2026.03.25更新

<地獄の岐阜高校生活>   大橋信昭
私は小学校、中学校は優等生だと勘違いしていたのです。確かに中学3年生の担任の先生は「君の成績は優秀だから岐阜高校を受験しなさい」と、おっしゃってくださり受験しました。中日新聞に「真剣に試験用紙を見つめる受験生」と岐阜版に私の写真がアップで載っていました。いつ撮影されたのですか。先生は「君は一教科眠っていても合格するから!」と励ましてくれました。5教科真剣に問題を解答し学校の先生の激励通り合格しました。合格者はすぐに体育館に集められ、担任の先生と面談です。サングラスをはめた9クラスの中で一番怖そうな先生でした。「大橋君、君は大垣から岐阜市への通学からハンディーがある。掃除当番は免除、クラブ活動は禁止、一刻も自分勉強部屋に帰り猛勉強しなさい!」との命令でした。すぐに「これが春休みの宿題だ!」どっさり問題集が渡されたのです。高校受験の休憩は無く、直に猛勉強です。宿題を片づけたら入学式、9クラス460人うち女生徒は80人、男子クラスは6クラス、男女クラスは4クラス、結果的に私は3年間男子ラスで女子とは、全く疎遠でした。登校初日のことです。クラスメートのいる室を開けたのですが、もはやクラスメートは、机に向かっており、くばられた教科書の半分は手垢で真っ黒でした。例のサンラスの担任が現れるまで、静寂が流れました。先生の数学講義がすぐに始まり、「俺の講義は完璧だから、質問ゆるさん!」みっちり狼のような声で数式が並べられ、アッという間に授業は終わりです。そして山のような宿題を残していました。私は不吉な予感がよぎり、こんな3年間は地獄と考えていたら現実でした。英語は厚い英単語集が配られ、毎日テストです。山崎貞の英文例題集も教科書と一緒に配られました。社会、物理、化学、その他気を抜ける授業はありません。毎日食事と入浴、睡眠以外は、黒板と参考書とノート以外見ることは許されません。土曜、日曜、祝日、夏休み、冬休み、春休みも無限の宿題に追われ、あっという間に3年生、受験生になったのです。文化祭、修学旅行、体育祭等は、楽しそうな男女クラスに比べ、男子クラス私は記憶にありません。受験担当の先生に「医学部を受験したいです。」と言ったら、鼻で笑われ「君、医学部は60番前後でなくては、合格が無理だよ」と言われました。私の成績は200番、「君の一生の問題だよ!」「私の人生です!」と言い争いました。それから私は60番に向かって睡眠時間削減、通学時間にも英単語を覚える努力が必要でした。努力が実り,確実に成績急上昇し、担任の先生から誉められ、「大橋を見習え!」と言われましたがクラスの半分は医学部志望なのです。名古屋市立大学医学部を志望しました。定員名のところ1200人が競争相手です。受験前夜、父が「俺は無一文でここまで頑張ってきた。何故、医学部を絶対合格しますと言わないのだ!」と𠮟られ往復ビンタ、2時間の人生教訓を言われました。
昭和47年3月3日の受験日がやってきました。不合格だと父に殺されると思い、一睡もできませんでした。しかし、ご先祖様のお陰で、結果的に合格したのです。父に「合格したよ」と言いましたが「あーそうか」愛想無く誉められました。私の受験生活は終わり、まぶしい学生生活が、やがて桜の開花ともに始まりました。(完)

 

 

 

 

 

 

投稿者: 大橋医院