八つあん「おーい熊さん、お前、そんなにのんきに寝ている場合じゃないよ!お前の死体が
八幡神社の前で転がっているんだぜ、八丁周り、十手持ち、観客が大さわぎだ!」
熊さん「なんだって?俺の死体が八幡神社で転がっているのかい?これは大変だ!
すぐに起きて出かけるよ!すまないな。」
八つあん「全く世話の焼かせる熊さんだぜ!」???????????
2025.11.15更新
八つあん「おーい熊さん、お前、そんなにのんきに寝ている場合じゃないよ!お前の死体が
八幡神社の前で転がっているんだぜ、八丁周り、十手持ち、観客が大さわぎだ!」
熊さん「なんだって?俺の死体が八幡神社で転がっているのかい?これは大変だ!
すぐに起きて出かけるよ!すまないな。」
八つあん「全く世話の焼かせる熊さんだぜ!」???????????
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2025.11.15更新
二ノ宮金次郎いわく:
「おーい、もういい加減にこの校庭の高いところから降ろしてくれよ!目が回るんだよ!
雨の日も、風の日も、雪の日も、こんな高いところに立たせて、重い薪を背負わせてよ!
肩に食い込むよ、ひもが!雨の日はびしゃぬれ、雪の日は雪だるま、風の日は寒くて寒くて!
こんな状態で、本を読んで勉強しろってよ!冗談じゃない!限界だ!降ろして楽にしてくれよ!」
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2025.11.12更新
三島由紀夫の本を10冊、買い占めたが、どれも難解で、すぐに眠くなる。困った!どうしよう?一例を紹介する。
花盛り.森
「祖先がほんとうにわたしたちのなかに住んだのは、一体どれだけの昔であったろう。
今日、祖先たちはわたしどもの心臓があまりにさまざまのもので囲まれているので、そなかに住まいをもとめることができない」
この2行は,どういう意味ですか?
・
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2025.11.09更新
<ある不思議な在宅尊厳死> 大橋信昭
私は開業して、在宅尊厳死に熱意をそそいでいた。平成3年から4年頃は、介護保険がなく、訪問看護ステーション、介護施設も少なく、ショートステイ、デイサービスなどもなく、今回の天野三太郎(仮名)の場合も、お嫁さんか、家族一丸となってケアするしかなかった。天野氏は縫製職人であり、丁稚奉公から独立して天野縫製として店を開くには、かなりの苦労を要した。窓は大きく朝早くから夜中まで、天野氏の針に糸を通して、黙々と背広を、お客さんの体形に合わせて、縫製している姿は、外を通行する人が多い場所だが、私もその職人としての姿は、目に焼き付いて離れない。順調にお客さんの信頼と数を伸ばして40年が経とうとしていた。しかし、急に右半身が早朝、動かなくなった。言語障害もある。脳梗塞に伴う半身麻痺である。私の診療所は近くなので、すぐに往診して入院の必要性を家族に説明した。しかし、家族はこの店も借家であり、入院費用が払えないということを言った。近所でもあり、すぐに駆けつけられるから私に任せてください。しかし、家族にここで昇天されることは、死を迎えることは覚悟してくださいと言った。私は天野氏の部屋に点滴を24時間できるように工事から始め、在宅酸素24時間の用意もし、尿量、糞便、バイタル(血圧、体温、脈拍)は私と家族で几帳面に、ノートへ記録する習慣を徹底させた。順調に天野氏の笑顔も見えたが、ある日、意識混濁、バイタルの悪化を認めた。心臓マッサージ、気管内挿管による呼吸管理、輸液の補強、その環境で出来ることはやった。夜明けの5時2分に、天野氏を観察すると、対光反射なし、睫毛反射なし、呼吸停止、心音聞かれず、
家族にご臨終ですと宣言した。苦しむことなく、40年も座り続けた職場で、天野氏の人生は幕を閉じた。家族は私を恨むことはなく死を納得してくれた。私は、すぐに死亡診断書を構成している時に、死亡宣言して5分後だろうか、天野氏は突然、座位を取り開眼し、私に向かって「先生、ありがとう」と発語して、仰臥位になった。再度死亡確認を重点的に確認したが、やはり死亡していた。あのありがとうは何なのだろう?謎である!
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2025.11.06更新
潮騒の三浦友和と山口百恵共演の映画を見ました。
婚約済み、結婚前の二人だと思います。嵐の中、山小屋の中で、
二人、全裸状態なんです。友和はいかにもエッチしたそうですが、百恵は拒みます。
ついにエッチなしで山小屋を折ります。そこは小さな島国で、二人はあの晩、婚前交渉をしとったぞと、
噂になります。僕なら、全裸の美女前に。おちんちんが大きくなったらレープをしてエッチしちゃうかな?我慢するかな?
辛いね!
三島ゆきおの仮面の告白は支所の作品ですが
「私は生まれてきた瞬間を今でも覚えている」といい、世間に言いふらすのです。変人扱いされます。
三島由紀夫の作品は難しい!石原慎太郎は読みやすい。松本清張の未読作「Dの複合」も購入しました。
こんなに買って全部読めるでしょうか。私は本のコレクターです。
投稿者:
2025.11.03更新
今、三島由紀夫の「潮騒」を読んでいるよ。彼の文章は魅力的で引き込まれてしまうよ!
49年「仮面の告白」54年「潮騒」(新潮社文学賞)、「金閣寺」(読売文学賞)、65年「サド伯爵夫人」(芸術祭賞)、
等、数十冊買ってしまった。太宰治全集も買ったよ。机の上に読まなきゃいけない本が高く積まれている。3年はかかるかな。
でも楽しいよ!
投稿者:
2025.10.31更新
<私は囚人ではない> 大橋信昭
私は妻に、24時間、監視されている。自電車で外出するには、
シャッターを挙げねばならぬ。するとガラガラと金属音が出る。
すぐに妻が、2階から「あなた!どこへいくの!」私「自転車で散歩だよ」妻「車で危ないからダメ!」全く無視して、出かける。
散歩といっても、コンビニで小豆バーのアイスを買いに行くのである。私はこれが大好物である。若い女性は、病気にならないから、診療所内ではお目にかかれないが、外の世界では鑑賞できる。マスクをしている美女がいるが、「マスクを外してもらえませんか?」などは心の中でしまっておかねばならない。外は気分が良い。太陽の強烈な光、爽やかな風が心地よい。帰りが遅くなると、また彼女から癇癪玉が投げられるから、院長室に引きこもる。YouTubeで、
Mozart,ベートーベンなどのクラシックを、倍賞美津子の童謡もバックミュージックとして心よい。書斎は本だらけである。私は本に囲まれてミュージックを背景に本を読み漁るのが天国である。
若い頃は、活かした女性とお知り合いになり、恋の二つや、三つ咲かないものかと、家にはじっとしておれなかったが72歳のお爺さんとなれば、若い女性は私を皺くちゃの爺としか認識しない。悲しいものである。黒光りして、戦艦大和の大砲のごとく太く、カチカチであった私の息子も、今は細く小さく短く、ふにゃふにゃでミミズの方がたくましい。しかし、本は楽しい。歴史、政治、小説、詩集、どこの世界、いつの時代でも飛んでいける。そして、そこで考察して随筆にするのだ。年寄扱いは悲しい!満員電車に乗ると席を譲ってもらえるが心は複雑である。私は毎日、起床後、すぐに」ラジオ体操第一、第2、スクワット、エルゴメーター100回をやり鍛えている。心は20歳代と変わらない。美しい貴婦人と恋愛がしたい。狭い大橋医院のビルでは、妻と出来るだけ接触しないように心掛けている。逢うと、必ずなぜか叱られ、現実世界に引き戻される。ファンタジーの世界で楽しんでいたい。最近の若い女性は、背が高く、姿勢もよく極めて美しい。それに比べ私は、猫背で、腰も曲がり、慢性の腰痛もちで、小便が近い割には,排尿に時間がかかる。前立腺肥大である。年を取ればケーリ―グラントのように渋い老人を目指していたがうまくいかないものである。スマホで若い女性のセミヌードを鑑賞する。とても扱える物体ではない。時々、お逢いしませんかという絶世の美女のメールが来るが、お金を取られ、哀れな女性のエクスタシーはほど遠く、悲しい老人の証となる。(完)
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2025.10.29更新
私は、調子に乗って、石原慎太郎と五木寛之の本を、アマゾンで、大量購入してしまいました。
本が山済みです。
全部読むのに、2-3年かかるな。一冊ずつ楽しみながら読んでいくのだ。
バックにYouTubeでクラシック音楽か、倍賞千恵子の童謡を聞きながら!
しあわせ!
投稿者:
2025.10.29更新
私がいつも唄っているはなうたを不完全ながら書きます。
「僕の恋人、東京へイッチッチ、僕の気持ちを知りながら、何で何で東京がいいんだろう、、、、
「覚えているかい、今日の月を、都へ繰り出す、真っ赤なりんご、、
「涙のおおーー終わりの一滴、ゴムのカッパにしみとおる、どうせおいらは、やんしゅーかもめー、、、、
「真っ白な陶磁器を、見つめては、飽きもせず、かといって触れもせず、僕の一日が過ぎてゆく、、
「僕の行くと所へ着いておいでよ、夜空には真っ赤な星が光る、約束しよう、君と、、、、、、
「夜空を仰いで見詰める星も、君のいない砂浜は寂しいぜ、、、、、、
「やると思えばどこまでやるさ、これが男の生きる道,義理が廃れば,この夜は闇よ、、、、、、
「ついてくるなと言うたのに、黙って俺についてきた、、、
「困っちゃうナ、デートに誘われて、どうしよう、まだまだはやかしら、うれしいような、怖いような、、、
「どうしたの、ついてこないのかい、お日さまが晴れているだけだよ、、、、、
「春色の汽車に乗って、たばこのにおいがする彼にそっと寄り添うから、付き合って、半年もたつのに、彼って、手も握らない、彼についていくは、線路のわきには赤いスイトピー、、、、、
「あなたに私の大切なものをあげるは、(たいせつなものは欲しいよ!)、、、、
「松風騒ぐ、丘の上、古城よ今も何思う、映画の後を夢に追い、あーあー仰げば空し、天守閣、、、、、、、
「行かなくちゃ、行かなくちゃ、君の所へ行かなくちゃ、しかし今朝の雨、傘がない,,,,,,,
「いつでも、いつでも君だけを、夢に見ている僕なんだ、星の光を写してる君の瞳に出会うたび、、、、、
「好きなんだけど、離れてるのさ、遠くで星を見るように、、、、、、、星のフラメンコ、、、、、
「潮来のいたろう、ちょいと見なれば、薄情そうな渡り鳥、それでいいのさ、その移り気が、風の行くまま、西東、、、、、
「10年は一昔、あー妹が、今日は夏祭り、、、、、、、
「君の横顔、素敵だーぜ、すねたそのめが好きなのさ、もっとお寄りよ、離れずに、小さなフロアのナイトクラブ、、、、
「吹けば飛ぶような」将棋の駒に、かけた命を笑わば笑え!、生まれ浪速は八百矢橋、、、、、
「泣けた、こらえきれずに泣けちゃった、あの子と別れた悲しさに、山のカケスも泣いていた、一本杉の石の地蔵さんお、、、
投稿者:
2025.10.26更新
<日本一の皮膚科女医へ 人生はきびしいのだ!> 大橋信昭
私の知り合い、大野蒔絵よ!人生は厳しいのだ。私と故妹は、小さい頃、いつも父におびえていた。ガソリンスタンドという3Kの仕事もあるかもしれないが、夜はいつも夫婦喧嘩、父の怒りは猛烈で、母は、歯を折るは、下着は引き裂かれ、靴下はストーブの中、出刃包丁を持ち出し、母を刺そうとすることもあった。殴り、蹴飛ばされ、家は出ていけと言い、私と故妹と母と大垣中を逃げ回ったものだ。私も父からはしょっちゅう往復ビンタ、革靴で背中を思いっきり蹴られ、息ができなかったこともある。番犬が父を怖がっていた。暴力団の組長と仲良しで、店の客室は、入れ墨男、指を詰めた人相の悪い男たちで一杯であった。僕が勉強していても、ヘッチャラに隣で花札博打をやり、怒鳴りまくるのだ。それにしても父は、暴力団にいじめられている一般市民には優しく、暴力団は父の顔を見ると逃げていった。一回、日曜日にガソリン泥棒に入った二人組を半殺しにするのを見ていた。恐怖そのものである。ご機嫌の時は私にアメリカの高い百科事典を買ってくれたし、ファーストミットまでプレゼントしてくれた。私は、この毎日の恐怖生活から逃避するため医学部を受験し、名古屋の下宿生活を始めたのだ。父にガソリンスタンドは継がないし医師になると言ったら、3時間もたたされ説教された。いつ殴られるか分からなかった。名古屋へ出て、医学生、医師になったら周りはいい人ばかり、医師、薬剤師、看護師、検査技師などで、人生はこんなに幸せになるのかと思った。ママと出会い結婚し、よくケンカするが、蒔絵や静香が生まれ、二人とも成長した。私の医師となってからも、白い巨塔そのもの鬼教授、県立多治見では鬼部長、医学博士も簡単に取れるわけではなくかなり苦労したものだ。開業も教授が許すわけがなく、強引に今の大垣市伝馬町で開業した。父と母とまた同居である。父も年を取り心筋梗塞、64歳には胃癌(スキルス)で他界した。母は84歳で事故死であった。開業生活は、患者といかに触れ合うか、日々勉強であったし、スタッフのコントロールには最大のストレスであった。眠れない日々が続行した。在宅尊厳死をよくやっていたため、夜中ら夜明け仕事も多かった。私も72歳の老人になり、仕事は若い頃よりかなり縮小しているよ。ただ常に患者さんの立場になり、いかに幸福にしてやるか、そればかり考えているよ。今夜は5時より伝馬町の恵比寿講がり、伝馬町とはうまく付き合わないといけない。医師会も内科会幹事、医師会理事などもやり、大垣ライオンズクラブに義理ではいらされたが、長くは続かずみんな辞表を出した。今は静かにYouTubeで音楽を聴きながら読書を楽しんでいる。平和ですよ。蒔絵も開業した、独立したのだから、死に物狂いで頑張らなくちゃだめだよ!私は診察室でいつまでも聴診器を持ちながら死ぬつもりです。(完)
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