2026.03.22更新

<志を遂げるまで故郷の土を踏まず:野口英世>
大火傷を負うも、母親の深い愛情に
医学の道へ進むことを決心する
医学者・野口英世は、1876(明治9)年に福島県耶麻郡(現在の猪苗代町)の貧しい農家の家に生まれました。
1歳のときに英世は囲炉裏に落ちてしまい、燃えさかる火で左手に大火傷を負い、医師にかかることもできず、癒着してしまう事故に遭います。
母親のシカは「私の不注意で左手を火傷させてしまった。この子は農業を継ぐことはできないので、なんとしても学問で身を立てさせてやりたい」と、深い愛情を注ぎます。
教科書も買えないくらい貧しさの中、母は英世を小学校に入学させます。
勉強が思うように進まず、英世が弱音を吐くときでも「お前は、学問一筋に生きていくのだよ」とやさしく言い聞かせたのでした。
その母の言葉に応えるように、野口英世の成績は学校でも群を抜いていました。
15歳のとき、級友らが募金を集め、西洋医学者・渡辺鼎医師の手によって、左手の手術が行われ、英世の左手は少し自由を取り戻すことができたのです。
手術を受けた時に医学の素晴らしさに感動し、「将来は医者になろう」という決意が英世の中に芽生えてきます。
17歳の時に、英世は意を決し、故郷を離れ、上京をします。
「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」
高山歯科医学院(現・東京歯科大学)で雑用係をしながら、済生学舎(現・日本医科大学)で医学を学んでいきます。
学校での勉学に没頭し、時間さえあれば医学書を読み、その結果、人よりも早く医学試験に合格、20歳のときに早くも医師免許を取得します。英世の強い志しが、難関の試験の突破に結びついたのです。
ノーベル医学賞候補に挙がること3回
感染症との闘いに徹底し、実験を繰り返す
野口英世はここから細菌学を学び、細菌学医学者への道をまい進していきます。

英世の「研究ノート」には、その経過が詳しく記載されている。(資料:野口英世記念館)
細菌学への関心が強かったこともあり、1898年に東京・芝公園内に設立されていた『伝染病研究所』へ入所します。
「海外で研究をしたい」と翌年には留学を決意し、アメリカに渡ります。
大きな転機は、28歳で米国・ロックフェラー医学研究所に招かれたことです。そして「梅毒スピロヘータの純粋培養」に成功したのをはじめ、次々と目覚しい功績を示し、38歳の時にはノーベル医学賞候補に名前が挙げられるほどになりました。
米国・ロックフェラー医学研究所での研究に没頭する野口英世
1915年、40歳の時に、野口英世は一度だけ、日本に戻ってきたことがあります。
それは、母・野口シカからの
「はやくきてくたされ はやくきてくたされ いしよのたのみてありまする」
という手紙での願いに応えたものでした。
横浜港では多くの報道陣や恩師・友人が英世を出迎え、英世は母との再会を果たしました。
母シカは英世とともに過ごす時間を「まるでおとぎの国にいるようだ」と語っています。

母・野口シカと15年ぶりの再会を果たす(資料:野口英世記念館)
南米での「感染防止」に成功するも
新たな課題の発生
しかし、野口英世はその2か月後には、米国・ニューヨークに戻ります。
感染症との闘いの日々は「時間の猶予」をそう簡単には与えてくれないのです。
1918年、41歳の時に黄熱病が大流行していた中南米にロックフェラー研究所の派遣員として参加、当時『黄熱病』が大流行していた南米・エクアドルへ向かいます。
すぐさま原体を発見し「野口ワクチン」を開発、その広がりを抑えます。南米の黄熱病が落ち着きを見せるなど、世界が野口の功績に大賛辞を贈ったのです。

新聞などのメディアでも英世の功績は称えられた。(資料:野口英世記念館)
しかし、この野口ワクチンは、南米では効果を大きく発揮しましたが、アフリカの『黄熱病』には効かないことがわかります。
野口は自らアフリカへ飛び、ガーナに研究施設を造営し、今度は、アフリカの地で『黄熱病』研究に没頭します。
「教えに来たのではありません。習いに来たのです」
英世は自らを「黄熱病」感染の真っただ中に身を置き、その原因、治療法などの研究に邁進していきます。
「感染」というリスクに身を置き
ガーナの地で「黄熱病研究」に没頭する
黄熱病の死亡率は、30%~ 50%とされており、これはエボラ出血熱に匹敵し、非常に危険な感染症です。
細菌学の権威である野口の研究スタイルは、徹底して実験を繰り返し、気の遠くなるような実験パターンを経て、データを蓄積していく、というものです。
故郷を旅立ったときの
「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」
という言葉を常に自らの胸に刻み込み、並外れた集中力で研究に突き進むのです。
残念なことに野口英世も51歳の時に、自らがガーナで黄熱病に感染してしまいます。
殉職。
その壮絶な死は、野口英世らしいものといえるのかも知れません。
この野口ら医学研究者の研究もベースとなり、その後、アフリカの医学者マックス・タイラーによって「黄熱ワクチン」が開発されています。
ただし、全世界から、この黄熱病が完全に消え去ったというわけではありません。これが感染症なのです。

「絶望のどん底にいると想像し、泣き言をいって絶望しているのは、自分の成功を妨げ、そのうえ、心の平安を乱すばかりだ」

「人生の最大の幸福は一家の和楽である。円満なる親子、兄弟、師弟、友人の愛情に生きるより切なるものはない」

「野口英世記念館」全景 福島県・猪苗代
 米国・ロックフェラー医学研究所の図書館には創始者ロックフェラー一世と並び、野口英世の胸像が飾られているそうです。

 

投稿者: 大橋医院

2026.03.22更新

「医は仁術なり(いはじんじゅつなり)」は、医療は単なる技術ではなく、人を慈しみ救う「仁(博愛の心)」の道であるべきだという、江戸時代から日本に伝わる医療倫理の根幹をなす言葉です。利益を追求する「算術」ではなく、病者の苦しみに寄り添う高い道徳観が医者には求められることを説いたものです。
国立科学博物館
国立科学博物館
+2
「医は仁術なり」の主な意味と由来:
「仁」の心: 儒教に基づく、他人を思いやる愛や情けの心。身体だけでなく、心も治すのが医者の本来の姿とされる。
技術から「道」へ: 医療技術(術)は、人命を救う(活人)という「仁」の目的を果たして初めて評価される。
由来: 中国明代の『古今医統大全』や、唐の陸宜公の言葉「医は以て人を活かす心なり」がルーツとされ、日本では江戸時代に広く知られるようになった。
戒め: 金銭目的で医療を行うことや、患者の心を無視した診療に対する批判として、「医は算術」という対義語をもじって使われることもある。
日本医師会
日本医師会
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現代における意義:
現代の高度医療においても、技術偏重になりがちな現場に対し、患者の尊厳や心に寄り添う「仁」の精神は重要とされています。一部では「医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す(医療は本来、人を切ることもある非情な側面を持つが、だからこそ必死に仁愛を施すべきだ)」という江戸時代の医師・大江雲澤の言葉を引用し、医者の謙虚さを説く場面も増えています。
日本医師会
日本医師会
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医は仁術(いはじんじゅつ)とは? 意味や使い方 - コトバンク
ことわざを知る辞典 「医は仁術」の解説 医術は病人を治療することによって、仁愛の徳を施す術である。 人を救うのが医者の道...

コトバンク
医の倫理綱領」―「医は仁術」は,もはや死語か? - 日本医師会
広辞苑には「(慣)医は仁術なり」とは,「医は,人命を救う博愛の道である」とあるだけである. 「医は仁術」の語源について,...

日本医師会

視点/医は仁ならざるの術,務めて仁をなさんと欲す
第1122号(平成20年6月5日) * 医は仁ならざるの術,務めて仁をなさんと欲す * 「医は仁ならざるの術,務めて仁を...

日本医師会
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投稿者: 大橋医院

2026.03.21更新

メルスモン注射は、ヒトの胎盤から抽出された成分を含む医療用医薬品です。更年期障害や乳汁分泌不全の治療に効果が期待でき、厚生労働省にも認可されています。

投稿者: 大橋医院

2026.03.20更新

アメリカにおける人種問題、特にアフリカ系の人々が奴隷として連れてこられたことに端を発する問題は、非常に根深く、完全には解決していません。これは国家の成り立ちに奴隷制が深く関わっているためであり、歴史的、文化的に広範囲にわたる複雑な問題です。

投稿者: 大橋医院

2026.03.20更新

リンカーンは南北戦争において奴隷制度の拡大には反対しましたが、当初は奴隷制度そのものの即時廃止論者ではありませんでした。しかし、戦争の進展とともに奴隷解放へと舵を切り、「奴隷解放宣言」を発表しました。

 

投稿者: 大橋医院

2026.03.20更新

高市首相とトランプ大統領の会談は、日米同盟強化の方針で一致し、成功裏に終わった可能性があります。高市首相はトランプ大統領に対し、安倍元首相の路線を引き継ぐ姿勢を示し、防衛力強化への日本の取り組みへの理解を求めたと見られます。

投稿者: 大橋医院

2026.03.19更新

教員が「叱れない」状況に陥り、無力化している主な原因は、法的・社会的な制約の強化、保護者対応の複雑化、そして教員の多忙による余裕の喪失という3つの側面から説明できます。
学校教育法第11条では教員に「懲戒権」を認めていますが、現実には以下のような要因がその行使を困難にしています。
1. 「不適切な指導」への厳しい監視と定義の曖昧さ
体罰禁止の徹底と解釈の拡大: 体罰の禁止は当然ですが、近年では「大声で怒鳴る」「長時間立たせる」といった行為も「不適切な指導」や「心理的虐待」と見なされる傾向が強まっています。
ハラスメント意識の高まり: 児童生徒や保護者が教員の言動を「パワーハラスメント」と捉えるケースが増え、教員側が事後のトラブル(訴訟やSNSでの拡散など)を恐れて萎縮しています。
広島県公式ホームページ
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+3
2. 保護者対応の複雑化(モンスターペアレンツ問題)
家庭の教育力の低下と要求の過激化: 自分の子供への注意を「攻撃」と捉える保護者や、些細な指導に対しても過度な謝罪や説明を求めるケースが増えています。
学校のサービス業化: 学校が「サービス提供者」、保護者が「消費者」という構図が強まり、教員が毅然とした態度を取りにくい社会的空気が醸成されています。
勤怠管理システムTime-R
勤怠管理システムTime-R
+1
3. 教員の多忙と精神的余裕の欠如
業務過多による「対話」の断絶: 叱るという行為には、その後のフォローや信頼関係の再構築が必要ですが、教員にその時間的・精神的な余裕がありません。
メンタルヘルスの悪化: 精神疾患による休職者が増加しており、指導そのものを避ける「事なかれ主義」が現場に広がっている側面も指摘されています。
独立行政法人 労働政策研究・研修機構
独立行政法人 労働政策研究・研修機構
+2
4. 児童生徒の「権利意識」の変容
こども基本法の施行: 子どもの意見表明権や権利擁護が法的に明確化されたことで、従来の「上から下へ」の指導が通用しにくくなり、双方向の納得感が必要な高度な指導技術が求められるようになっています。
文部科学省
文部科学省
これらが複合的に絡み合い、教員が正当な教育活動の一環として「叱る」ことさえもリスクと感じるようになり、結果として現場の統率力が低下する「教員の無力化」を招いていると考えられます。
現場の先生がより安心して指導できる環境を作るには、どのような支援が必要だと思いますか?

 

 



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2022/06/27 — 教員の主なストレスや悩みの原因 教員を対象とした調査では、業務に関連したストレスや悩みとして、「長時間勤務の多さ」「職場...

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生徒指導提要 - 文部科学省
2022/12/06 — その際、事案に 応じて、学校だけでなく、家庭や専門性のある関係機関、地域などの協力を得な がら、社会全体で子供たちの成長...

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教員の過剰労働の現状と今後の課題
教員の過剰労働を生み出した要因は,主として次の 3 点であ る。 第 1 に 1972 年の給特法(教員に超過勤務手当を...

独立行政法人 労働政策研究・研修機構
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投稿者: 大橋医院

2026.03.19更新

小中学校のPTAにおける教師への強要や教育のゆがみについて、提示された情報からは、PTA会費の取り扱いに関する教師からの訴えと、現代の学校教育が抱える課題が読み取れます。PTA活動が教師の負担となっている可能性や、教育制度自体の問題点が指摘されています。

投稿者: 大橋医院

2026.03.19更新

恐竜が繁栄する前、地球上ではさまざまな生物が大量絶滅と繁栄を繰り返していました。特に、古生代には魚類や両生類が栄え、いくつかの大規模な絶滅を経験しています。

投稿者: 大橋医院

2026.03.19更新

心不全治療は現在、発症予防と再入院予防に重点が置かれており、多職種連携による継続的な支援が重要視されています。特に高齢化が進む日本では、2030年には心不全患者が130万人に達すると推計されており、「心不全パンデミック」として対策が急務となっています。

投稿者: 大橋医院

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