2026.06.29更新

こんな夜中に迷惑だけれど、とても刺激のある本を読んじゃったんだ。忘れないうちに書いておこうおもいまして。

それは五木ひろしと都はるみの対談集なんだよ。五木ひろしは僕はかなり何冊か読んでいるから、。93歳でご健在で現役です。都はるみは知っていますか?

当然京都生まれなのさ。彼女が京都へ帰ってくると、八百屋のおじさん、。床屋のぎゅじん、レストランの奥さん、、、、、みんなはるみちゃんお帰り、もう外へ出たら大さわぎ、

でもね、スムースに大歌手になったじゃない、ご両親は錦織織を朝から晩まで休みなしで働いているわけ、貧乏暇なし、5人兄弟で都はるみは長女、お母さんが長女の都はるみに

歌手になるよう、他の4人はほったらかしで、歌の勉強、楽器の勉強、踊りの勉強、、、全財産をぶつけるわけ、都はるみはご両親の跡継ぎはいやだけど、歌手になる情熱も今一なんだよね、

よくさぼるんだって、そのたびにお母様が真剣にビンタ、DVですヨ。何回も殴られるんだって。大坂でのど自慢大会があり、参加者3000人だって、そんな人数審査員も寝てしまうでしょう!

だからおかあさまのはるみの歌にうなりを入れる、唸りっぱなし、歌はうまいんだし、審査員が半分寝ていても、都はるみの場になると、大きな声のうなりがはいるでしょう。審査員はびっくりして

起きちゃうんですって。」うなりに磨きをかけて、大阪は10人の代表選手に入り、とう、東京大会へ出かけ、唸りっぱなしで優勝しちゃったんだって。11歳ぐらいの時かな。プロ歌手なんだけど、

中学生までは童謡しか歌わせてもらえず、中学に入ると、大人の名のヒット曲をうなりまく手舞台に立ったんだ。すぐには売れなかったけど「あんこ椿は恋の花」「好きになった人」「北の宿から」

なんて、皆さん何回も聞いて空で歌えるでしょう。順調に演歌歌手として進んだんだけど36歳の時に止めると言い出したんだって。言い出したら後戻りしない!多くのファンや支援者をがっかりさせた。5年間も休んでいた。新人を育てていたり、何をしていたか僕にはわかりませんが、急に復帰するって言いだしたんだって1言い出したら後戻りしない人だけど、舞台に立っても、新曲を5年間辛抱してお客さんに聞いてもらったけど、舞台のお客は無反応、やはりやめる前に流行っていた曲が流れだすとお客は大さわぎ、「あんこ椿は恋の花」「好きになった人」「北の宿から」を待っているんだって、その後も歌手生活はもうやめるなんて言わないで各地でリハーサルをやり満員御礼ですって。

「さようなら、さようなら、元気でいてね、好きなあの人は、いつでも一緒、たとえ離れて暮らしても、お嫁になんかには、行かないわ、待って、、待っているのよいついつまでも、さようなら さようなら 好きになった人」志村健がコントのバックに流していたよね。対談集は面白いね、今日短時間で3分の2を読み、明日の仕事がるあるからもう寝ます。もう一冊対談集がありますが火曜から水曜日のお楽しみ。くどくてごめんね!

投稿者: 大橋医院

2026.06.29更新

7月、8月と産業医の講義を聴くために13時30分まで岐阜駅のある施設まで行かなければいけない。

今日の1時過ぎ、大丈夫だ、30分歩こうと外へ出たら、5分から10分歩いたけど太陽光線が、超きつい、40度はあるのじゃないの?

すぐに戻ってきた。いけない午後1時半までに十六プラザへいけるかしら?大垣駅まで歩けないのでは?それぐらい熱い!気ちがいになりそう!困ったな。

話しは変わるが、萩本欣一、きんちゃんはげんきなのかな?80歳代だろうな?初めて、坂上二郎さんとのコンビの「コント55号」のギャグをみたときはわらいこげた。

その後欽ちゃんは、大活躍、毎日TVに出るようになり「欽ちゃんのどこまでやるの、何でそうなるの、、、、?」覚えていないけど面白かった。

欽ちゃんは日曜日の午前にプロ歌手を選ぶ真剣な番組を作っていました。歌手は森昌子、桜田淳子、山口百恵、岩崎宏美、、、きりがないですよ!歌手になる登竜門だったのだな。

山口百恵とアクユウが中悪く、アクユウは一曲も彼女の局を書いていません。何があったの?それでも21歳で素敵なご主人三浦友和と結婚し、幸せそうだからね。

無表情に背中を向けて「今の言葉、誰が言ったの、プレイバック1」幸福な家庭の主婦像をSNSで盗撮されていた。

阿久悠は、芸能界で凄い活躍で、何曲のヒットを飛ばしたのかな?岩崎宏美が歌って阿ク悠が作詞した「思秋期」をのせます。いい歌だよ。

「足音もなく行き過ぎた 季節を 一人見送って はらはら涙溢れる 私十八  無口だけれどあたたかい 心を持ったあのひとの 別れの言葉だきしめ やがて十九に

、、、まだまだあるけどYoutubeで楽しんでね!熱中症になるよ!

 

 

 

投稿者: 大橋医院

2026.06.29更新

御膳時頃、ラジオで毎日、なつかしい歌謡曲が流れています。僕の若い頃、今より、毎日のように歌謡番組が放送されていました。いろんな曲が耳についています。

「年上の女」:だめよ だめよ ダメ―なのよ!そっと絡んだ白い指 離したくない つらいのよ

      だめよ ダメダメダメなのよ 泣いてすがった 年上の女 歌詞;森進一 、作詞;中山貴美 作曲;稲本雅夫

「有楽町で逢いましょう」;あなたを待てば雨が降る、濡れて来ぬかと気にかかる、あーあービルのほとりのティールーム 雨もいとしや

            歌ってる 甘いブルース あなたと私の合言葉 有楽町で逢いましょう  作詞;佐伯孝夫、作曲;吉田正

投稿者: 大橋医院

2026.06.28更新

暑いね!今、大垣駅まで散歩がてら、ウォーキングしたのだが、直射日光にまともに当たると、あまりにも体が慣れていない音頭に、驚いてよろめいてしまう。慌てて日陰を探すが

極めて日陰の部分は少ない。嘉永道は涼しい涼風語彙風になったが、本当にたすかる。今日は、時間を気にせずに周囲の景色を観察しながらのとぼとぼ散歩となった。野に咲く雑草や花は美しく、

そびえたつ木々は逞しい。いくらシャッターが閉鎖されているとしっても、ストリートはゴーストタウン。小売店はどこへ行ってしまったの?昔、よく出入りした店が、堅く口を閉ざしているのを

みて寒気がしてしまう。時間は過ぎ去り、人は老い、必ず死ぬ。栄枯盛衰だ。駅のコンビニであんころ餅をかって、大橋医院へフラフラで帰宅。クーラーで加田を冷やし。五木ひろしのこころがのこす、あの何だったかな?ともかく読書に楽しもう。TVは臨時ニュース以外見るべきものなし。眼鏡なしで虫眼鏡で文章を書くのに疲れた。おしまい!

 

投稿者: 大橋医院

2026.06.28更新

今日はよく眠れなかったせいもあるし、太陽がはっきりしないし、低気圧なのか?体調が極めて悪い。もとに心不全を抱えているから心配である。

昨夜、日野原重明の105歳の遺書的文章を読み返し、五木寛之は今、93歳で今も生きておられるが、85歳の時に生と死に関する文章もよんだ。

人間は臨終の際、どんな感じなのであろう?僕も昨年、自転車を運転中、転倒し、ヘルメットを装着していたのであるが、頚椎を損傷?全身打撲,暫く起き上がれなかったことがある。

その時、何故か、あーこんなふうに、体から力が抜けていくような、もうどうにでもなれ、死を迎えるときは、このような投げやり、あきらめのひどいものかな?

最近、人生の高齢者向けの本ばかり読んでいる。明らかに陰症でよくない。子供たちも育ち、夫婦二人生活でいるが,今日のような日曜日は家内の元気さには叶わない。

僕はこれから書斎に戻り、百田尚樹の書いた「日本国紀」をよむ。日本人はどこから来たのか、古代から平成時代まで書いてあるが、とても全部読めないので、頭が過労したら止める。

そして、和田秀樹の中高年は60歳以上はこう生きるべきだという本があるのでよむ。何とか、外が小寒いので、元気が出たら散歩に出たい。元気を出さなくちゃいけない。

これでも、僕を医師として,頼ってくれる患者さんが多勢いるのだから。

投稿者: 大橋医院

2026.06.27更新

今日、岐阜県保険協会主催の勉強会「専門医から見た、かかりつけ医にしてほしいCKD診療と病診連携}の講義をオンラインで聴講した。

15女から16時半までの講義である。座長が僕の友人の廣瀬功であるから聞く気になった。演者は岐阜市民病院の腎臓部長木村行宏せんせいであった。

家内の熱弁ご苦労さん。私は質問を2台、Q&Aから送った。それ以外は無い。フロアにも聴衆者はいないようである。僕が質問しないとこの会は情けない講演会である。

僕と廣瀬の友情で持った講演会だ。

馬鹿馬鹿しくて、スポーツシャツに着替え大垣駅まで急ぎ足で15分かかることが分かった。

7月と8月に岐阜市駅前のじゅうろくプラザで行われる産業医の講義が13時半より行われる。遅刻はしないことがわかった。

しかし、7月,8月の暑さはこんなものではない!そこが若干不安である。でも頑張るぞ!

投稿者: 大橋医院

2026.06.27更新

台風で大変かと思ったら、大したことはなく、ぼちぼち患者さんが来院されました。

9時40分、高脂血症の0歳の男性来院、手段検診の後、その後、他の施設の介護士が夜勤明けで来院、明日は早朝出勤、来月は11回夜勤、

疲労の極致、神経質な方なので、気を使いました、老人ホームより往診依頼(10時40分)、吐血した後あり、

アスピリンのみではいけないファモチジンも併用しなさい。腹部平坦、圧痛点、刺激症状はなし。安静経過観察。12時(正午)までパラパラ患者来院する。

 

百田尚樹の日本国紀を併読。一冊の厚い本に縄文弥生時代から平成までがまとめてある。土曜から日曜までの私の読書道楽。

教科書では学べない日本通史、古代から大和政権誕生まで。

歴史が好きだからね!

投稿者: 大橋医院

2026.06.27更新

27日は、眠れなかった。 午前1時半にベッドにもぐりこみ、ねむろうと努力するが、めがさえている。

エーい徹夜だといって、書斎に戻り本を読みだした。しかし、急に眠気というか、過労の強度を感じまた、寝室にもどった。

午前3時に就寝した。急に壮快に目を覚ました。午前5時半である。1時半しか寝ていない。しかし、さわやか、ご仏壇にお祈りし、

蛭子さんと大黒さんにも、今日の一日の平和を祈り、白衣を着て診察室に座った。やはり、えらい‼1時間半の睡眠ではしんどい!スタッフが来たら平常な顔で、

患者さんが来たら、またエネルギーを出すさ!

投稿者: 大橋医院

2026.06.27更新

いけない、日記をはじめたら、頭がさえまくって眠れやしない。ここは少し眠くなるまで、好きなことを書かせて!支離滅裂だよ!

日本は戦争に負けて以来、すっかり自信を無くしてしまったらしい。私は昭和28年生まれだから、先輩たちから聞いた話だ。しかし、湯川博士のノーベル賞、古畑頑張れ、古畑頑張れで水泳選手が

金メダルを取ったらしい。これに日本人が敗戦の悲しさを忘れさせたのは力道山だ。相撲の関脇だったんだけど、相撲協会と大喧嘩をして、脱退。資金は持っていたのか、当時、渡米はできたのか?

USAを見に行ったらしい。そこで興行として儲かるプロレスに眼をつけた。これを日本で始めれないのか、実現したのである。当時、テレビはあったが日本庶民が帰るものではなく、街頭テレビといって

路上に電柱でも打ち込み大勢の人が見えるテレビを置いたのだ。NHKから始まって、力道山は日本プロレス境界を作り、プロレスの試合を流したのだ。もちろん力道山はアメリカの一流プロレスラーを

何人も訪れ、交渉して日本へ来てくれるということになった。敗戦国の日本はすばらしくリカのプロレスラーを呼ぶためには興行成績の半分以上、が彼らのギャラだ。しかし、力道山の才能はすばらしく

街頭テレビに流れるプロレス中継に人は群がった。後は電気屋で流れているテレビのプロレス中継にも人だかりである。日本人がアメリカ人を殴る、蹴飛ばす、のはプロレスだけである。力道山の必殺技は「空手チョップ」である。最悪の力道山の不利な状況でもこの空手チョップを放てば、あれだけ元気な外人レスラーは失神するのである。レフリーが素早く、1,2,3と叫び力道山の勝利である。

日本人は外人なんかに負けないのだ。大きく話は展開した。力道山の弟子、なんといっても巨人軍から入ってきた2メートルを超す巨人「ジャイアント馬場」あとは相撲界の引き抜きもあり、力道山の空手チョップを見たさに大騒ぎであった。弟子たちもがんばり、外人レスラーをやっつけ日本のプロレスは世界一ということになった。悪役、非道、極悪の外人を空手チョップで皆やっつけ、力道山は超人気者と思われたが、昭和39年、チンピラにナイフで腹をさされたが、すぐ病院へ行けばいいのにかまわんと言って放置したら死亡した。大変なことになり、後継者は痔アインと馬場、助っ人はアントニオ猪木、僕はアントニオ猪木の大ファンであった。彼の試合はどこまでも出かけてみた。基礎的なレスリングがしっかりできているし、コブラツイストに卍固めだ。馬場と猪木は、分け合って全日本プロレスの馬場と新日本プロレスの猪木、それに国際プロレスというサンダー杉山率いる、テレビはプロレス中継でたいへんであった。僕は往路r巣が本当に好きなのである・日記というからには6月26日のことであるが超美人がやってきて私達をもっときれいにしてくださいというのにはたまげた。確かに肌を白くして、シミ、ソバカス、小じわを取る医薬品があるが、買っていった。今は、きれいになりたいという美女が押しかけてくる。当院は生活習慣病を専門とする尿因で圧倒的に中高年、老人が多いが大繁盛で結構だ。今の若い美人はすごいね!背は高く、スタイル抜群、西洋人のような美しい顔貌をしている。明日は台風だから患者さんが来てくれるか心配だが、頑張ろう。おやすみなさい。

投稿者: 大橋医院

2026.06.26更新

2026年6月26日:今日より日記をブログに書くことにしました。私の随筆も限界を感じました。

私の日記は、私のために書くので、読者にサービス精神が足らない、つまらない日記と言われそうです。だって自分の日記ですから!

私は今、会計監査ちう名をもらっています。私には会計という仕事は最もむいていません。会計は3人のメンバーから構成されています。その中に大都市の市役所にいた切れ者の男がいます。

そして会計主任ですね。会計は会計主任とこの大都市の市役所を退職した切れ者二人が、。激しい討論を繰り返し、適正な会計監査が成立します。

私は聞いているだけで、何を討論しあっているのかわかりません。自然無口、傍観してるだけで、最後に会計監査;大橋信昭とサインし、印鑑を押します。印鑑の押し方も下手で、力が不均等なのか

360度の円環の20度はかけています。私は会計監査をもう8年は、この調子でやっています。いいのでしょうか?

私は、インターネットで馬鹿だから一生かかるくらいの本を買ってしまいました。五木寛之を完読しようとしたら、石原慎太郎も面白い、三島由紀夫は残念ながら「仮面の告白」の序文で気が狂いそうになり、読むなら最後にします。太宰治全集、百田尚樹を酢十冊、歴史に興味あり、司馬遼太郎の「項羽と留保」を読んでから、。彼の歴史本をほとんど読みつくし、吉川英治、山岡荘八、

私は今日感動したのは、日野原重明の本でした。彼は105歳まで文章を書き続け、105歳の7月に他界します。ちょうどその時に95歳の老婆の介護に苦しむ女性が、腰痛、全身倦怠感で入ってきたのです。私は95歳の老婆とその介護に苦しむ娘さんに105歳の日野原重明の写真を押し付けました。「たるんどるよ!この人は105歳、貴方より10年先輩だよ!娘さん‼疲れているみたいだけど、貴方の介護はあと10年ですよ」しょんぼりして帰っていきました。日野原重明は100歳を超えても、教育、全国の講演に駆けずり回り、理想的な医師像を熱弁しまくりました。さすがに

105歳の遺書となった本を読み終えました。聖路加病院の理事長を辞任し,もうすでに車いす生活でした。病院から自宅へ最後の在宅療養へ向かわれました。最後まで介護に全力を尽くした息子の

お嫁さんの見守る中で息を引き取りました。同じ医療職なので5冊読んだのですが感銘を受けました。全国の医療に従事している方は日野原重明の本は読んだ方が良いです。サーこれから、同じ医師でもあまり尊敬できない和田秀樹の本を読みます。今日はこれまで!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

投稿者: 大橋医院

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