大橋院長の為になるブログ

2019.07.26更新

『箱根八里』(はこねはちり)は、作詞:鳥居忱、作曲:瀧 廉太郎(滝 廉太郎)による日本の唱歌・歌曲。

1901年(明治34年)発行の「中学唱歌」に掲載された。

 

箱根の山は 天下の嶮(けん)
函谷關(かんこくかん)も ものならず
萬丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)へ 後方(しりえ)に支ふ
雲は山を巡り 霧は谷を閉ざす
昼猶闇(ひるなほくら)き 杉の並木
羊腸の小徑は 苔滑らか
一夫關に當るや(あたるや) 萬夫も開くなし
天下に旅する 剛氣の武士(もののふ)
大刀(だいとう)腰に 足駄(あしだ)がけ
八里の岩根(いわね) 踏みならす
かくこそありしか 往時の武士

大橋さん

投稿者: 大橋医院

2019.07.25更新

「人生賛歌」

森繁久彌作詞

山本直純作曲

森繁久弥唱

どこかで微笑む人もあり、

どこかで泣いてる人もある

あーあーあの屋根の下、あーあー窓の下、

いろんな人が生きている

どんなに時代が変わろうと、どんなに世界が変わろうと

人の心は変わらない

喜びに悲しみ、今日も人は生きている

だけどだけどこれだけはいえるおおはし

人生とはいいものだ。

あーあ―人生とはいいものだ

 

投稿者: 大橋医院

2019.07.25更新

おおはし「銀座の雀」
作詞:野上彰
作曲:仁木他喜雄
歌:森繁久彌

たとえどんな人間だって
心の故郷があるのさ
俺にはそれがこの街なのさ
春になったたら細い柳の葉がでる
夏には雀がその枝でつぶやく
雀だって唄うのさ
悲しい都会の森の中で
調子ははづれの唄だけど
雀の唄はおいらの唄さ

銀座の夜 銀座の朝 真夜中だって知っている
隅から隅まで知っている
おいらは銀座の雀なのさ
夏になったら啼きながら 忘れ物でもしたように
銀座八丁とびまわる それでおいらは楽しむのさ

すてばちになるには 余りにあかるすぎる
この街の夜に この街の朝にも 赤いネオンの灯さえ
明日の望みにまたたくのさ
昨日別れても今日は今日なのさ
惚れて好かれてさようなら 僕には何も残らない

春から夏 夏から秋 木枯らしだって知っている
みぞれの辛さも知っている おいらは銀座の雀なのさ
赤いネオンによい乍ら 明日の命に生きるのさ
これでおいらはうれしいのさ

 

 

投稿者: 大橋医院

2019.07.24更新

カチューシャの唄
歌詞(キリル文字)・日本語訳
Расцветали яблони и груши,
Поплыли туманы над рекой;
Выходила на берег Катюша,
На высокий берег, на крутой.
咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩み行く
霧のかかる険しく高い河岸に
Выходила, песню заводила
Про степного, сизого орла,
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.
カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙
Ой, ты песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед,
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.
おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠い国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ
Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поёт,
Пусть он землю бережёт родную,
А любовь Катюша сбережёт.
彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜きおおはし

投稿者: 大橋医院

2019.07.23更新

「城ケ島の雨」
作詞:北原白秋
作曲:梁田貞

雨はふるふる、城ケ島の磯に
利久鼠の雨がふる
雨は真珠か、夜明けの霧か
それともわたしの忍び泣き

舟はゆくゆく、 通り矢のはなを
濡れて帆上げた ぬしの舟

えーえー舟は櫓でやる
櫓は歌でやる 歌は船頭さんの心意気
雨はふるふる 日はうす曇る

舟はゆくゆく 帆がかすむおおはし

投稿者: 大橋医院

2019.07.22更新

人を恋うる唄
与謝野鉄幹:作詞

妻をめとらば才たけて
みめ美わしく情ある
友をえらばば書を読みて
六分の侠気四分の熱

恋の命をたずぬれば
名を惜むかな男ゆえ
友のなさけをたずぬれば
義のあるところ火をも踏む

汲めや美酒うたひめに
乙女の知らぬ意気地あり
簿記の筆とる若者に
まことの男君を見る

あゝわれコレッジの奇才なく
バイロンハイネの熱なきも
石を抱きて野にうたう
芭蕉のさびをよろこばず

人やわらわん業平が
小野の山ざと雪をわけ
夢かと泣きて歯がみせし
むかしを慕うむら心

 

今夜も森繁久彌の小早川の秋と社長えんま帖を楽しみます。おおはし

投稿者: 大橋医院

2019.07.20更新

LDL-コレステロールは低く、低くコントロール
      大橋信昭
LDL-コレステロールは、140以下なら安心と思っている方に
最近のガイドラインは、低く、低くコントロールする様に勧告しています。特にリスクファクター(糖尿病、慢性腎臓病、非心原性脳梗塞、末梢性血管疾患、)、この4つの方は、LDL-コレステロールは100以下、70以下、30までと果てしなく下げた方がよいのです。生活習慣(運動、食事)の是正、内服薬、ストロングスタチン製剤を早めに使うべきです。LDL-コレステロールは100以下が目標です。大変なことですが、LDL-コレステロールを100以下にする薬は当院にあります。よいQOLを保って長生きしましょう。おおはし

投稿者: 大橋医院

2019.07.18更新

海峡:高倉健と森重久彌が共演しています。樹木希林も加わったトーク番組もあるんですね。大橋

投稿者: 大橋医院

2019.07.17更新

ラジオでは1957年から「日曜名作座)(NHK)から始まり、

一度聞くと、森繁久彌の芸達者には引き付けられる。

一人で何役も肥やし、加藤道子ト名コンビ、音楽が古関裕而を担当している。

損の役者根性、脚本を大切にしていたこと、夫婦善哉では情けない森繁に腹を立つが

その次から始まる「駅前旅館」(駅前シリーズ))(社長シリーズ)はかなり作品が多い。

しかし、インターネットでそのDVDを購入したが、当時の役者は素晴らしい。

淡島千景、伴順三郎、小林桂樹、三木のりへい、加藤大介、司葉子、、、、霧がない

一度、聞いてみてください。森繁久彌にほれ込みます。・おおおはし

投稿者: 大橋医院

2019.07.13更新

oohasi「文科系か理科系か」  
       大橋医院    大橋信昭

 よく医師同業者から、「君は文科系か?理科系ではないね。」とよく言われる。
殆どの医師仲間は、「私は、理科系だから随筆など書けるはずがない」とつっぱり帰される。
 正直いって、そんなに人間を理科系か文科系かに分けねばいけないのなら、私は文科系である。
 小学校の頃から図書館通い、親と町のショッピング街に出かける時は、最後には、必ず本屋に立ち寄り、文芸書をねだったものである。
私の読書熱は加速化し、小学校高学年になると、親に内緒で貸本屋に立ち寄り、週に何冊かランドセルの中に隠して読み漁っていたのである。当然、学校の勉強時間は縮小化し、通知表にも下降した成績表として反映したのである。
激怒した母親は、私の隠している本をわしづかみにし、私を貸本屋へ強制連行し、経営者の仲良くなったおばさんに、「この子に、本は今後、貸さないでください!」と本を投げ返し、読書禁止令が出たのである。
 私は、読書をやめるふりを数か月はした。ようは勉強もしっかりして、成績が上位にあれば、母親も安心なのである。
 中学になると、読書熱は冷めずに、夏目漱石の「坊ちゃん」「吾輩は猫である」「草枕」(この“草枕”は、最初の3ページが難解で、夏目漱石が30歳にして世間の矛盾を書いたものであるが、未だに愛読しており、65歳にしても意味が分からず診察室においてある。一生この3ページは私には解らないであろう。)
芥川龍之介は全作品を読破し、彼が新原龍之介で養子として芥川家にもらわれたこと、母親が幼少時、発狂し座敷格子の中で閉じ込められ、早くなくなり、その病体が彼の頭に焼き付き、いつか芥川は、母親の様に発狂するかもしれないと、心の奥にいつも渦巻いていた。古典を現代風にアレンジした「蜘蛛の糸」は、大ヒットし、夏目の門下生になっていたが、彼から大変褒められたらしい。その後も「鼻」「杜子春」、「羅生門」、などを書いていたが、徐々に精神状態が悪化し、「歯車」「ある阿呆の一生」などは完全に、精神病におびえた毎日が続き、また作品が猛烈に多く書きすぎ体を消耗した。周囲から少し休養を進められたが、ある当時の文芸評論家により“机上の文学”に過ぎぬと批判され、ある日、睡眠薬で自殺した。志賀直哉の「暗夜行路」には私はすっかり主人公と気持ちが一緒になりうつ病となった。ラスコリーニコフが金貸しやの老婆を斧で殴り殺すシーンから始まるドストエフスキーの「罪と罰」は、私の精神状態を痛めつけた。「カラマゾフノ兄弟」はやたらと長く、ギリシャ正教が理解していないと分からない本だが目を通した。ドストエフスキーもてんかん基質で、一時政治問題で死刑を宣告され、それが革命により恩赦された。几帳面すぎて、書斎の家具から本、ペンの位置の変化にも敏感であり、しかし、博打で多大な借金を背負い国外に逃げていた時もあった。ふつうの人ではない。
成績だけは中学に入っても上位5番以内に常にいて、記憶力が一番良かったのか先生の話は全て頭に入り、適当に参考書を読み、全国の有名進学校の入試問題を、解いていれば成績は下がらなかった。読書量は加速的に増大した。
 岐阜高校に進学し、医学部に入りたいと言ったら、担任の先生から君の成績では無理だと3年間言われていたが、不思議に昭和48年医学部に合格した。
 読書は加速した。松本清張の虜になりよく徹夜して読んだ。これは医師に成って、妻のお産が近くになり、つわりで苦しんでいるときも、松本清張を読んでいた。私が医師に成り父は心筋梗塞になった。偶然、父の傍に居たので、救急搬送で、大垣市民病院に助けて頂いたが、父の介護と松本清張の本の乱読とは並行した。「お前は何をしに俺の傍に居るのだ!」心筋梗塞が落ち着かない、怒らしてはいけない父の血圧を上げてしまった。
 医師に成り、研修を終え、論文も教授の満足量を満たしたとき、国立浜松病院へ島流しとなった。私はこの時、「項羽と劉邦」という司馬遼太郎の本に無中となった。これから歴史小説が好きになり、司馬遼太郎の本は「三国志」「竜馬が行く」「跳ぶがごとく」「歳月」「坂の上の雲」など、全作品を読み、彼が死んでからも、講演集の原稿も探して歩いた。それから藤沢周平、吉川英治、山岡荘八、、、、、今も乱読は続いている。
 私は理科系か文科系か、私の学位論文がインピーダンスに関するものだったので、その時は工学部の教授とよくお話しを聞きに行った。彼らは、数式を黒板に書いて、物理の議論をするのに驚いてしまった。「医学博士」という名前が欲しくて、インピーダンスを無理やり研究したが、苦痛以外何物でもなかった。しかし、医学博士は頂いた。そのお礼奉公が国立浜松病院への赴任であった。
おかげで、歴史小説はしっかり乱読できた。
 いまだに、医師仲間は、「私は理科系で、」といわれるが、医学ほど理科系科目の中でも、文科系に近いものはないと思う。私は文科系の医師でよいから、患者さんお話を良く聞き、その人の生活、人生、家族関係を良く聞き、丁寧に診察を続けていきたい。
 私は文科系の医師である。(完)

 

投稿者: 大橋医院

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