大橋院長の為になるブログ

2022.05.20更新

<教授対研修医> 大橋信昭
昭和54年4月に、私は母校の循環器内科教室に、入局した。
同年の研修医は5名、学生時代は笑顔しか見せなかった、教授の顔は、眉間にしわを立て、鬼面となっていた。特に、研修医5名には、社会人、職業、医師とはという基本的な説教から始まった。「君たちは、印鑑というものを理解してもらわねばならぬ。その印鑑の社会的重要性、君たちの看護師、検査技師、Co-medicalに対する指示には責任が重い、充分な医学の研鑽の上に立った、発言でなければいけない。患者には、その人の社会環境、生い立ち、性格、あらゆる情報を取得し、慎重な発言をせねばならない。君たちは医師としては、一年生だ!この大学病院の外来、病棟には勉強することが山ほどある。命がけで頑張れ!」と、凍り付く私達のもとを去っていった。
 教授が居なくなると私達5名は、「教授の言うこともわかるが、適当にやろうよ。体がもたないよ。」と、外来へ、病棟へ分散した。私たちのことを“Freshmen”といい、一人では何もできないから、4-5年の経験者が指導してくださり、この先輩を“Oben”といった。一から十まで臨床を指導してくださり、厳しすぎる教授の愚痴も聞いてくださり、夜は食事にも連れてってくださった。
 教授といえば、怖いのが教授回診である。毎週一回あり、教授先頭に、逆三角形の形で、病棟を行進する。入院している患者、一人一人チェックし、Freshmenの私達が、病名、病状を説明し、検査項目、検査値、今後の治療方針を説明せねばいけない。教授の冷たい注意が耳に届く。「この病名は、どういう理由で考えたか?こんな検査では正しい病気も見逃してしまうぞ!今後は,Obenとよく話し合い反省点はないか、検討するのだ!」教授回診の前日から、腹痛が起こるし、回診中は全力投球で説明する。教授の注意はやがて激怒に変わり、「後で医局会でも十分検討する!」患者さんが、「先生、大変ですね!頑張ってください」終わると医局会までは3日あり、それまではホッとする。
 ある日、とんでもない事件が起きた。私たちの仲間のカルテが、一週間、何も書いてなかったのである。それを回診中に見つけた教授は、顔が真っ白になり、手は震え、大声で
「医局長!廊下へ出なさい!」とその音響は病棟全体に響いた。「このFreshを今日中に,教授室に連れてきたまえ!」
私達の5名のFreshに一人欠席している輩がいるのに気が付き、回診終了後、彼を捜した。なんと地下室の喫茶店で、のんびりコーヒーを飲んでいる。私は言った。「君、このまま,教授室に行くととんでもないことになるから、ひとまず帰れ!時が過ぎれば、解結してくれることもある。」真っ青になった同僚は肩を落とし、病院から、その日は姿をくらました。
 私たちFreshmenも教授の言うことを素直に聞いてばかりではいない。いかにさぼるか、愚痴るか、ずるがしこくなっていくのだ。教授は、Freshは最後まで、病棟に残り、患者を観察しろ!とはいうものの、見張りを立て、教授の車が姿を消すと、全員医局に集まり、教授の悪口言い放題である。私は先頭に立って、白版に黒いマジックで、“教授の馬鹿野郎”と書いた。胸がスーッとした。これを連夜続けていくと、医局に突然、教授が忘れ物を取りに現れることがある。君は何をしているのだ?教授の鋭い視線に白版の”教授の馬鹿”が半分も消せない。昼は昼で、病棟より離れた食堂で、教授の悪口言い放題をしていると、背中をたたく輩がいるので振り向くと教授であった。
 皆さんは、こんな毎日では、針の山の生活みたいだろうと思われるであろうが、少しずつ先輩方のご協力も得て、結果的には楽しい医局生活になるのである。私たちFreshmenも一年で大いに成長するのです。教授の怒りの逃げ道は多くあることに気が付くのです。今から40年も前の楽しい青春時代の一齣であります。(完)

 

 

投稿者: 大橋医院

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