大橋院長の為になるブログ

2024.01.17更新

昭和48年4月に名古屋市立大学医学部に入学した私は、早速、下宿を探すことになった。

最初の下宿は、家賃4500円、トタン張り、3畳一間、共同便所、風呂は銭湯、3畳に万年床、机一つと本棚,本棚には医学所がいっぱい

しかし、夏は3畳半の中は、サウナ同然、扇風機を強にして顔に吹っ掛ける、虫は博物館のごとく、蚊、蛾、ゴキブリ、気持ち悪い虫がわたしにまとわりついた。

殺虫剤にはキンチョールを、ふりかけまくった。冬は雪が隙間から入り込み、こたつに潜りこみ、凍死寸前であった。1年暮らして、とても我慢できず、友達のリアカーを借りて、樋越も手伝だってもらい、6錠一間の下宿に引っ越した.家賃は1万円、大家さんの娘さんが美人なので、すんなり入り込んだ。しかも、驚いたことに私の部屋の隣に引っ越してきたのである。美人が隣に寝ていると思うと

動悸がして眠れなかったが、前より住んでいる4学年先輩が、夜ばいに侵入しようとしていた。怒った美女はバットを、防御用に持っており、夜ばいした先輩はころげながら逃げ回った。私は大学2年生であるが、6年生の先輩が、下宿の美女を目指して、夜ばいの成功をねらっていた。しかし、彼女のガードは固く、バットでたたかれながら逃げ惑った。

やがて時間はたち、春も着て、下宿の美女はお嫁さんになり、超危険な下宿からいなくなった。色気がなくなると、酒好きの先輩、毎日、麻雀に明け暮れる先輩、私が勉強すると邪魔をし「お前みたいな後輩が勉強など止めて、一杯飲め」と酒攻めで困った。こんな悪い環境の下宿を続けていると、とても医学の勉強はできないので、6年生になっておふくろに頼み込んだ。「今度の医師国家試験は、絶対合格するから、すこし落ち着いて勉強に専念できる、広い下宿に住ましてくれ!」すると母親は、驚いたことに、5階建てのマンションの4LDKに、破格の家賃を許可し国家試験の勉強に専念した。その私のマンションの前に、ファッション専門学校があり、多くの美女が出入りし、お祭りの日は【特別な日は)、一流モデルがヌードになって着替えするのが良く見えた。同級生は皆、望遠鏡をもって、美女の着替えとヌードを楽しんだ。これでは、医学の勉強が後退していく。しかし、何とか医師国家試験は合格し、父も母も喜んでくれた。70歳になり大橋医院の診察室で遠き50年を思い起こすのである。

 

投稿者: 大橋医院

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