Oben:奥田典明先生 大橋信昭
私が医学部を卒業したのは1979年3月31日になります。そしてすぐに母校の第3内科:循環器内科に入局したのであります。
学生時代は笑顔しか見せなかった,故教授が鬼のような顔になり、
「君はインピーダンスグループに入りなさい」といわれた。皆さんは白い巨塔は小説かとお思いでしょうが、現実はあの世界でした。私は故教授のカバン持ちになり、10年余り、イエスマンになりきりました。インピーダンスが何であるかもわからず、奥田典明先生とお仕事をさせてもらいました。教授命令によりますと、研究(インピーダンス)、臨床、後輩指導、学生教育を全部、完璧にやれとのことであります。そんなこと無理なのです。教授回診、医局会、論文抄読会、学会のカバン持ち、実にストレスの塊でうつ病になるところでした。しかし、世の中には、奥田典明先生みたいな優しく、厳しいところはチェックされ、ゴルフもご指導していただき、いかに融通の利かない故教授から、楽しい医局生活へと私をご指導してもらいました。
印象に残るのは、海外への学会でした。教授は私の横にいて、発表内容はメモをしろと言われました。空き時間はクラシックのコンサートへ誘うのであります。そこへ奥田先生が、私からはとても怖くて言えないのですが、「大橋君とゴルフに行ってきます」と、海外の一流ゴルフ場で楽しくプレイできました。ストレスはかなり減りました。しかし、教授の顔は鬼のようで「君はゴルフは出来ても医学の仕事は全然だめだな」と、海外、帰国後もいつも叱られました。しかし、いつも奥田先生がバックアップしてくださり、助かりました。World Congress of Cardiologyが、1986年ワシントンDCで発表となった時は、教授はいなかったのです。奥田先生、故山田先生と私と、ニューヨークへ電車で出かけました。あの大ビルディングの群れをぼ~と見ていると、ピストルで撃たれるぞと学界場ではある日本人の医師から注意されましたが、無理ですよね!あの大都会の景色は!奥田先生のおかげでインピーダンスカルディオグラフィーの創始者、ミネアポリスに住むクビチェック先生とお逢いすることができました。感激です。インディナポリス、ロサンゼルス、ハワイと先生のおかげで旅ができました。ハワイではゴルフやり放題でひどく日焼けして帰国し、教授にお逢いしたのですが「君はえらい日焼けしているな!学会はどうだったのか?」と例の怖い顔をされましたが奥田先生のうまい答弁で難を逃れました。国内の学会でも、教授のお休みになってから、奥田先生と夜の最前線を楽しめました。一度、教授が「奥田君を呼びなさい」と私に厳命され、「今日は大島病院へアルバイトされております」といったのですが、奥田先生は大島病院にはいなくて、三好カントリーでゴルフをお楽しみ中でした。教授にばれ、すぐに奥田君を呼びなさいと言われ、鬼とかした教授とゴルフを中断した奥田先生が鉢合わせとなりました。上手に段取りできずにすみませんでした。
私も要領よく学位をもらったら、勇気をもって教授室に入り、これをもって開業しますと教授に言ったのです。顔色が真っ青の教授は院内放送で医局長の中野先生を呼び出していました。平成元年に開業して今日も元気に外来を楽しんでいます。開院式には奥田先生も来ていただきありがとうございます。奥田先生もやがて開業されご発展の一途と伺っています。私がピンチの時にはいつも奥田先生が助けてくださり、先生の人徳深さにはいつも感心しておりました。
先生のプレイボーイには最初からかなわないとあきらめていました。
名古屋の医師会でもご活躍だそうでご健闘を祈ります。僕も命ある限り医寮を天職として頑張ります。またお会いしましょう!(完)」