2021.06.25更新

ハム:父の日に恩返しに、ハムをプレゼントしました。すると、父は大変怒りました。

「父に歯向かうきか?」おおはし

投稿者: 大橋医院

2021.06.25更新

国会議員はカラオケの時に、唄がなかなか決まらないんです。

だって選挙区(選曲)がたいせつですもの!おおはし

 

投稿者: 大橋医院

2021.06.24更新

お通さん:

僕はお通さんを忘れない!おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.11.17更新

日本の女性は美しい:

67歳を超した老医師が、最近、つくづく思う。しかし、悲しいことに、その美しさを鑑賞するに留まるをえない!

西洋人にない、ブロンドにない、白人、他の東洋人、黒人にない美しさが日本の女性にはある。

いつの間にか、私の若いころより、若い日本の女性は、背も高く、スタイルもよい。しかし、40歳代、50歳代、60歳代に女性、老婆にも日本のおおはし美しさがある。

私は、職業柄、よく日本の女性を、ごく接近して観察するが、美しい。いや男としてではない、助平心ではない。美しい。

10年前に、職業柄、看護師に恋をしたが、遠くから、苦しい想いをしただけである。日本の女性は、オリンピックで言うならば金メダルである。

しかし、遠くから鑑賞するのが私には許される。故意に肌に触れてはいけない、わざと吐く息を嗅いではいけない。絵心をもって、美しさに苦しむのが良い。

投稿者: 大橋医院

2020.11.16更新

先週は疲労困憊、今週は不死鳥のごとく蘇る:

先週は、過密スケジュールであった。インフルエンザの予防接種患者さんが、午前、午後、多勢来院し、一般患者も診断し、検診も多くあった。

昼は、グループホーム回診、居宅回診、1っ歳半検診、中学校と高校生の心電図読影、緊急外来患者が、夜間に、早朝に、私を苦しめた。

慢性疲労であった。日曜日は幸い、本当の休養であった。昼間も居眠り、夜は9時から朝5時半まで、昏々と眠った。

もう元気だ。早速、朝、柔軟体操とレジスタンス運動をして、朝飯を一杯食べて、もう午前7時には仕事をしている。

今週も頑張るぞ!診療に、医学の勉強に、医師として全力を出すぞ!もう私には医師として働く、医道一直線しかないのだ!おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.10.19更新

短歌:

1)大島へ 久しぶりに 渡航しても 目指す火口は 霧の無情砂漠

2)ステイホーム 内科問題を 答えれば 解くは 心臓問題 他臓器に苦しむ

3)医師なのに 若い人妻に 恋すれば 認知症だと 世間はさげすむだろう

4)独り書斎で 愛読書を 眺めれば 戦の血が沸き 殺人推理に非しむ

5)休日に 小椋佳の音 聞き入れば 青春の絵が 涙が頬に

6)苦労しか かけない妻 何度も遭うが 眼を合わせれず

7)窓の外 冬雲忍ぶ 我無心 重ねる歳 過ぎ去る日

8)美女と すれ違う 貧しき日、若き頃の恋 苦しい切ない

9)冬空に 暗い下宿に 灯りつく 毛布をかぶり パンで飢え忍

10)医学道 これしかないと 講義メモ 眺めながらに 論文で喝!おおはし

 

 

投稿者: 大橋医院

2020.10.14更新

また逢う日まで:

また逢う日まで、新型コロナが心配ならば、大橋医院は、

すぐにでも、PCRをやってくれるよ!

そんなに並ばなくて、行列が嫌なら、大橋医院へ行こう!

すぐにPCR!陰性か?陽性か?はっきりするさ!おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.10.12更新

医師の宿命:医師として;なぜ医師になったか?
医学生のころ、研修医のころ、研究に没頭してた頃、開業して苦労して今日、新型コロナは皆さんに迷惑かけないように診察する、シュバイツアーに負けない!美女には弱い!おおはし

投稿者: 大橋医院

2020.10.10更新

伊豆大島断層:今日、ブラタモリで、伊豆大島の断層の不思議というか驚きというか、唖然としました。ドイツ語で”sprachlos"(スプラッハロス)、来週、10月17日は噴火口まで行きます。来週の、ブラタモリもお見逃しなく!何しろ、”地質断層前”というバス停があるし、バウムクーヘンのようなんです。ご覧になった方は分かりますね。しかし、タモリの博学には驚きました。少し大島のネット情報と写真を載せます。

伊豆大島の山頂には広い陥没カルデラがあります。この陥没カルデラは5世紀、7世紀の爆発的噴火によって生じたと考えられています。カルデラ形成後、 1777年までおよそ10回の大噴火があったことが地質調査から明らかにされています。これらの大噴火では島の内外に大量のスコリアや火山灰が堆積したほか、規模の大きい溶岩流が流れ下っています。現在の山頂部を形成する三原山は主に1777年の噴火(安永噴火)で形成されたと考えられています。1777年噴火以降、三原山火口からストロンボリ式と呼ばれる赤い溶岩を吹き上げる噴火を繰り返し、その噴火は「御神火」と呼ばれ島の人々に崇められてきました。最近の比較的大きな噴火は1986年(昭和61年)に発生しました。

1986年噴火は、三原山火口からのストロンボリ式噴火で始まり、溶融した溶岩を高く吹き上げる溶岩噴泉とよばれる噴火が数日間続きました。三原山火口を満たした溶岩は火口縁からあふれ出し、三原山の山腹を流れ下ってカルデラ床に広がりました。その後いったん噴火は小康状態になりましたが、突然カルデラ床から激しい割れ目噴火が始まりました。割れ目火口は次第にカルデラの外にまで拡大し、割れ目火口から流れ出した溶岩流の一部は山麓の元町集落に迫りました。そのため、全島民が一時島外に避難することになりました。その後現在まで比較的静穏な状態が続いています。

地元の人は、火山が噴火をおめでたいというし、噴火近くまで行って、灰皿まで作るし、七五三の日に噴火があったと、遊び道具と言うか、楽しんでらっやる。考えられんですな?おおはし

 

投稿者: 大橋医院

2020.10.10更新

青木昆陽:今、NHKのさつま芋の番組を鑑賞していたら、すぐに青木昆陽の名が浮かんだ。有名でしょうが、最近、「いしやきーーーいも」という動く焼き芋屋さんなんてなくなりましたね。私は、最近、食べていませんし、あまり食べたくもありません。青木昆陽のネット情報と、サツマイモの写真を載せます。

サツマイモの普及
江戸幕府8代将軍・徳川吉宗は、飢饉の際の救荒作物として西日本では知られていた甘藷(現在のサツマイモ)の栽培を青木昆陽に命じ、小石川薬園(小石川植物園)と下総国千葉郡馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)と上総国山辺郡不動堂村(現在の千葉県山武郡九十九里町)とで試作させている。この結果、享保の大飢饉以降、関東地方や離島においてサツマイモの栽培が普及し、天明の大飢饉では多くの人々の命を救ったと評される。享保20年(1735年)『蕃薯考』(ばんしょこう)を発表した。

元文元年(1736年)には薩摩芋御用掛を拝命し、身分が幕臣となった。

昆陽の薩摩芋試作が関東における普及の直接の理由なのかどうか、佐藤信淵の指摘(後述「佐藤信淵による批判」章を参照)に見られるように疑問視する説もある。だが、昆陽が同時代に既に薩摩芋を代名詞とする名声を得ていたことは事実である。後世“甘藷先生”と称され、墓所の瀧泉寺(目黒不動)には「甘藷先生之墓」がある。また、甘藷の試作が行われた幕張では昆陽神社が建てられ、昆陽は芋神さまとして祀られている。九十九里町には「関東地方甘藷栽培発祥の地」の碑が建てられている。

日本の飢餓時代、つい私の子供のころは、お世話になりました。お通じが良すぎて、おならが出ますので、いいイメージを持っていませんが、サツマイモが無かったら、大変でした。今、世界では人気商品らしいですね。おおはし

投稿者: 大橋医院

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