私は、アルコール依存症ではないが、医師会のお付き合いで、飲酒で、患者さん、事務員、ナース、家族に大変迷惑をかけた。患者さんがあんなに酒臭くて、医療ができるのかと、大垣市医市会、岐阜県庁、岐阜県医師会にクレイㇺが行った。極めて反省をした。禁酒宣言をしたが、酒を断つというのは苦しい。こんなに苦しいとは!私は20歳から24歳まで国家試験を合格し、医師とし働き始めたとき、
禁煙をした。これもつらかった。夢の中で煙草を吸い、朝、禁煙を破ったことを後悔したが夢でほっとした。1年間苦しんだ。禁酒はお菓子を食い散らし、家内の手料理も食べ、酒の入る余裕のない消化管を作り、日ごと摂取量が増えていった。あまりにもの食べ過ぎに、嘔吐が始まり、黒っぽい嘔吐であり、思わず大垣市民の救急外来を受診してしまった、これは、最大のミスであった。時間さえたてば
自然と治癒する病態であった。それが、ICUに間違えて入ることになり、検査漬け、狭い空間におしこまれ、小便も、大便の自由もスタッフの見張りが付いた。そして自由のない病室に入れられ、動いてはいけないと言われた。こんなことをしていては、私は気が狂うと思いICUからの離脱と特室への移転を申し出た。入院ということになり、ベットから離れてはいけないとナースに言われた。私はそこで激怒した。入院なら主治医の挨拶がないと怒鳴った。私が勤務医の時は、主治医になったら、患者さんには、すぐに診察に行きバイタル、話せるなら既往歴、家族歴、バイタルのチェック、触れ合いを多くとり、今後のプランを説明し、患者さんの不安を取り除くことに全力を尽くした。結果的に翌朝、主治医はいやいや現われ「私が主治医です」だけ言って、病室を出て行った。あまりの冷たい主治医に
私は退院を主張した。いろいろ婦長はじめ薬部長、お偉いさまが来たが「私は今病室を出ていきます。開業してから大橋医院は休診になったことが和えりません!”」といって物理的に料金は払い大橋医院へ戻った。ひどい扱いである。私が勤務医の頃の患者さんに対する態度と大違いである。翌日から大橋医院の外来は始まった。二度と市民病院お世話にはならない。一番大切なのは、私をしたって来る大橋医院へ来て下さる患者さんである。あの病院の言うことを聞いて、1週間もベッド上ならば、足は衰え歩けなくなる。怖いところである。入院とは危険な行為である。
外来は平常通り始まった。2日間、外来を休んだことに文句を言う患者さんがいたが、平謝りである。いつも通り、患者さん主体、心に気を配り、言葉に気を付け、優しい言葉で和やかな外来が戻った。
あの魔の病室はご免だ。診察室と聴診器と、平成元年以来、座り続けている診察質の机といすは最高だ。二度と入院はしない!これからも、家庭医として患者さんと一心同体の気持ちで命を懸けて外来診察をしていくのだ。私の死に場所はこの診察室である。ICU,入院の恐ろしさを体験していい勉強になった。また大橋医院荷来てくれる患者さんは、宝物だ。全力を尽くし診察をするのだ。禁酒成功!