2026.04.30更新

当院へ長いこと、高血圧症で、通院していた87歳の女性であった。87歳だが、20歳代に負けないぐらい元気で、”大阪のおばちゃん”という感じで、しゃべりだしたら、漫才が

止まらないという愉快なおばーさんであった。ところが、ある日の診察で、私は彼女の黄疸を見逃さなかった。すぐに、採血したら、ひどい肝機能異常で、腫瘍マーカーCA19-9が異常に

高値であった。すぐに入院を勧めたが、彼女は拒否、ご主人や家族全員に膵臓癌の可能性大であることを告げ、彼女はしぶしぶ入院した。大手術で膵臓全摘、所属リンパ節も丹念に取り除かれた。

その後、放射線療法、分子強敵化学療法(以前の化学療法は正常細胞にも害を及ぼし、癌細胞だけを死滅させること)も無力であった。しかし、今の化学療法は、癌細胞だけを目標に作用することが

可能になった。気の強い彼女は、術後、半年がたち当院に現れ、すっかり治りました、と笑顔を見せた。いつも旅行好きで、お土産や、自慢の夕食の手料理をいただいているほど仲良しであった。

私は、すっかり根治したという彼女の発言に疑問を持った。医学生時代から、膵臓癌はいかに早期に発見しても予後は5年であると、何度も教授より教えこまれてきたからだ。卒後50年になるが

膵臓癌で長生きした患者さんにお会いできていない。50年の強烈な医学の進歩でも、私は5年以上生存した膵臓癌の患者に遭遇していない。癌の治療もかなりの進歩で肝臓癌、胃癌,肺癌、そのほか

長生きしている患者さんは多い。いつもにこやかに外来通院していた老婆は、突然来院しなくなり、ある日娘さんが来院し、「膵臓癌は敵手したものの、細胞レベルで、全身転移しており、余命も極めて短いのです。」と言われ帰っていった。あの元気な大阪のおばちゃんも、膵臓癌には勝てなかった。お葬式にお参りに、我が家で言ったのは間もなくであった。膵臓癌に罹患した人の最大余命は5年という

学生時代に習った格言は今も残っているのだ。

 

 

投稿者: 大橋医院

2026.04.30更新

当院へ長いこと、高血圧症で、通院していた87歳の女性であった。87歳だが、20歳代に負けないぐらい元気で、”大阪のおばちゃん”という感じで、しゃべりだしたら、漫才が

止まらないという愉快なおばーさんであった。ところが、ある日の診察で、私は彼女の黄疸を見逃さなかった。すぐに、採血したら、ひどい肝機能異常で、腫瘍マーカーCA19-9が異常に

高値であった。すぐに入院を勧めたが、彼女は拒否、ご主人や家族全員に膵臓癌の可能性大であることを告げ、彼女はしぶしぶ入院した。大手術で膵臓全摘、所属リンパ節も丹念に取り除かれた。

その後、放射線療法、分子強敵化学療法(以前の化学療法は正常細胞にも害を及ぼし、癌細胞だけを死滅させること)も無力であった。しかし、今の化学療法は、癌細胞だけを目標に作用することが

可能になった。気の強い彼女は、術後、半年がたち当院に現れ、すっかり治りました、と笑顔を見せた。いつも旅行好きで、お土産や、自慢の夕食の手料理をいただいているほど仲良しであった。

私は、すっかり根治したという彼女の発言に疑問を持った。医学生時代から、膵臓癌はいかに早期に発見しても予後は5年であると、何度も教授より教えこまれてきたからだ。卒後50年になるが

膵臓癌で長生きした患者さんにお会いできていない。50年の強烈な医学の進歩でも、私は5年以上生存した膵臓癌の患者に遭遇していない。癌の治療もかなりの進歩で肝臓癌、胃癌,肺癌、そのほか

長生きしている患者さんは多い。いつもにこやかに外来通院していた老婆は、突然来院しなくなり、ある日娘さんが来院し、「膵臓癌は敵手したものの、細胞レベルで、全身転移しており、余命も極めて短いのです。」と言われ帰っていった。あの元気な大阪のおばちゃんも、膵臓癌には勝てなかった。お葬式にお参りに、我が家で言ったのは間もなくであった。膵臓癌に罹患した人の最大余命は5年という

学生時代に習った格言は今も残っているのだ。

 

 

投稿者: 大橋医院

2026.04.29更新

由井正雪の乱って、どんな事件?
「由井正雪(ゆいしょうせつ)の乱」とは、どういった事件だったのでしょうか? 由井正雪の人物像もあわせて解説します。

由井正雪が、江戸幕府転覆を狙った事件
由井正雪の乱とは、1651(慶安4)年に、軍学者の由井正雪が幕府を転覆させようと反乱を企てた事件のことです。慶安年間に発覚したことから、「慶安事件」とも呼ばれています。

由井正雪の乱は、主君を持たない浪人たちを利用した計画でした。江戸だけではなく駿府(すんぷ)・大坂・京都と日本各地で反乱を起こそうという大規模な計画でしたが、未然に防がれてしまいました。

このような反乱が企てられたのは、江戸で増えつつあった浪人たちの幕府への不満が原因でした。事前に情報が幕府に漏れたことから発覚し、正雪は切腹、計画に協力しようとした仲間も処刑されました。由井正雪は、駿府(現在の静岡市)で生まれた人物で、軍学者である楠木不伝(くすのきふでん)に弟子入りしました。軍学を学んだ正雪は、後に自らも学者として軍学塾を開いたのです。

正雪は、鎌倉時代から南北朝時代にかけての武将である楠木正成(まさしげ)を尊敬していたといわれています。正成は、後醍醐(ごだいご)天皇の部下として、「建武の新政(けんむのしんせい)」を支えた人物です。

後醍醐天皇とともに鎌倉幕府の打倒を実現した正成に憧れていたことも、正雪が江戸幕府への反乱を目論(もくろ)む理由になったと考えられます。正雪が、幕府への仕官を断っていたのが、浪人からの支持を集める理由になったという説もあるようです。

背景には、幕府への不満を抱いた浪人たちの存在がありました。由井正雪の乱が起こった理由や、時代背景をチェックしましょう。浪人の増加が社会問題に江戸時代の武士は、幕府や各地の大名に仕えるのが一般的でした。江戸時代には「改易(かいえき)」という刑罰があり、大名が領地を取り上げられる「取りつぶし」によって影響を受けた武士も数多く存在しました。

こうして江戸時代初期には、仕事を失った武士=浪人が増加したのです。主君のいない浪人たちは、仕事を手に入れようと、こぞって江戸に向かったため、江戸では治安の悪化が社会問題になりました。領地や地位を失うことを「牢籠(ろうろう)」ということから、浪人はもともと「牢人(ろうにん)」といわれていたようです。しかし、牢という字が牢獄をイメージさせるため、後に浪人と書かれるようになったといいます。泉岳寺「赤穂義士墓所」(東京都港区)。浪人といえば、まず最初に浮かぶのが1701(元禄14)年に起きた「松の廊下の刃傷(にんじょう)」事件で改易された赤穂藩士たち。翌年、主君の敵を討った赤穂浪士たちは、ここ泉岳寺に葬られた。戒名の最初の文字は「刃」。

浪人たちの幕府への不満が募る
江戸時代に入り、戦(いくさ)が少なくなったため、主君や仕事を失った浪人が増加しました。経済的に厳しくなった浪人たちは、次第に江戸幕府に対する不満を高めていったのです。

そのような時代の流れのなかで、数多くの塾生を集めていた由井正雪は、多くの浪人に支持されました。1651(慶安4)年に3代将軍・徳川家光(いえみつ)が病死し、4代将軍に就任した家綱(いえつな)がまだ11歳と幼かったことから、幕府転覆の好機ととらえた正雪と浪人たちは反乱の計画を立てたのです。

由井正雪の乱の結果や余波
由井正雪の乱は、事前に発覚したため失敗に終わりました。由井正雪の乱の詳細な結果と、その後の歴史に及ぼした影響について見ていきましょう。

密告により、計画は未遂に終わる
全国各地での反乱を目論んだ正雪ですが、反乱は未遂に終わりました。原因は、正雪の一味である奥村八左衛門が、反乱を実行する前に幕府に計画を密告したためです。

幕府はこの密告を受け、正雪の仲間であった丸橋忠弥(まるばしちゅうや)を捕らえました。駿府に向かっていた正雪は、到着後すぐに奉行所の役人に囲まれ、計画の失敗を悟って自決します。

また、幕府は以前から正雪の動きに注目しており、正雪が開いた塾・張孔堂(ちょうこうどう)には門弟に交じって密偵がいたともいわれています。江戸幕府が正雪と浪人たちのつながりを知っていたのも、計画が未遂に終わった原因の一つです。失敗に終わった由井正雪の乱

由井正雪の乱が起こった背景には、幕府に不満を持った浪人が増加したことが挙げられます。戦がほぼなくなった江戸時代には、仕事や主君を失う武士が多かったのが原因です。

計画がずさんだったこともあり、由井正雪の乱は失敗に終わりましたが、その後も幕府への反感を持つ浪人は存在しました。危機感を持った幕府は、これ以上、浪人を増やさないよう文治政治を始めたのです。

由井正雪の乱は、家綱時代に江戸幕府の政治方針を改めるきっかけにもなりました。実際に反乱は起こらなかったものの、由井正雪の乱は幕府に大きな影響を与えた出来事だったのです。

投稿者: 大橋医院

2026.04.27更新

私は学校の校医をしている。驚いたことだが、小学校のまだキャリア3年目の先生から聞いた話である。「私達、教員は生徒の腕も足も頭も胸も背中も触ることは許されていません。

たとえ授業を熱心に生徒に教えようとしていても、隣の生徒と無駄口をたたいたり、教科書と関係のない

漫画本を机の上に置いてあっても、せいぜい優しく”そんなことはだめですよ。授業に集中しなさい」これが限界の指導なのである。その先生は25歳で、私は73歳だが、当時、机の上に

漫画本など鑑賞していたら、担任の生徒に往復ビンタ、何か先生のご機嫌を損ねたら、棒きれで頭を殴打されるか、教室の後ろにいつまでも立たされるのは常識であった・。60年の歳月は、

教育現場を恐ろしく変えた。60年前は先生は絶対君主であり、たとえ納得のいかない暴力的、威嚇的説経でもそれは、正しく、両親に相談しても、先生に逆らうものではないとのことであった。

昨今、セクハラ、パワハラ、ハラースメントばやりであるから、学校の先生も、職場の上司も新人には、きつく叱ると、社会問題となる。最近、ITの進歩により、盗撮道具が驚くほど発達し、眼鏡のフレーム、サンダルの中、花瓶の花の中、驚異のカメラが設置してあり、女子生徒の着替えを盗撮して、SNSに仲間内で男子教員はお楽しみのようである。教え子に学問を教えながら、男性本能も満足させて満足そうであるが、これは犯罪であり、女子生徒の深い悲しみを全く考えていない。

60年前の私どもも教員の権威は絶対なものであり、成長期の男女生徒の体育の着替えや、プールの水着着脱も同じ教室であった。いまだに理解できないことに、修学旅行の前に、持っていくカバンの中らパンティーチェックが行われたことである。男子生徒はかまわぬが女子は極めて、羞恥心に泣いた。教員の絶対権力のもとに、同窓会で聞いたことだが、かわいい美人蛙女子生徒は個室に連れていかれボディーチェックをされ泣き寝入りだったそうである。最近、急速にPTAの力が絶大なものになり、先生は此の圧力におびえる毎日である。私ども学校医も、内科健診の時、成長期の女の子は、スポーツシャツで診察できる範囲を極端に狭くしており、厚い部位ラジャーをされては、ほんの皮膚の隙間から検診をせねばいけない。病期を見つけるには極めて困難である。PTAから女子生徒の羞恥心を校医は無視していると抗議される。桃太郎の演劇尾でもやろうとすると、誰が桃太郎で、誰がサルで、誰が鬼か、PTAのご両親はわが子かわいさに、桃太郎は中止だそうである。運動会も競争が伴うから、生徒をスタートラインからゴールまでまともに競争させたら、1位の子供と6位の子供ができる。これはPTAのお母様は大変ご立腹で、順位がわからない競技スタイルをせtっていせねばいけない。子供は成長、自立さえねばいけない、そして強い心と、肉体を備えねばいけない。お母様方が、小学校、中学校、高等学校、大学、職場まで、我が子がいじめられていないか大変ご心配されるので、今の若者は叱られることを、永遠に経験せずに、社会へ出る。気に入らなければすぐに転職か、引きこもりである。技術は七転八転のうえに習得せねばいけない。

話しはきりがないが、少子高齢化、これから日本を背負う若者の根性の無さ、親の溺愛、ライオンの子は親がいったん谷底へ蹴落とし、はいあがってくる姿を見て成長を確認するそうである。

今の日本の教育姿勢、ジェネレーションギャップに驚かされる、毎日の私であるが、立派な日本国でいつまででもあってほしい。

 

 

 

 

投稿者: 大橋医院

2026.04.24更新

当院へ、絶世の美女が来院されます。

その人の内服薬をご紹介します。

「シナール、 トラネキサム酸、 トコフェノールニコチン酸,タチオン,

ノイロビタン、 フルスルチアミン、ビオチン酸、ビオフェルミン、 ツムラ消風散、メルスモン筋注、」

サー皆様も、この女性にチャレンジして、より美しくなりましょう。

 

投稿者: 大橋医院

2026.04.24更新

グルタチオンは、強い抗酸化作用で細胞を活性酸素から守る3つのアミノ酸(グルタミン酸、システイン、グリシン)から成る物質です。肝臓で生成され、解毒、免疫向上、肌のトーンアップ(シミ・肝斑予防)に効果が期待されます。20代をピークに減少するため、サプリや白玉点滴などで補うのが一般的です。


 グルタチオンの主な効果
美白・美容効果(白玉点滴): メラニン生成の要因となるチロシナーゼを抑制し、シミや肝斑を予防、肌の明るさを高めます。
強い抗酸化作用: 老化の原因となる活性酸素を消去し、エイジングケアや細胞の若返りをサポートします。
肝機能の向上・解毒作用: 肝臓に多く存在し、有害物質を排出するデトックス効果があります。
免疫力向上: ウイルス感染の予防や、慢性炎症の抑制に役立つ可能性があります。
パーキンソン病の緩和: 脳内の抗酸化作用により、神経細胞の減少を抑える効果が報告されています。

投稿者: 大橋医院

2026.04.24更新

私は、11歳の頃、父に連れられて、大映の映画館へ鑑賞しに行った。

もう60年前のことであるし、私も11歳という少年であったから、これから書くことは、精確ではないがお許しください。

 

この映画の冒頭にナレーションが入った。「ビルマの土は人間の血で赤く染められている」

第2次世界大戦(大東亞戦争と日本人は言った。)第2次世界大戦は泥沼になっていた。日本軍は水軍と陸軍は敬遠の中で分裂しており、

陸軍の中でも、中国全土を支配し、兵隊を北方へ派遣する一派と

オーストラリアや南太平洋をの島々を支配する陸軍と別れていた。

この映画の主人公”水島上等兵”は部下は殴り倒して鍛えるべきだという命令に背き、やさしい部下の面倒をよく見る上等兵であった。

日本側の戦局は、極めて悪く、しかし驚くべきことにビルマまで、陸軍は侵略していた。しかし,行きっぱなしで、日本からの食糧を含む軍需物質は、ほとんど米軍により破壊されていた。

陸軍の中でも中国大陸を手中に収めるべきであるという考え方と、南欧続行したビルマ人は被支配されていたが、ゲリラであり、イギリスの方に味方していた。日本兵の軍曹は、元合唱団であり、暗くなり下を向き、泣きそうな部下を、美しい日本のいや世界の歌を合唱するように

命令していた。この美しい歌声が、兵隊たちの心を癒していた。補給もなく食料を或る夜、民家に押し入り強奪して、満腹感で、居眠り、していたs。

知らない間に敵国のイギリス兵にとり囲まれていた。ここで打ち合いを含めたら

多くの死傷者が出るはずであった。元合唱部の体調は、武器を捨て、イギリス軍に向かって、

美しい童謡を輪唱し始めた。すると日本軍を殲滅するするつもりのイギリス軍も、イギリスのうつくしい童謡を輪唱し始めた。戦争は中止であり、日本兵は素直にイギリス軍の捕虜となった。

やがて、日本へ帰国できる。戦争は日本の敗戦であった。ほとんどの日本兵は本国へ帰れることになっていた。ただし、”水島上等兵だけは、日本へ帰るのを拒否した。記憶はあいまいだが、

ビルマにとどまり、ビルマに放置してある、腐敗した日本兵をきちんと荼毘するまで帰らないと主張した。何故か、これが許され水島上等兵だけビルマにとどまった。途中、僧侶の入浴中に、

袈裟を盗み、僧侶になりすまし、ビルマ全土に放置してある死体を腐りきった、カラスが食いつつき、野良犬、キツネ、肉食獣が食いちぎっていた・その日本兵を一体一体埋葬するのである。

袈裟を盗んだのは、ビルマは仏教国であり、国民は水島の来ている僧侶の衣装を見ると,拝んで食料を提供した。死体は腐乱が激しく、強烈な悪臭を放っていたが、水島は丁寧にいつ終わることもない

お葬式を水島は続行した。仲間たちは「水島!俺たちと一緒に日本へ帰ろう!」という叫び声が何度も聞いたが、水島の腐敗した日本兵の荼毘は続行した。日本兵は水島一人残して日本へ帰るのだが

悲しかった!「水島上等兵殿!一緒に日本へかえろう!」水島は聞く耳を持たなかった。戦後百年が経とうとする今、水島はどうなったのか。ビルマの土に埋もれたに違いない。

ビルマの土は人間の血で赤く染められている。」(完)

 

投稿者: 大橋医院

2026.04.24更新

<原子爆弾>     大橋医院  大橋信昭
1945年8月9日11時2分に米軍がプルトニウム型原爆「ファットマン」を長崎市へ投下した。最初は小倉に投下する予定であったが曇りで視界悪く、被害にあったのは、見晴らしの良いしかも盆地の形態を要する最高適正地の長崎市になった。この日は、日ソ不可進条約破られ、中国大陸にいた、多くの日本人が偶然にも犠牲になった。さーこの物語の主人公:愛花君子は原爆投下の日は、17歳を迎えた美しい乙女あり、その運命の時間も、防空壕の奥深くで楽しく遊んでいた。その日の11時2分は、爆発と同時に空中の一点摂氏数千万度も言われる火球が発生、爆発から一万分の一秒という超ミクロ瞬間にその直径は、30メートル、温度は摂氏およそ30万度になり、さらに火球は百分の一秒から一秒の間に直径100-280メートルに達した。特に人体に熱傷を与えたのは、爆発後の0.3秒から3秒までの間においての赤外線であった。地上物質の表面温度は3,000度~4000度にも達した。爆発、強力な気圧変化、強い爆風、放射能を乗せて長崎市を全滅させた。もう長崎市は森、林はもちろん草一つ生えないであろうと報道された。
 17歳の愛花君子は友だちとの遊びやおしゃべりに夢中で、防空壕の最も奥深いとこに、幸いにもいたことが死に至らなかったのであろう。一緒に同じ防空壕に入った大人たちは、君子が友だちと外へ出たときは、死体となっていた。周りの景色は激変、ビルディング、木造家屋は全倒壊、右も左も、北も南もわからなくなっていた。あとからわかった話だが、君子は9人兄弟の8番目の子、長兄は倒れてきた電柱に挟まれ、即死はしていないが身動きできなくなっていた。火の手は早く、家族の半分は死んでいたが、残りの家族、近所に向かって、涙で「残ったお前たちは生きるんだ!早く逃げろ!それから米軍は、女を見たらすぐにレープするから丸坊主になれ!」前後関係はハッキリしないが、君子はスキンヘッドになり、島原まで全速力で走った。途中は死体の山であり、時々、足をつかまれ、「水をください」の半死状態の人と出くわした。無視である。島原の親切なお百姓さんが2週間,匿ってくださり、恐る恐る長崎へ帰っていった。幸いにお婆さんは生きており、半分になった愛花家は必死で立ち直ろうとした。長崎の人の力はすごい!不完全ながらも2年後には、長崎祭りが行われていた。その後も、君子の苦労は続行し、昭和23年に町のチンピラ、パチンコ経営者と恋愛、赤ん坊迄生み、駈け落ちをして、はるか転倒もつかない大垣市の長屋で所帯を持った。やがて第2子も生まれて、石油販売業を経営して大成功をおさめた。
しかし、これは20年後に分かるのだが、母親はいくら被爆地の奥深い防空壕で避難していても、放射能をはじめとする有害物質が空中を充満しており、君子の卵巣のDNAはひどい変異を受けていたのである。長男智成、次女智代は、二人とも心房中柿生欠損症と肥厚型心筋症を先天的にもって生まれてきており、それが長男の子供にも遺伝し、孫まで二人,肥厚型心筋症を持っており、12歳になる長女は思春期病になり、ついに不登校となってしまった。
 ここで筆者は主張したい。原子爆弾投下は長崎市で最後にしてもらいたい。あの爆弾は、人間の遺伝子を変異し、それが孫の末代まで影響する。何の罪もないのである。普通の爆弾は被害を受けた人が死に至り、子孫に影響することはない。もちろん原子爆弾で直接、即死する人が大半であるが、白血病、癌、血友病など、様々な難病で長く床について苦しみ昇天するのである。原子爆弾ほど残酷で、意地悪で、地獄を見る爆弾はない。原子爆弾を作った米国人のオッペンハイマーは、戦後に広島、長崎を訪れ、その悲惨さを見て「俺は、なんと残酷なものを作ってしまったのだろう」と、死ぬまで自殺も考えつつ苦しんだらしい。
 人間ほど愚かな動物はいるだろうか?植物、草食動物、肉食動物、ウィルス、細菌、プランクトン、、、など、地球にはいろんな生き物がいるが、弱肉強食の世界で残酷なものである。しかし、それぞれの生物は、生きてゆくために、やむを得ずに、魚はプランクトンを食べ、ウィルス、細菌も仕組まれた繁殖性のため、人類は苦しめられる。草食動物は草花を食べなければ生きていけないし、肉食動物は、残酷にも草食動物を食い殺すのは宿命であり、食物連鎖である。
これで地球の生態はバランスが取れている。やむを得ない。ホモサピエンスだけが、悪知恵が働き、文明と殺傷能力のある兵器は猛烈に進歩し、言い換えれば、人間ほど共食いの激しい動物はいない。何故戦争へと発展するのか。歴史が始まって以来、小競り合いから、戦争、第1次、第2次世界大戦、民族、宗教戦争が何百年と続行しているのである。大量殺戮であり、その被害者は軍人、民間人、乳幼児、児童、民間人、老人、、無差別な殺し合いである。こんな残酷な共食いを何千年としているのは人間だけである。そのくせ、コミュニケーションが取れるのは人間だけである。これだけは強調したい!原始爆弾投下は長崎市が最後である。(完)

 

 

 

投稿者: 大橋医院

2026.04.20更新

夜間は、睡眠はすぐに訪れ、朝までぐっすり眠れ、朝はすっきりしているのがベストです。

患者様のお話を聞いいますと、夜間に2-3回、ひどい人になると1時間おきにトイレへ行く人がいます。

大変危険です。夜間に目覚める回数が多い人は、脳血管障害、転倒により大腿股関節骨折、睡眠不足で昼間仕事に集中できません。

クービック25mg(オレキシン受容体拮抗剤)をお勧めします。これを就寝前5分に、服用して、ベットに行きますとすぐに眠ります。

6-7時間の睡眠を得られ、朝、すっきりです。夜間の途中覚醒はありません。

ポラキス2錠を朝、夕と2錠併用しますと、頻尿がなくなります。おしっこの悩みは無くなります。

投稿者: 大橋医院

2026.04.20更新

活性型ビタミンDは、血液中のカルシウムを保ち、骨を作るホルモンです。 そのため、腎臓病で腎臓の働きが落ちると、活性型ビタミンDが不足し、血液中のカルシウムが低下して(低カルシウム血症)骨がスカスカになります。 もう1つ、腎臓と骨に関係するミネラルとして、リンがあります。

投稿者: 大橋医院

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