<医師も人間である!> 大橋信昭
私は昭和54年卒の循環器専門医の大橋信昭と申します。卒業して40年以上経ちますか?あの頃は、卒業しますと研修医になり2年間、研修医手当で生活します。15-6万円だと思いますが、若いですから、技術習得、特に心肺蘇生、静注、動脈穿刺、気道確保、目の前の患者さんは、軽症か?重症か?まずどんな医療行為すべきか?わからないことばかりです。先輩から「研修医は虫けら以下だ!血の小便が出るまで働け!」急患が救急車で集中医療室に入って来る!先輩の罵声の元、死にもの狂いで働きました。患者さんの主治医になると、助けるためには上司に聞きながら、24時間働きました。若いからできました。研修医手当だけでは、学会にも行けません。無理して当直を引き受けます。当直料も貴重な収入源です。夜明けから朝まで働き、午前8時半から通常の外来勤務、昼からは検査、病棟回診、もう夕方です。夕食の確保は病棟食の冷たく余ったもので済ませます。こんな生活を365日続けますと、倒れます。事実、私もひどい腰痛になり動けなくなり、同期の友は不明熱で入院です。この生活を2年続行しますと、ある程度医師として実力が付きます。しかし、経験が浅いのは確かで、相手が多様な人間性を持った患者さんで、接し方、話し方も変えねばいけません。私は初期研修終了ということで、県立OOO病院へ循環器科として赴任しました。怖い部長で土日の休養も認めてくれません。帰宅時間は早くて午後9時、抄読会、症例検討会などあると、夜中になり、そんなときに救急車が入り、主治医は私になります。大学の初期研修医で学んだことを実践しますが、技術不足で、部長、医長、看護主任からも叱られ、四面楚歌です。患者さんは私の熱意は理解してくださり、慰めてくれます。これが唯一の救いです。私は循環器外にも呼吸器、消化器も勉強したかったので各部長に頭を下げ、勉強させてもらいました。自由時間は、ほんのわずか、疲れ果てていました。その病院で2年間修業を積み、かなり臨床の力は増えました。そして、大学病院の教授から帰ってくるように命令され、研究、臨床、後輩指導、学生授業に手を抜かずに全力でやれとの命令でした。最初は無給医で、生活できませんから、各学校の身体検査、病院の当直、近くの病院の外来アルバイトで生活がやっとできました。教授は研究を中心に全国、海外の学会に発表することを強要しました。そして発表内容は論文化せねばなりません。やがて助手になり給料がもらえますから、アルバイトを含め少し豊かになります。6年間の研究生活と教授のカバン持ちを続けてまいりましたら、WashingtonDCで開かれる“World of Congress of Cadiology”に私の論文が通りましたので、権威ある学会に発表が決まったことで、教授が初めてほめてくれました。発表後すぐに論文化したら医学博士を授与されました。お礼奉公に国立OO病院へ勤務しろとの命令です。安い給料で私はもう結婚して二人の子供を連れていました生活は苦しかったのです。私は医師になろうと思ったときに地元の家庭医が理想でした。開業しますと教授室の門をたたき、地元で家庭医として一生を捧げたいと言いましたが教授の顔は鬼のようでした。私の人生ですから、平成元年に開業しました。初日に両親、親戚が20人患者役で来てくれまして、10年は閑古鳥が鳴き、私もまだ若く、時間外、深夜、在宅訪問診察、緊急往診、命がけで働きました。やっと地元の市民の信用を得て、患者さんはかなり増加しました。幼稚園の嘱託医、小学校、中学校の嘱託医、産業医、老人ホームの嘱託医を引き受け、24時間365日働きました。土曜、日曜、祝日、お盆、正月はありません。開業時に多額の借金を銀行に借りていましたが、返済は順調、今度は子供が私立の医学部と薬学部二入学しまして、莫大な教育費に追われることになりました。私は公立で年間9万円の授業料でよかったのですが、私立の医学部は一億以上支払ったと思います。二人とも無事卒業し、やっと楽になるかと思ったら、2年ごとの医療費改正で漸減ですね。生活にゆとりはありません。私も年を取り、72歳になり、無理が効かなくなってきていることがわかります。往診は減らし、夜間の救急診療も断り、恥ずかしながら交通事故(居眠り運転で、電柱に激突3回、赤信号無視)で運転能力の低下を感じ免許は返しました。タクシーと自転車で学校への仕事、産業医の仕事、老人ホーム、開放型簡易型老人施設、などをこなし、ずいぶん仕事を減らしました。もう贅沢は出来ません。家内と二人暮らしで、従業員も全員パートです。長生きせねばいけませんから、毎日ラジオ体操第一、第二、スクワット、エルゴメーター、散歩をして、アマゾンから大量の本を購入し、読書に明け暮れる毎日です。家内の手料理を三六五日朝食、昼食、夕食、外食はせず、酒もたばこも関係なし、ぜいたくは敵です。
私が医師になったころより、社会情勢の悪化もありますが、質素な生活です。学会が年会費を上げてきましたので、循環器専門医、内科学会認定医の継続も困難、産業医のみにしようと思っています。患者さんの健康と幸福のみ考え、地元の家庭医として幕を閉じます。
2025.11.20更新
医師も人間! 大橋信昭
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2025.11.15更新
八つあんと熊さん
八つあん「おーい熊さん、お前、そんなにのんきに寝ている場合じゃないよ!お前の死体が
八幡神社の前で転がっているんだぜ、八丁周り、十手持ち、観客が大さわぎだ!」
熊さん「なんだって?俺の死体が八幡神社で転がっているのかい?これは大変だ!
すぐに起きて出かけるよ!すまないな。」
八つあん「全く世話の焼かせる熊さんだぜ!」???????????
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2025.11.15更新
二ノ宮金次郎
二ノ宮金次郎いわく:
「おーい、もういい加減にこの校庭の高いところから降ろしてくれよ!目が回るんだよ!
雨の日も、風の日も、雪の日も、こんな高いところに立たせて、重い薪を背負わせてよ!
肩に食い込むよ、ひもが!雨の日はびしゃぬれ、雪の日は雪だるま、風の日は寒くて寒くて!
こんな状態で、本を読んで勉強しろってよ!冗談じゃない!限界だ!降ろして楽にしてくれよ!」
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2025.11.12更新
難解 三島由紀夫
三島由紀夫の本を10冊、買い占めたが、どれも難解で、すぐに眠くなる。困った!どうしよう?一例を紹介する。
花盛り.森
「祖先がほんとうにわたしたちのなかに住んだのは、一体どれだけの昔であったろう。
今日、祖先たちはわたしどもの心臓があまりにさまざまのもので囲まれているので、そなかに住まいをもとめることができない」
この2行は,どういう意味ですか?
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2025.11.09更新
ある不思議な家庭尊厳死の一例 大橋信昭
<ある不思議な在宅尊厳死> 大橋信昭
私は開業して、在宅尊厳死に熱意をそそいでいた。平成3年から4年頃は、介護保険がなく、訪問看護ステーション、介護施設も少なく、ショートステイ、デイサービスなどもなく、今回の天野三太郎(仮名)の場合も、お嫁さんか、家族一丸となってケアするしかなかった。天野氏は縫製職人であり、丁稚奉公から独立して天野縫製として店を開くには、かなりの苦労を要した。窓は大きく朝早くから夜中まで、天野氏の針に糸を通して、黙々と背広を、お客さんの体形に合わせて、縫製している姿は、外を通行する人が多い場所だが、私もその職人としての姿は、目に焼き付いて離れない。順調にお客さんの信頼と数を伸ばして40年が経とうとしていた。しかし、急に右半身が早朝、動かなくなった。言語障害もある。脳梗塞に伴う半身麻痺である。私の診療所は近くなので、すぐに往診して入院の必要性を家族に説明した。しかし、家族はこの店も借家であり、入院費用が払えないということを言った。近所でもあり、すぐに駆けつけられるから私に任せてください。しかし、家族にここで昇天されることは、死を迎えることは覚悟してくださいと言った。私は天野氏の部屋に点滴を24時間できるように工事から始め、在宅酸素24時間の用意もし、尿量、糞便、バイタル(血圧、体温、脈拍)は私と家族で几帳面に、ノートへ記録する習慣を徹底させた。順調に天野氏の笑顔も見えたが、ある日、意識混濁、バイタルの悪化を認めた。心臓マッサージ、気管内挿管による呼吸管理、輸液の補強、その環境で出来ることはやった。夜明けの5時2分に、天野氏を観察すると、対光反射なし、睫毛反射なし、呼吸停止、心音聞かれず、
家族にご臨終ですと宣言した。苦しむことなく、40年も座り続けた職場で、天野氏の人生は幕を閉じた。家族は私を恨むことはなく死を納得してくれた。私は、すぐに死亡診断書を構成している時に、死亡宣言して5分後だろうか、天野氏は突然、座位を取り開眼し、私に向かって「先生、ありがとう」と発語して、仰臥位になった。再度死亡確認を重点的に確認したが、やはり死亡していた。あのありがとうは何なのだろう?謎である!
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2025.11.06更新
潮騒から考える。
潮騒の三浦友和と山口百恵共演の映画を見ました。
婚約済み、結婚前の二人だと思います。嵐の中、山小屋の中で、
二人、全裸状態なんです。友和はいかにもエッチしたそうですが、百恵は拒みます。
ついにエッチなしで山小屋を折ります。そこは小さな島国で、二人はあの晩、婚前交渉をしとったぞと、
噂になります。僕なら、全裸の美女前に。おちんちんが大きくなったらレープをしてエッチしちゃうかな?我慢するかな?
辛いね!
三島ゆきおの仮面の告白は支所の作品ですが
「私は生まれてきた瞬間を今でも覚えている」といい、世間に言いふらすのです。変人扱いされます。
三島由紀夫の作品は難しい!石原慎太郎は読みやすい。松本清張の未読作「Dの複合」も購入しました。
こんなに買って全部読めるでしょうか。私は本のコレクターです。
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2025.11.03更新
三島由紀夫
今、三島由紀夫の「潮騒」を読んでいるよ。彼の文章は魅力的で引き込まれてしまうよ!
49年「仮面の告白」54年「潮騒」(新潮社文学賞)、「金閣寺」(読売文学賞)、65年「サド伯爵夫人」(芸術祭賞)、
等、数十冊買ってしまった。太宰治全集も買ったよ。机の上に読まなきゃいけない本が高く積まれている。3年はかかるかな。
でも楽しいよ!
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2025.10.31更新
私は囚人ではない 大橋信昭
<私は囚人ではない> 大橋信昭
私は妻に、24時間、監視されている。自電車で外出するには、
シャッターを挙げねばならぬ。するとガラガラと金属音が出る。
すぐに妻が、2階から「あなた!どこへいくの!」私「自転車で散歩だよ」妻「車で危ないからダメ!」全く無視して、出かける。
散歩といっても、コンビニで小豆バーのアイスを買いに行くのである。私はこれが大好物である。若い女性は、病気にならないから、診療所内ではお目にかかれないが、外の世界では鑑賞できる。マスクをしている美女がいるが、「マスクを外してもらえませんか?」などは心の中でしまっておかねばならない。外は気分が良い。太陽の強烈な光、爽やかな風が心地よい。帰りが遅くなると、また彼女から癇癪玉が投げられるから、院長室に引きこもる。YouTubeで、
Mozart,ベートーベンなどのクラシックを、倍賞美津子の童謡もバックミュージックとして心よい。書斎は本だらけである。私は本に囲まれてミュージックを背景に本を読み漁るのが天国である。
若い頃は、活かした女性とお知り合いになり、恋の二つや、三つ咲かないものかと、家にはじっとしておれなかったが72歳のお爺さんとなれば、若い女性は私を皺くちゃの爺としか認識しない。悲しいものである。黒光りして、戦艦大和の大砲のごとく太く、カチカチであった私の息子も、今は細く小さく短く、ふにゃふにゃでミミズの方がたくましい。しかし、本は楽しい。歴史、政治、小説、詩集、どこの世界、いつの時代でも飛んでいける。そして、そこで考察して随筆にするのだ。年寄扱いは悲しい!満員電車に乗ると席を譲ってもらえるが心は複雑である。私は毎日、起床後、すぐに」ラジオ体操第一、第2、スクワット、エルゴメーター100回をやり鍛えている。心は20歳代と変わらない。美しい貴婦人と恋愛がしたい。狭い大橋医院のビルでは、妻と出来るだけ接触しないように心掛けている。逢うと、必ずなぜか叱られ、現実世界に引き戻される。ファンタジーの世界で楽しんでいたい。最近の若い女性は、背が高く、姿勢もよく極めて美しい。それに比べ私は、猫背で、腰も曲がり、慢性の腰痛もちで、小便が近い割には,排尿に時間がかかる。前立腺肥大である。年を取ればケーリ―グラントのように渋い老人を目指していたがうまくいかないものである。スマホで若い女性のセミヌードを鑑賞する。とても扱える物体ではない。時々、お逢いしませんかという絶世の美女のメールが来るが、お金を取られ、哀れな女性のエクスタシーはほど遠く、悲しい老人の証となる。(完)
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2025.10.29更新
今日の午後の私の楽しみ
私は、調子に乗って、石原慎太郎と五木寛之の本を、アマゾンで、大量購入してしまいました。
本が山済みです。
全部読むのに、2-3年かかるな。一冊ずつ楽しみながら読んでいくのだ。
バックにYouTubeでクラシック音楽か、倍賞千恵子の童謡を聞きながら!
しあわせ!
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2025.10.29更新
私がいつも唄っているはなうた(ちょびれちょびれ)
私がいつも唄っているはなうたを不完全ながら書きます。
「僕の恋人、東京へイッチッチ、僕の気持ちを知りながら、何で何で東京がいいんだろう、、、、
「覚えているかい、今日の月を、都へ繰り出す、真っ赤なりんご、、
「涙のおおーー終わりの一滴、ゴムのカッパにしみとおる、どうせおいらは、やんしゅーかもめー、、、、
「真っ白な陶磁器を、見つめては、飽きもせず、かといって触れもせず、僕の一日が過ぎてゆく、、
「僕の行くと所へ着いておいでよ、夜空には真っ赤な星が光る、約束しよう、君と、、、、、、
「夜空を仰いで見詰める星も、君のいない砂浜は寂しいぜ、、、、、、
「やると思えばどこまでやるさ、これが男の生きる道,義理が廃れば,この夜は闇よ、、、、、、
「ついてくるなと言うたのに、黙って俺についてきた、、、
「困っちゃうナ、デートに誘われて、どうしよう、まだまだはやかしら、うれしいような、怖いような、、、
「どうしたの、ついてこないのかい、お日さまが晴れているだけだよ、、、、、
「春色の汽車に乗って、たばこのにおいがする彼にそっと寄り添うから、付き合って、半年もたつのに、彼って、手も握らない、彼についていくは、線路のわきには赤いスイトピー、、、、、
「あなたに私の大切なものをあげるは、(たいせつなものは欲しいよ!)、、、、
「松風騒ぐ、丘の上、古城よ今も何思う、映画の後を夢に追い、あーあー仰げば空し、天守閣、、、、、、、
「行かなくちゃ、行かなくちゃ、君の所へ行かなくちゃ、しかし今朝の雨、傘がない,,,,,,,
「いつでも、いつでも君だけを、夢に見ている僕なんだ、星の光を写してる君の瞳に出会うたび、、、、、
「好きなんだけど、離れてるのさ、遠くで星を見るように、、、、、、、星のフラメンコ、、、、、
「潮来のいたろう、ちょいと見なれば、薄情そうな渡り鳥、それでいいのさ、その移り気が、風の行くまま、西東、、、、、
「10年は一昔、あー妹が、今日は夏祭り、、、、、、、
「君の横顔、素敵だーぜ、すねたそのめが好きなのさ、もっとお寄りよ、離れずに、小さなフロアのナイトクラブ、、、、
「吹けば飛ぶような」将棋の駒に、かけた命を笑わば笑え!、生まれ浪速は八百矢橋、、、、、
「泣けた、こらえきれずに泣けちゃった、あの子と別れた悲しさに、山のカケスも泣いていた、一本杉の石の地蔵さんお、、、
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