大橋院長の為になるブログ

2022.06.29更新

1853年7月8日、浦賀沖、ペリーが黒船で来航、聞いたこともない大砲の乱射で、開国を迫った。200年も平和な徳川幕府は右往左往、勤王佐幕か鬼畜米欧露か意見は真二つ。関が原の敗戦国、薩、長,土、肥、は連合し、江戸へ江戸へと迫った。えらい!最後の将軍:徳川慶喜は勝ち戦の、鳥羽、伏見の戦いを放棄、江戸へ脱走した。勢いを得た薩,長、土、肥(以下官軍)は江戸城を無血開城で平和に取得、仏、英、独、米、露が日本の植民地を狙っていた。猛スピードで北海道の松前藩まで官軍は占領した。明治新政府の誕生である。しかし、伊能忠敬の血のしたたる日本国の地図完成は貢献した。江戸に遷都、東京、新政府を作り、明治が始まったが、反乱は多く起きた。中でも、征韓論を唱える、西郷隆盛と大久保利光の争いは、西南の役まで至った。江藤新平の佐賀の乱、などを最後に、ちょんまげ禁止、抜刀例に侍は良く従った。外圧がひどかった。不平等条約を列強から押し付けられ、苦い思いをした日本人は、富国強兵、世界の一等国を目指しる清国と戦争、勝利、あのロシアと戦争、ロシア革命で混乱しているところを旅順陥落、バルチック艦隊撃破、ここで高橋是清がトルーマンに講和を懇願した。日露戦争は終結。運のいいことに第一次世界大戦は勝利者側に回り、世界は日本を認めた。ここまでは良かったが、軍人が政権を握るものではない。大正末から敗戦の1945年8月15日にいたるまで日本軍のファシスト政策は重症で、沖縄をはじめに全国を米軍に焼け野原にされ、無条件降伏した。戦争裁判を受け、一気に米国の管理下の元、民主主義の国になる。昭和27年、サンフランシスコ講和条約で独立、1964年東京オリンピック、高度経済成長は加速度を増し、高速道路に新幹線、一戸建住居の普及、電化製品の普及、学問の重視、経済は米国に追いつきそうになり迫害を受けた。この先、平成、令和ト続行するが、ここで筆をおく。(完)

投稿者: 大橋医院

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