<医師になれて幸福で、永遠に患者さんと触れ合っていたい>
大橋信昭
昭和54年医師になり、約50年が過ぎ去ろうとしている。振り返れば、なんと幸せな半世紀であったろう。新人の時は、血圧を測定するのも、聴診するのも、採血さえ怖く、医師の基本ができていなくて、上達するまでには、多くの患者さんに迷惑をかけた。やがて、仕事が楽しくなり、医学生時代に習ったこと、医学文献で学習することがマッチングするようになると、ますます楽しくなる。病棟へ行くのは、浮き浮きするのは医師として医療行為に熱中できるのも楽しいが、周りには白い衣装を羽織った天使、美しいナースがあふれており、とり囲まれているからだ。それから医学的に考えて、極めて興味深く、学界に発表、論文にすることも楽しいものだ。医学に、没頭していると、研究する意欲もわいてくる。私は、動脈硬化に興味がわき、しかも血清学的に研究する学者は多いが、脈管学的にアプローチしたかった。私の所属する医局に、尊敬する先輩いて、
インピーダンスカルジオロジーを研究しておられて、そのお手伝いをさせてもらっているうちに、私も研究するようになり夢中にもなり、やがて学会する発表することとなり、国内の大都市から田舎の観光都市まで、幅広く発表することになり、論文の数も増えた。こうなると患者さんの診察も研究も楽しい。
今度は国内だけではなくて、世界に目を向けた。世界の大都市で行われている脈管学は意外に多く、発表者を歓迎してくれた。アムステルダム、ハンブルグ、ユーゴスラビアのザダール、台北と発表は進んだ。研究内容も充実してきた。論文も増えた。ここで、最も権威のあるWorld of Congress cardiology に挑戦した。1986年、WashinntonnDCで行われており、私の論文を送ったら採用されたのである。有頂天である。すぐにUSAの準備をして、ワシントンDCで発表し、ニューヨーク、ミネアポリス、インディアナポリス、ロサンゼルス、ハワイと長旅も楽しんだ。ここで私は医学博士を
取得した。帰国後,病棟生活にも慣れ、教授への出世の憧れもあったが、やはり地元の岐阜県大垣市の在宅医療、育ててくださった大垣市民の皆様に医師としてお返しをしたいと決意した。開業は平成元年である。今は令和8年、開業医から長い歳月が経った。順風満帆ではなかったが、医師会の役員もさせていただき、医師会活動、やはり、大垣市民の皆様に僕の学んだ医療をぶつけることが主であった。在宅、施設の嘱託医、産業医にも頑張り、今日に至る。これぐらいで満足せずにさらに己を磨いて活躍するつもりである。皆さま、よろしくお願いします。(完)


