりがつらくなるから慎重になされてください。、、、、"もう学位はもらったんだもの"、、、、、、、(完)   


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投稿者: 大橋医院