2014.05.12更新

"柔肌の熱き血潮に触れもせず"の通り、
60歳を過ぎて61歳の誕生日が目前となった。
この調子でいくと、"柔肌の熱き血潮の振れもせず"
白骨化してしまうかもしれない。
Anti-Agingのためにプロペシアを2か月服用した。
三面鏡で、小生の後頭部はバーコード状態である。
ロングブレスダイエットをやっても、腹囲はビールの多飲のせいか増大し、
体重は変わらない。もうすぐ孫が生まれる。
おじいさんだもな。"柔肌の熱き血潮"はあきらめて、残された人生を
医学にかけよう。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くしましょう。

投稿者: 大橋医院

2014.05.07更新

人間は足から弱る。脚力低下で転倒、骨折、寝たきり、退行変性
こういったケースは嫌というほど診ている。
私は60歳だが7月31日には61歳である。
Anti Aging だ!
5月4日、10年前愛用した大島サイクリングコースから池田町へ
抜けようとしたら、谷に転落、幸いに、嘱託医をしている特養の憧れの
ナースがいたから消毒してもらった。不幸中の幸いである。
5月5日、1万歩ウォーキング、5月6日、遂に池田までサイクリングで
往復、脚力復帰、またロングブレスダイエット開始、
いつまでも医師として頑張るのだ。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2014.05.04更新

最近、日本人の書いた主として科学論文の、正当性が疑われている。
ノーベル賞をもらった人や、XXXX細胞はあると信じていますと泣いた女性の学者もいた。

私が医学論文を書いていた頃は、1979年から1986年の時代である。
バブル絶頂期で、世にお金はあふれんほど流通し、料亭、パーティーの連続であった。
そういう時代は各会社は新薬つくりに猛烈な競争をしていた。

私は医学博士を欲しいと思った。世の医者、殆どがそう思っていたのではないか?
世界に出した英語の論文二つと日本で通用した日本論文一つさえあれば、医学博士だ。
英語の論文の自信がある方を主論文、あとは副論文になる。
この論文が博士論文になるかは教授の胸一つである。上記の10年以上、かばん持ちである。
「あーそうです。」「はい、分かりました」「おかばんをお持ちしましょう」「お風呂が入りました。」

さて、私の論文である。教授は私に大動脈閉鎖不全(AR)の重症度を「インピーダンスプレティスモグラフィー」
で判別しろという命令であった。ARの患者を探さねばいけない。他の医学部まで行って調査した。
論文は順調であった。ARの重症度は見ただけで分かるのに、何もインピーダンスでややこしくしなくてもよかった。
当時の私の愚痴である。論文は1年余りで完成し、"Asian Pasific Congress of Cardiology"という学会で発表となった。
当時私は30歳そこそこであり、チャイナドレスのまぶしいこと、故宮博物館でも、展示物には何の興味もなく、
もっぱら案内状をデートに誘うチャンスを狙っていた。無事発表も終わり、論文印刷も終った。すると教授は言った。
「君、あれでは少し症例が足りなかったようだ。あれは副論文にして"Kubicek法"を改善して、胸郭から動脈成分のみ
抽出し、Al誘導を開発したまえ!」目の前が真っ暗になった。胸郭には肺もあり食道もあり、複雑になっているのだが、
ニュートンやガリレオじゃあるまいし、そんなことができるであろうか?あの時は私一人では、百年かかりそうで、IBMの技術者に
手伝ってもらった。明けても暮れても誘導開発である。ウサギの実験で、何とかA誘導ができた。
あとは人体で応用である。医局長に頼み込み、心臓カテーテルのときに、A誘導と電磁血流派による血流測定の同時測定、
あとは核医学による動脈血流とA誘導の動脈抽出派との関係、そして、臨床応用、幾年かはかかったが、形あるものができつつあった。教授も君の論文はほぼできていると言ってくれた。幸いにもワシントンDCで"World of Congress Cardiology"に
発表してくれと手紙が来た。これは極めて一流学会であり、そこでの発表は教授も、医学博士をUSAから帰ったら君のものだと
いった。無事発表を終え、論文化した私は来週の学位で医学博士が決まることになった。教授のかばん持ち10年のたまものであると思った。そんなときに、相関係数がいい表に、一つミスがあることが分かった。これを取り除くと、いびつなグラフになるのだ。
医学博士論文が、無事教授会で決定しても気味の悪いものであった。あの時、教授は知っていたか?ヒッチコックのミステリーである。1987年の出来事で時効である。日本の研究者よ、これからは世界のマスコミの風当たりがつらくなるから慎重になされてください。、、、、"もう学位はもらったんだもの"、、、、、、、(完)   


岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。 

投稿者: 大橋医院

2014.05.02更新

このゴールデンウィークの青空のもと、太陽を見ながら飲む、バーボンは
特別うまいものだ。オールドパーでも、ジョニ黒でも、レミーマルタンでもよい、
ベランダで紫外線を浴びながら、一杯飲むとなんと幸せだ。
次は長編の随筆に挑戦しようかなと、頭の中にストーリーがいくつか浮かぶ。
いい気持ちだ。携帯なんか切っちゃおうか?いけない、あの老婆も、あの老父も
虫の息だ。それがわかっていながら、罪深いっ酒は悪い子になったみたいでスリルがある。
わが医院は大垣城と肩を並べている。石田光成が大垣城に籠城作戦を続行していれば、
杭瀬川の戦いも勝ったし、軍勢の数は石田に有利であった。彼には人望がなかった。
家康は大垣城を無視して京都へ向かおうとした。焦った光成は大垣城から飛出し、関ヶ原で野戦となる。
家康は有利になり小早川光成の裏切りもあり、戦は半日で勝利者なった。
ベランダでアルコールを体に回しながら、下天の愚かさを感じながら、哀れな人間の歴史を考えるのである。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

2014.05.01更新

連休が続行すると、瀕死の患者さんが増えてくるのは、毎年だ。
月が欠けて来たり夜明けや早朝、国民がバカンスに出かける時、
患者さんの容態は悪くなる。家族が「先生、どこにも行きませんね!」と脅迫する。
これでは国民が最もリラックスしているときに、我々医師は最悪の忙しい時期を迎えることになる。
海外旅行や、海へ泳ぎに行ったり、登山は許されない。救急車が間にあわないからだ。
待機が医師の仕事である。携帯の鳴るのを待って、自宅待機である。
ケーブルテレビの映画を見たり、時には酒を一杯引っかけるしかない。
ちょうど2-3杯引っかけて、顔が真っ赤になった時、携帯が鳴る。
マスクをして、酒のにおいを最大限消して病室に行く。
患者さんはもう数分で仏である。くさい酒の匂いが病室に満喫しない様に息を止めている。
やがて、お迎えが来る。「ご臨終です」と言って、ナース室に戻り、死亡診断書を書く。
帰りのタクシーの運転手とは対外政治の話になる。あの総理はダメだ、OO党は馬鹿だ、
二人とも夜明けの仕事で焼けである。こうして、朝日は登る。

岐阜県大垣市の大橋医院は、高血圧症、糖尿病、や動脈硬化症に全力を尽くします。

投稿者: 大橋医院

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