2025.11.06更新

潮騒の三浦友和と山口百恵共演の映画を見ました。

婚約済み、結婚前の二人だと思います。嵐の中、山小屋の中で、

二人、全裸状態なんです。友和はいかにもエッチしたそうですが、百恵は拒みます。

ついにエッチなしで山小屋を折ります。そこは小さな島国で、二人はあの晩、婚前交渉をしとったぞと、

噂になります。僕なら、全裸の美女前に。おちんちんが大きくなったらレープをしてエッチしちゃうかな?我慢するかな?

辛いね!

三島ゆきおの仮面の告白は支所の作品ですが

「私は生まれてきた瞬間を今でも覚えている」といい、世間に言いふらすのです。変人扱いされます。

三島由紀夫の作品は難しい!石原慎太郎は読みやすい。松本清張の未読作「Dの複合」も購入しました。

こんなに買って全部読めるでしょうか。私は本のコレクターです。

投稿者: 大橋医院

2025.11.03更新

今、三島由紀夫の「潮騒」を読んでいるよ。彼の文章は魅力的で引き込まれてしまうよ!

49年「仮面の告白」54年「潮騒」(新潮社文学賞)、「金閣寺」(読売文学賞)、65年「サド伯爵夫人」(芸術祭賞)、

等、数十冊買ってしまった。太宰治全集も買ったよ。机の上に読まなきゃいけない本が高く積まれている。3年はかかるかな。

でも楽しいよ!

投稿者: 大橋医院

2025.10.31更新

<私は囚人ではない>  大橋信昭
私は妻に、24時間、監視されている。自電車で外出するには、
シャッターを挙げねばならぬ。するとガラガラと金属音が出る。
すぐに妻が、2階から「あなた!どこへいくの!」私「自転車で散歩だよ」妻「車で危ないからダメ!」全く無視して、出かける。
散歩といっても、コンビニで小豆バーのアイスを買いに行くのである。私はこれが大好物である。若い女性は、病気にならないから、診療所内ではお目にかかれないが、外の世界では鑑賞できる。マスクをしている美女がいるが、「マスクを外してもらえませんか?」などは心の中でしまっておかねばならない。外は気分が良い。太陽の強烈な光、爽やかな風が心地よい。帰りが遅くなると、また彼女から癇癪玉が投げられるから、院長室に引きこもる。YouTubeで、
Mozart,ベートーベンなどのクラシックを、倍賞美津子の童謡もバックミュージックとして心よい。書斎は本だらけである。私は本に囲まれてミュージックを背景に本を読み漁るのが天国である。
若い頃は、活かした女性とお知り合いになり、恋の二つや、三つ咲かないものかと、家にはじっとしておれなかったが72歳のお爺さんとなれば、若い女性は私を皺くちゃの爺としか認識しない。悲しいものである。黒光りして、戦艦大和の大砲のごとく太く、カチカチであった私の息子も、今は細く小さく短く、ふにゃふにゃでミミズの方がたくましい。しかし、本は楽しい。歴史、政治、小説、詩集、どこの世界、いつの時代でも飛んでいける。そして、そこで考察して随筆にするのだ。年寄扱いは悲しい!満員電車に乗ると席を譲ってもらえるが心は複雑である。私は毎日、起床後、すぐに」ラジオ体操第一、第2、スクワット、エルゴメーター100回をやり鍛えている。心は20歳代と変わらない。美しい貴婦人と恋愛がしたい。狭い大橋医院のビルでは、妻と出来るだけ接触しないように心掛けている。逢うと、必ずなぜか叱られ、現実世界に引き戻される。ファンタジーの世界で楽しんでいたい。最近の若い女性は、背が高く、姿勢もよく極めて美しい。それに比べ私は、猫背で、腰も曲がり、慢性の腰痛もちで、小便が近い割には,排尿に時間がかかる。前立腺肥大である。年を取ればケーリ―グラントのように渋い老人を目指していたがうまくいかないものである。スマホで若い女性のセミヌードを鑑賞する。とても扱える物体ではない。時々、お逢いしませんかという絶世の美女のメールが来るが、お金を取られ、哀れな女性のエクスタシーはほど遠く、悲しい老人の証となる。(完)

投稿者: 大橋医院

2025.10.29更新

私は、調子に乗って、石原慎太郎と五木寛之の本を、アマゾンで、大量購入してしまいました。

本が山済みです。

全部読むのに、2-3年かかるな。一冊ずつ楽しみながら読んでいくのだ。

バックにYouTubeでクラシック音楽か、倍賞千恵子の童謡を聞きながら!

しあわせ!

投稿者: 大橋医院

2025.10.29更新

私がいつも唄っているはなうたを不完全ながら書きます。

「僕の恋人、東京へイッチッチ、僕の気持ちを知りながら、何で何で東京がいいんだろう、、、、

「覚えているかい、今日の月を、都へ繰り出す、真っ赤なりんご、、

「涙のおおーー終わりの一滴、ゴムのカッパにしみとおる、どうせおいらは、やんしゅーかもめー、、、、

「真っ白な陶磁器を、見つめては、飽きもせず、かといって触れもせず、僕の一日が過ぎてゆく、、

「僕の行くと所へ着いておいでよ、夜空には真っ赤な星が光る、約束しよう、君と、、、、、、

「夜空を仰いで見詰める星も、君のいない砂浜は寂しいぜ、、、、、、

「やると思えばどこまでやるさ、これが男の生きる道,義理が廃れば,この夜は闇よ、、、、、、

「ついてくるなと言うたのに、黙って俺についてきた、、、

「困っちゃうナ、デートに誘われて、どうしよう、まだまだはやかしら、うれしいような、怖いような、、、

「どうしたの、ついてこないのかい、お日さまが晴れているだけだよ、、、、、

「春色の汽車に乗って、たばこのにおいがする彼にそっと寄り添うから、付き合って、半年もたつのに、彼って、手も握らない、彼についていくは、線路のわきには赤いスイトピー、、、、、

「あなたに私の大切なものをあげるは、(たいせつなものは欲しいよ!)、、、、

「松風騒ぐ、丘の上、古城よ今も何思う、映画の後を夢に追い、あーあー仰げば空し、天守閣、、、、、、、

「行かなくちゃ、行かなくちゃ、君の所へ行かなくちゃ、しかし今朝の雨、傘がない,,,,,,,

「いつでも、いつでも君だけを、夢に見ている僕なんだ、星の光を写してる君の瞳に出会うたび、、、、、

「好きなんだけど、離れてるのさ、遠くで星を見るように、、、、、、、星のフラメンコ、、、、、

「潮来のいたろう、ちょいと見なれば、薄情そうな渡り鳥、それでいいのさ、その移り気が、風の行くまま、西東、、、、、

「10年は一昔、あー妹が、今日は夏祭り、、、、、、、

「君の横顔、素敵だーぜ、すねたそのめが好きなのさ、もっとお寄りよ、離れずに、小さなフロアのナイトクラブ、、、、

「吹けば飛ぶような」将棋の駒に、かけた命を笑わば笑え!、生まれ浪速は八百矢橋、、、、、

「泣けた、こらえきれずに泣けちゃった、あの子と別れた悲しさに、山のカケスも泣いていた、一本杉の石の地蔵さんお、、、

投稿者: 大橋医院

2025.10.26更新

<日本一の皮膚科女医へ 人生はきびしいのだ!>  大橋信昭
私の知り合い、大野蒔絵よ!人生は厳しいのだ。私と故妹は、小さい頃、いつも父におびえていた。ガソリンスタンドという3Kの仕事もあるかもしれないが、夜はいつも夫婦喧嘩、父の怒りは猛烈で、母は、歯を折るは、下着は引き裂かれ、靴下はストーブの中、出刃包丁を持ち出し、母を刺そうとすることもあった。殴り、蹴飛ばされ、家は出ていけと言い、私と故妹と母と大垣中を逃げ回ったものだ。私も父からはしょっちゅう往復ビンタ、革靴で背中を思いっきり蹴られ、息ができなかったこともある。番犬が父を怖がっていた。暴力団の組長と仲良しで、店の客室は、入れ墨男、指を詰めた人相の悪い男たちで一杯であった。僕が勉強していても、ヘッチャラに隣で花札博打をやり、怒鳴りまくるのだ。それにしても父は、暴力団にいじめられている一般市民には優しく、暴力団は父の顔を見ると逃げていった。一回、日曜日にガソリン泥棒に入った二人組を半殺しにするのを見ていた。恐怖そのものである。ご機嫌の時は私にアメリカの高い百科事典を買ってくれたし、ファーストミットまでプレゼントしてくれた。私は、この毎日の恐怖生活から逃避するため医学部を受験し、名古屋の下宿生活を始めたのだ。父にガソリンスタンドは継がないし医師になると言ったら、3時間もたたされ説教された。いつ殴られるか分からなかった。名古屋へ出て、医学生、医師になったら周りはいい人ばかり、医師、薬剤師、看護師、検査技師などで、人生はこんなに幸せになるのかと思った。ママと出会い結婚し、よくケンカするが、蒔絵や静香が生まれ、二人とも成長した。私の医師となってからも、白い巨塔そのもの鬼教授、県立多治見では鬼部長、医学博士も簡単に取れるわけではなくかなり苦労したものだ。開業も教授が許すわけがなく、強引に今の大垣市伝馬町で開業した。父と母とまた同居である。父も年を取り心筋梗塞、64歳には胃癌(スキルス)で他界した。母は84歳で事故死であった。開業生活は、患者といかに触れ合うか、日々勉強であったし、スタッフのコントロールには最大のストレスであった。眠れない日々が続行した。在宅尊厳死をよくやっていたため、夜中ら夜明け仕事も多かった。私も72歳の老人になり、仕事は若い頃よりかなり縮小しているよ。ただ常に患者さんの立場になり、いかに幸福にしてやるか、そればかり考えているよ。今夜は5時より伝馬町の恵比寿講がり、伝馬町とはうまく付き合わないといけない。医師会も内科会幹事、医師会理事などもやり、大垣ライオンズクラブに義理ではいらされたが、長くは続かずみんな辞表を出した。今は静かにYouTubeで音楽を聴きながら読書を楽しんでいる。平和ですよ。蒔絵も開業した、独立したのだから、死に物狂いで頑張らなくちゃだめだよ!私は診察室でいつまでも聴診器を持ちながら死ぬつもりです。(完)

投稿者: 大橋医院

2025.10.24更新

私は昭和28年7月31日に長崎県長崎市に生まれた。覚えはないが戸籍謄本に書いてある。母の話によると3歳ごろまでいて、父の実家の岐阜県大垣市に引っ越ししたらしい。かすかに蒸気機関車の煙が窓から侵入した覚えがある。本格的にこの世界を察知したのは5歳であろう。大垣市南頬町の一軒家の2階で寝ており、周りはスマートボールの機械で囲まれていた。両親はスマートボールで荒稼ぎをしたらしい。私がはっきりこの世界を認識した時は、伝馬町でガソリンスタンドを両親は汗水流して経営、働いていた。大変な肉体労働であった。私は10歳頃には、父の商売を継承する気はなく、医師にあこがれていた。赤ん坊のころから体が弱く、家庭医のお世話になることが多く、医師にあこがれていたのである。南小学校から3年生の時に東小学校に転向した。そこで転校生はいじめられた。しかし、学力でもって4年生には級長に選ばれていた。勉強はできる自信があり、いじめからみんなの尊敬を集めた。中学校も成績はよく、毎年、委員長に選ばれ、3年生には生徒会の執行部に選ばれた。私は優秀で、立派な男だと思っていたら、岐阜県立岐阜高校に進学したら、とんでもない思い違いであった。460人の生徒数の中で入学試験の成績は200番である。担任の先生に医学部を受けますと言ったら「医学部は60番前後でないとは入れない」と鼻で笑われた。大垣から岐阜市への通勤は大変で、電車の中でも勉強し、黒板か教科書、参考書しか見ずに、徐々に成績は上昇していった。2年生の担任の先生には大変なお褒めの言葉をいただいた。15歳、16歳、17歳、青春の真っ最中、勉強ばかりしていたわけではない。文学作品が好きで読書はよくしたし、映画が好きで試験が終わると名画を鑑賞しに映画館へ行った。多少の恋もした。徒労であった。私は名古屋市立大学医学部に志望し、60人の定員に1200人の受験生が詰めかけたが、無事合格した。神様と御先祖様の陰である。医学部時代は楽しかった。生物研究部と陸上部に入りはしたが、大した活躍はしなかった。高校時代は女性とお話はしたことが無かったが医学部は薬学部生、看護学生、看護師、周りは女性ばかりであった。いくら女性に囲まれてももてた記憶はない。それよりも憧れの医学部に入り、教えていただける先生も医師ばかりで、楽しかった。医学の勉強は受験勉強に比べて極めて楽しかった。無事国家試験を合格し、研修医となった。循環器の教室に入ったが、教授には、よく叱られた。初期研修が終わると県立多治見病院に転勤したが、不眠不休で働いても叱られてばかりいた。医学博士を取るため大学へ研究のため戻ることに決まった。研究の指導の先生がとてもやさしく厳しく、おかげで国内の学会の発表で日本中を歩き、海外もユーゴスラビア、アムステルダム、台北、ワシントン、特にワシントンはWorld Congress of Cardiologyで権威があり、教授は私に医学博士を認めてくださった。多少の波風があったが、平成元年2月10日に故郷の大垣市で開業し、今日に至っている。山あり谷ありの開業生活だが生涯、家庭医でいるつもりである。

投稿者: 大橋医院

2025.10.24更新

<夕焼雲>

歌手:千昌夫:作詞:横井弘、作曲:一代のぼる

 

夕焼雲に誘われて 別れの端を超えてきた 帰らない 花が咲くまで帰らない 帰らない 誓いのあとのせつなさが 杏の幹に 残る町

 

二人の家の白壁が ならんで浮かぶ堀の水 忘れない どこへ行っても忘れない 小指でとかす黒髪の かおりに甘く揺れた町

 

あれから春が また秋が ながれていまは遠い町 帰れない 帰りたいけど帰れない 帰れない 夕焼雲のその下で 一人の酒に 偲ぶ町

 

投稿者: 大橋医院

2025.10.23更新

<私の欲求不満>       大橋信昭
私は、はっきり言って、適当男だから、今の世界は窮屈でいけない。
いつの間にか、パワハラだのセクハラだの、ドクハラだのくだらないハラスメントばやりで窮屈でいけない。だいたい、子供は親も、近所も町内も総ぐるみで、小さいうちから、悪いことをしたら、たたいてもよいから叱らなくてはいけない。恐怖のどん底を味わうくらい普段から叱らなくてはいけない。そうすると心が強くなるから、
自殺など無くなる。世界一の自殺者を出していては、恥ずかしいもいいところだ。学校の先生も、生徒はしかりつけねばいけない。「そんなことしてはいけませんよ!」ではチャンチャラおかしい!
「馬鹿者!」がパワハラだって。笑えるよ!そんな言葉は日常用語さ!生徒は小学校、中学校、大学生で一回も叱られないから、社会に出たら、直ぐに退職か、転職か、閉じこもりになる‼社会不適応だ!年頃になれば男は女が好きになり、女は男が好きになる!当り前だ!ラブレターを出してドキドキしていてはいけない。はっきり好きな異性の前で「好きなんです!付き合ってください」*ぐらいヘッチャラで言わなくてはいけない。断られても、断られても猛烈にアタックしなくちゃいけない。レープなんて言われようが早く相手の唇に自分の唇を押し付けるのだ!度胸だ!何せまじめすぎる!医局総会も夏の宴会も忘年会も型どおり、窮屈だ。私が納涼の夕べの司会をしたときには、医師会の局長の原稿は全く無視して、「私が医師会で最も悪名が高い大橋です!」と啖呵を切り、宴会をくちゃくちゃにし、笑いの洪水で、市民病院の院長も医師会長も「大橋!面白いぞ!」とんでもない、無茶苦茶なくそ宴会にしてしまった。私は我慢するといことができない。社会の常識を守るために形式を大切にすることは大嫌いだ。医師会の理事も故会長が嫌いで、大垣ライオンズも似たような型ぐるしい組織でみんな辞表を出した。
大垣医師会広報も無茶苦茶な適当で笑える、叱られる文章で乗せたいのだが、局長がコチコチで無理だろう。人の足を引っ張って喜ぶのは止めよう。肩の力を抜いて、日本国憲法も社会の常識もぶち壊そうよ。楽しく楽しく、ニタニタしながら適当にいこうよ!(完)

投稿者: 大橋医院

2025.10.23更新

人は健康を失って、初めて、健康のありがたみを知るものだ。

生活習慣を大切にせねばいけない。

1)食事摂取量を適正にする。

2)野菜、きのこ、海藻など食物繊維を増やす。

3)油を使った料理(揚げ物や炒め物等)を減らす。

4)節酒

5)間食を減らす。

6)ゆっくり食べる。

7)朝食、昼食、夕食を規則ただしくとる。

8)散歩(30分以上、ほぼ毎日)

9)禁煙

10)余暇もとり睡眠の確保

投稿者: 大橋医院

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