<黒澤明と三船敏郎> 大橋信昭
三船敏郎は中国大陸から引き揚げ、東宝映画のカメラマンにでもなろうと、入社した。どこが運命なのか、東宝ニューフェースとして俳優養成所に入った。極めて態度の悪い男で面接の時に、審査員から「笑ってみろ!悲しんでみろ!」と命令されたが三船は「面白くも悲しくもないのにそんな馬鹿な真似ができるか!」とお偉方を睨みつけた。あまりにも態度が悪く、解雇直前であった。しかし、審査員であった黒澤明は「面白い男だ!使ってみようじゃないか!」三船は不愉快ながらにも映画スターになった。彼は数多くの黒澤映画に出演したが、笑ったことがなく、怒鳴るか、怒り狂う役が多かった。「無駄口をたたくな!」「哀れな奴は大嫌いだ」「貴様,たたっきるぞ!」こんなセリフばかりである。しかし、彼は実は映画に取り組む姿勢は超エネルギッシュで、セリフは完全に自宅で覚えてきており、台本は現場にはなかった。彼の剣さばきは超素晴らしいものがあった。私は当時ビデオがなく、黒沢、三船のリバイバルをやる映画館を新聞で見つけると必ずどんな遠方でも見に行った。「酔いどれ天使」昭和23年で、志村喬の朝から酔っぱらっている医師がやくざで結核患者の三船との格闘映画である。翌年昭和24年、「野良犬」では新人刑事の役を三船が真夏の炎天下を白いスーツ姿で犯人(木村功)を追い詰める作品である。黒澤はどんなミスも許さなかった。一年に一本のペースで三船を世界の三船にのし上げた。「羅生門」は昭和25年に上映され、芥川龍之介の”羅生門”と”藪の中“を合作した作品であった。日本では全く受けなかったが、欧米では大好評のベネチア国際映画祭で金賞、アカデミー賞で名誉賞を受賞し、黒沢は「これからはいい加減な映画は作れなくなった!」顔色を変えた!盗賊の多襄丸を三船が演じ、黒沢は三船に「豹のように動け」と命令し、京マチ子とのキスシーン,カメラマンは有名な宮川一夫で、太陽に逆行のカメラを向けた。そしていよいよ「七人の侍」である。時は戦国、百姓を野武が襲うことを知り、百姓が侍を雇い、堂々と野武士の集団を全滅させる長編映画、痛快、丸かじりである。この作品は一年以上もかかり、フィルムも手間も製作費も膨大で、東宝は「黒澤君、本当にできるのか」と顔を青くした。黒澤はにっこり「心配するな」映画時間は207分、1954年4月26日公開、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した。最後の百姓と6人の侍(一人の侍は野武士に鉄砲”種子島”に命を落とした。)と野武士集団との決戦は雨の設定であった。黒澤の命令で薄曇りの天気を待ち、大量の水に墨汁をつけ、雨の土砂降りの猛烈な決闘シーンを再現した。三船の剣さばきは抜群であった。
結局3人の侍になり最後に志村喬が「また、負け戦であった。勝ったのは百姓だ!」のラストのセリフは印象的であった。黒澤明と三船敏郎はその後も「蜘蛛の巣城」「悪い奴ほどよく眠る」と制作し、「隠し砦の三悪人」も超ド迫力のパノラマ映画で私はびっくりした。
「用心棒」は巨大な山が最初に移り三船の背中姿がぴったり重なり、やくざで腐敗した街に命を懸けて平和な街にする話だが、ロープで縛られた酒屋の経営者を一刀両断で開放し、「この待ちもこれですっきりするぜ!あばよ!」とくるりと背中姿を見せ早々と町から出ていくところで終わりになる。「椿三十郎」も、ある藩の汚職事件に絡み、解決し、わるい大目付の懐刀と、大迫力の決闘シーンには言葉が出なかったし、強烈に驚いた。昭和38年に「天国と地獄」が公開された。運転手の子供を自分の子供と間違えて誘拐されたこのために身代金を全財産、犯人に奪われ、破産した権藤(三船)は小さな靴工場に雇われ再起を図っていた。捕まった犯人は余罪もあり、死刑が決まっていたが、刑務所の鉄で仕切られた網戸越しに討論するのであった。権藤を地獄に落とそうと計画していた犯人はすっかり立ち直った権藤氏を見て、「俺は何をしていたのだ?死刑なんか怖くない!」と網戸に狂ったようにしがみつきその映画は終わった。強烈なラストシーンであった。三船と黒澤の最後の共同作品「赤ひげ」は三船が理想的な医師像を演じており、貧乏で無知で、哀れな人たちを救っていった。長崎に留学していた保元登も赤ひげに魅惑され、小石川療養所に生涯をささげる決心をした。三船演ずる赤ひげ:新出去定は、数々の名言を残したが、私が忘れないのは、12歳の女子を売春宿から療養所に力づくで助け出し、「わからぬ!何故、こんな幼子がこんなひどい目に合わなければいけないのか?この子は体も病んでいるが心が火傷のようにただれているのだ。
保本!これはお前の最初の患者だ!しっかり治して見せろ!」と吠えるように療養所に入っていった。前半のラストシーンだが、この女の子と保本と赤ひげの格闘は涙が出る。この作品は文部省推薦作品で中学校の時に映画館で学校が見せてくれた。山本周五郎原作の名作を黒沢,三船は見事に演じきった。これで三船と黒澤監督の最後に共演作となった。思い出深い作品だ。
三船敏郎は1997年12月24日に無くなりまだ70歳であった。
黒澤明は1998年9月6日に昇天した。88歳で没した。
2026.04.08更新
黒澤明と三船敏郎 大橋医院 大垣市 大橋信昭
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