2014.04.18更新

私は、今日、急に岐阜県立岐阜高校時代の国語の授業時代の一生徒になっていてi、
机に国語の本を置いて、椅子に座り、鞄には参考書がいっぱいであった。
さー国語の授業が始まるぞ。緊張が走った。それは毎回行われる儀式めいたことが
終わらない限り、授業は始まらないのだ。
 それは、クラスの生徒全員で黒板を掃除するのである。黒板はぴかぴかである。
そこへ国語の飯尾誠太郎先生が入ってくる。驚いたように黒板を見る。そして必ずこういう。
「この黒板をきれいにしたのは誰だ!」全員でしたのだが、手を挙げる順番は決まっているのだ。
「黒田です」と手を挙げると、「よし、前に来たまえ!」
前に行った黒田君は頭をなでられ、ポケットから飴玉を取り出し「よく頑張った」と、
その飴玉ををもらえるのである。
 それでも授業は始まらない。これも順番が決められているのであるが、
「小笠原です。教科書を忘れました。」本当は鞄にしっかり収まっているのである。
飯尾先生は言った。「君、廊下で立っていなさい」と険しい顔をして言うのである。
それから3分、飯尾先生は窓から"後藤卵工場をぼんやり眺め、
「今、廊下に立っている、小笠原君について、どう思うか、大橋君?」
「彼は普段より勉強熱心でありまして、今日、教科書を忘れたのは、昨夜勉強しすぎて、
うっかりしたのだと思います。人間誰しも、謝り、うっかりはあります。彼も先生の講義を聴講したくて
たまらないと思います。許してやってください。」飯尾先生はにっこりして、「大橋、小笠原を教室へ
戻しなさい」そして、私は、楽しそうに廊下に立っている小笠原君を教室へ連れ戻すのである。
「先生、寛大な処置を感謝します」「大橋君にも礼を言っておけ!今度教科書を忘れたら後藤ひよこの工場の
上で立ってもらうぞ!」「わかりました」

 この一連の儀式が終わらないと授業は始まらない。私たち生徒はこれが楽しみであった。
毎回毎回、国語の授業前には生徒全員で黒板をきれいにした。誰か飴玉がもらえるからである。
ところがある日、飯尾先生は教室に入ってくるなり、黒板を睨み「そんなに飴玉を私は持っておらんぞ!」
その日の授業は厳しく、古典であったが、「123ページの5行目から7行目を大橋君現代語風に訳しなさい」
1行訳しただけで、「君の解釈はダメだ!」と叱られてしまった。

 当時進学校であった私の母校は、厳しい勉強の競争社会であった。でも友情は皆、深かった。
ある日、私の家で、いつになく夫婦喧嘩、両親の喧嘩が始まった。その喧嘩は長引き、ついに徹夜喧嘩となった。
私も徹夜である。早朝、私は母とまだ喧嘩している父に向かって「高校の授業があります。学校へ行かしてください。」
お許しが出て、授業に向かった。しかし、昨夜、一睡もしていない。朝から居眠り授業をすることになった。
早速、飯尾先生に呼び付けられた。
「君は、入学以来、真面目に勉強をして、成績はうなぎのぼりだ。この調子なら君の志望している医学部も入れるかもしれない。
昨日は、なぜ授業中、眠りこけていたのだ!」私はそれが両親の徹夜の喧嘩のせいだとは言えなかった。
下を向いてうなずくばかりであった。執拗な尋問についに「夫婦喧嘩で眠れなかったのです。」と言ってしまった。
母親との個別懇談との時、母は飯尾先生に叱られた。「夫婦喧嘩をしているようでは、真面目に成績を上げている大橋君が
勉強できないではないか!夫婦喧嘩はしないように!」
その後も夫婦喧嘩は続行したが、私の成績も医学部を受けてよいところまでになり、濃く高3年生になり、最後の飯尾先生の
国語の授業であった。
飯尾先生は突然、私たち生徒の顔を一人一人睨みつけ、歌いだした。
#ふけーば、飛ぶような、試験の紙にかけた青春を笑わb笑えーーーーー#
私が覚えているのはこの一説だけである。
村田秀雄の"王将"であるが、見事な替え歌であった。43年前のことであり、その後が出てこない。

"ふけーば飛ぶような試験の紙にかけた青春を嗤わば笑え"(完)

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院