大橋院長の為になるブログ

2022.06.14更新

SGLT2阻害薬と心不全
SGLT2阻害薬のリード化合物となったフロリジンは、
1835年にフランスの化学者によってリンゴの樹皮から
分離された。SGLT2は近位尿細管の最も近位に分布し、
尿糖の90%を再吸収するが、残りはその下流にある
SGLT1によって再吸収される。SGLT1は小腸にも発現し
ており、その阻害は下痢を引き起こす。フロリジンは
SGLT1をも阻害してしまうことから、SGLT2への選択性
を高めて糖尿病治療薬として開発されたのが現在の
SGLT2阻害薬である。この新しい治療薬の出現により、
糖尿病患者の血糖コントロールは非常に容易になった。
しかも、SGLT2阻害薬の導入によってHbA1c低下作用の
みならず、体重や尿酸値の低下、腎機能や貧血の改善な
ど、多くの有益な効果が期待出来る。さらに、心不全を
呈する患者では、BNP低下作用が顕著である。実際、
SGLT2阻害薬による心血管・腎機能の予後改善効果を示
した大規模臨床研究が次々と発表され続けている1-4)。
その皮切りはEMPA-REG Outcome試験であるが、この
試験では動脈硬化性疾患をもともと持っている患者の集
団で、二次予防の対象となる患者が多かった。しかし、
これに続くCANVAS ProgramやDECLARE-TIMI58、CREDENCE
試験では、動脈硬化性疾患の合併は約半分程度であり、一
次予防の効果も確認された。さらにDAPA-HF試験は、左
室駆出率が低下したHFrEF患者にダパグリフロジンを投
与して心不全の悪化と死亡が抑制されるかどうかを見た
試験であるが、心不全抑制効果が顕著であるのみならず、
糖尿病の合併の有無に関係なく有効性を示した5)。また,
糖尿病の有無を問わず、eGFRの低下を遅延させること
も示された。その後も、SGLT2阻害薬の心房細動発症抑
制効果など興味深い報告が続いている6)。
SGLT2阻害薬のエリスロポエチン産生促進作用
このようにSGLT2阻害薬の使用は、明らかに心腎機能
を改善させることが判明し、SGLT2阻害薬共通の有益な
効果と考えられている。こうした SGLT2阻害薬の有効
性を発揮する機序として様々な説が提唱されているが、
浸透圧利尿効果や Na利尿効果、代謝改善効果などの他、
興味深い報告がある。2019年秋、エンパグリフロジン
がエリスロポエチン血中濃度を上昇させ、赤血球造血を
高めることが報告された 7)。エリスロポエチンは、低酸
素環境下で低酸素誘導因子(Hypoxia Inducible Factor:
HIF)の活性化によって腎臓の皮質と髄質の境界部の近
位尿細管周囲の間質にある REP(Renal Epo Producing)
細胞で産生される赤血球造血因子である8)。では、エン
パグリフロジンが通常酸素環境下でエリスロポエチンの
産生を高めた機序は何なのであろうか。最近、Vermaら
は尿細管でのSGLT2による糖再吸収は、Na-Kポンプに
よる過剰なATP消費と活性酸素産生による酸化ストレス
を生み出し、その結果として尿細管近傍にあるREP細胞
の機能低下を招くとしている9)。一方、SGLT2阻害薬は
1
eLetter 2020年冬号
過剰なATP消費を抑制することで尿細管周囲の酸化スト
レスを減らし、REP細胞の機能を回復させるとしている。
実際、SGLT2阻害薬によるヘマトクリット値の増加は、
糖尿病患者の腎臓における尿細管間質機能の回復による
ことも既に報告されている10)。
SGLT2阻害薬とHIF-PH阻害薬
糖尿病治療薬として開発されたSGLT2阻害薬がエリ
スロポエチン産生を高めることを、その開発前に誰が
想像したであろうか?HIF遺伝子のクローニングを行っ
たグレッグ・セメンザらが 2019年のノーベル賞を受賞
したことは記憶に新しいが、心不全を始めとする心血
管疾患の発症において HIFは非常に重要な役割を果たし
ている11)。HIFは細胞や組織への酸素供給が不足すると
誘導されてくる転写因子であり、その下流の多くの遺伝
子の転写を亢進させる。HIFによって発現制御を受ける
遺伝子として初めて同定されたのがエリスロポエチンで
あり、次に血管内皮増殖因子(VEGF)が続いた。長年、
腎性貧血の治療には遺伝子組み替え型のエリスロポエチ
ンが使用されてきたが、最近、内服可能なHIF-PH阻害
薬の上市が注目されている。SGLT2阻害薬とHIF-PH阻
害薬の作用機序は全く異なるにも関わらず、エリスロポ
エチン産生を高め、腎性貧血を改善させる点は興味深い。
では、HIF-PH阻害薬による貧血改善効果は、心血管疾
患患者の予後にどう影響するであろうか?新たなエビデ
ンスの蓄積が待たれるところである。
SGLT2阻害薬と長寿遺伝子サーチュイン
SGLT2阻害薬による貧血改善効果は、心不全患者に
とって酸素運搬能向上を始めとする様々な有益な効果が
期待される。しかし、貧血改善だけではSGLT2阻害薬に
よる心不全患者の予後改善効果を十分には説明できな
い。実際、2000年代に入って、組換型エリスロポエチ
ン製剤や鉄剤投与による心不全患者の予後について様々
な研究が行われたが、SGLT2阻害薬のような明確な有効
性は得られなかった。では、SGLT2阻害薬による心不全
予後改善の主因はどこにあるのであろうか?SGLT2阻害
薬は糖を尿に排泄することによって、糖尿病を治療する
薬である。一方で、インスリンを始め、かつての糖尿病
治療薬には、心不全患者の予後を改善させる効果はな
かった。SGLT2阻害薬とそうした古典的な治療薬の大き
な違いは何であろうか?それは、糖を体の外へ排泄させ
るか否かである。つまり、SGLT2阻害薬は糖を尿に排泄
することによって、結果的にカロリー摂取制限を行った
のと同じ効果を得ている可能性がある。10年ほど前、
30%のカロリー制限を受けたアカゲザルの老化が抑え
られ寿命が延びるとの報告が話題を集めた12)。その原因
遺伝子として注目されたのが、サーチュイン(SIRT)遺伝
子である。SIRT遺伝子は心機能の維持に重要なミトコン
ドリアの機能維持に重要である13)。興味深いことに、
SGLT2阻害薬が SIRT遺伝子を活性化し、断食時に引き
起こされる遺伝子群の発現を高める可能性が示唆されて
いる14)。もし、SGLT2阻害薬による心不全予後の改善が、
間接的なカロリー制限効果によるものであるならば、そ
の多岐にわたる有益な効果のメカニズムも理解しやすく
なる15)。
SGLT2阻害薬とミトコンドリア機能
ミトコンドリア機能異常は、心不全のみならず様々な
心血管疾患の発症の基盤にある。我々は肺動脈性肺高血
圧症患者の肺動脈血管平滑筋細胞(PAH細胞)が癌類似の
増殖性を示す機序にも、HIF-1αの過剰な活性化とミト
コンドリア機能異常が基盤にあることを報告した16-19)。
実際、肺高血圧症患者由来のPAH細胞は、通常酸素下に
おいてもHIF-1αが活性化していることが分かった。ま
た、PAH細胞の増殖抑制作用を指標に行った創薬スク
リーニングによって、セラストロールという天然化合物
を発見した 19)。セラストロールは、SIRT1活性化によっ
てミトコンドリア機能を改善し、代謝改善作用や体重減
少効果を有することが報告されている20),21)。また、こ
のセラストロールは肺高血圧の治療効果を有すると同時
に、横行大動脈縮窄による心肥大モデルや肺動脈縮窄に
よる右心不全モデルでの心不全改善効果を示した19),22)。
このように、SGLT2阻害薬によって影響を受ける分子群
は、心臓のみならず血管機能維持にとっても重要である
ことが分かってきた。SGLT2阻害薬が心不全のみならず、
各種の血管疾患の治療や予防にも有益である可能性があ
り、そのエビデンスの蓄積が期待される。
おわりに
飽食の時代を生きる現代人は、健康な人であっても、
常に過剰摂取カロリーという環境ストレスに曝されてい
る。それは、飢餓との闘いを何百万年以上も続け、それ
に対応するための遺伝子群を発達させてきた人類にとっ
2
日本心不全学会
て、進化の過程で遭遇したことの無い特殊なストレス環
境と考えられる。本稿では、SGLT2阻害薬の心不全予後
改善効果について、様々な角度から考察してきたが、低
酸素や酸化ストレス、炎症、ミトコンドリア機能など、
いずれも心血管系の恒常性維持にとって重要な生体内シ
ステムへの有益な効果によるものと説明できそうであ
る。今後、心血管イベント発症後の治療の時代から、予
防の時代へと移ろうとしている。適切な食事や運動の習
慣が大前提であるが、残念ながら、それが守れないのも
現代人。今後、SGLT2阻害薬の有効性のエビデンスがど
こまで広がっていくかに期待したい。

投稿者: 大橋医院

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