大橋院長の為になるブログ

2022.08.23更新

ヒトではレチノイン酸シグナル伝達経路の主要な遺伝子、CBLN2(セレブリン2)の抑制領域が欠損しているためCBLN2発現量が増加し、一つ一つの神経細胞の発達が良くなった結果、知能が向上したという内容の論文を紹介しました(第8回 精神病の遺伝子は何をもたらすのか)。今回は、マウスにもチンパンジーにもなく、現生人類などのヒト属のみに存在するARHGAP11B(Rho GTPase activating protein 11B)遺伝子と神経発達に関する報告を紹介します。

論文の概要
 マックス・プランク研究所のHuttnerの研究室は、研究テーマに「大脳新皮質の進化的拡大、特に胎生期に生成される皮質の神経細胞数の増加の根底にある、分子および細胞のメカニズムの解明」を掲げています。Huttnerらが、ヒト属にのみ存在するARHGAP11B遺伝子によって神経前駆細胞が増加することを示したのが、今回紹介する2015年のScience誌に発表された報告です。

 Huttnerらは、「ヒトの知能が高いのは、大脳新皮質が進化的に拡大しているからであり、拡大の機序として、ヒトでは神経前駆細胞数が増加しているのではないか。また、その増加の機序として、マウスなど他の種には見られない、ヒトの神経前駆細胞に特異的に発現する遺伝子が存在するのではないか」という仮説を立て、検証しました。

 まず、発達期のヒト大脳新皮質に存在する神経前駆細胞に特異的な遺伝子を特定するため、胎児のヒト神経前駆細胞にはあるが胎児のヒト神経細胞にはなく、マウスにも存在しない遺伝子をスクリーニングしたところ、ARHGAP11B遺伝子を発見しました。次に、ARHGAP11Bを胎生期のマウスの大脳新皮質に導入し、過剰発現させると、神経前駆細胞数の増加を認め、上述の仮説通りの遺伝子が実際に存在することを示しました。

 このARHGAP11Bに関する一連の研究には、同じマックス・プランク研究所で進化人類学を専門とし、ネアンデルタール人の全ゲノム解析1)を実施したPääboも参加しています。Pääboらによる解析で、「チンパンジー亜族とヒト亜族は約600万年前に分岐したが、その後の約500万年前にARHGAP11BはARHGAP11Aから遺伝子重複により生じたこと」、さらに「その後ARHGAP11BにC(シトシン)からG(グアニン)への1塩基置換が起こった結果、スプライス領域に変化が生じ、55塩基が欠失し、本来ARHGAP11Aが持っていたRho GTPaseに対する作用を失い、新たな別の機能を持つ遺伝子へ変化したこと」が示されています2)。

 Huttnerらはさらに解析を続け、ARHGAP11Bがミトコンドリアに局在し、TCAサイクル(クエン酸回路)に影響を及ぼしてエネルギー代謝を上げることが、神経前駆細胞数の増加の機序であることを見出しています3)。また、ARHGAP11Bを遺伝子導入したコモンマーモセットを作製し、倫理的配慮から出生させず、胎生101日目で胎児を取り出して野生型と比べ、大脳新皮質の体積の増大と神経前駆細胞数の増加が見られたことを報告しています4)。

私の視点
 一連の研究に主要な役割を果たした難波氏によれば、他の種よりもヒト大脳新皮質の神経細胞数が増加した機序には「神経前駆細胞数の増加」と「神経細胞を産生する期間の延長」という2つの要因が考えられるとしています5)。ARHGAP11Bの一連の研究は、神経前駆細胞数の増加の機序を説明するものですが、神経細胞を産生する期間が長くなる機序とは、どのようなものなのでしょうか。

 現在は活動を終了してしまった京都大学霊長類研究所で、実際にチンパンジーを飼育して知能の研究をされていた松沢哲郎氏の講演によれば、チンパンジーの子どもとヒトの子どもでは3歳まではできることに本質的な差はないが、チンパンジーは3歳までに脳の成長が止まって成獣になるのに対して、ヒトの子どもは3歳以降も脳が成長し続ける。その結果、チンパンジーとヒトでは3歳以後、できることに差がつくようになる――つまり、ヒトの知能がチンパンジーより高いのは、脳が成長し続ける期間の差によるということのようです。

 本連載でも、ヒトでは20歳時点の知能が高いほど、皮質厚が最大となる年齢が遅れることを解説しました(「第9回 賢い脳の作り方」参照)。確かに、脳が成長する期間の長さは、最終的に高い知能をもたらすことに寄与する可能性が考えられます。

投稿者: 大橋医院

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