大橋院長の為になるブログ

2021.11.01更新

<恋は禁物>大橋医院 大橋信昭

 医師になってはじめて、病棟の患者さんの主治医になったときのことは忘れがたいものがある。その患者さんは30歳前後の人妻であり、八千草薫の若いころのような人だった。心臓弁膜症である。詳しくは僧帽弁閉鎖不全である。24歳の私にとって、これは試練なのである。まず、医師であること、男の感情を捨てること、相手を女性として意識してはいけないのである。しかも、私は心臓の専門医を目指しているのだ。心音はしっかり聞かなくてはいけない。弁膜症なのだ。心臓の音に全神経を集中しなくてはいけない。弁膜症なのだ。心臓の音に全神経を集中しなくてはいけない。そのそばにある、美しい乳房と乳首は意識してはいけないのだ。

 教授の質問は怖いし、鋭い。「どんな心雑音であったか?検査はしっかりしたのか?何を赤い顔をしているのだ!」分かっているし、そんなことは百も承知だ。それがどうも冷静になれないのだ。カルテには所見を書かねばならない。どんな心雑音か?理学的所見、今後の検査計画、治療方針など、やることは一杯なのだ。

 勇気をもって、カルテと聴診器をぶらさげ、彼女のところへ行く。問診だ。病歴聴取、いつから、どんなだったか、最近の調子はどうか、とろけるような解答だ。いよいよ心雑音を聞く。心音に集中するのだ!それにしても綺麗な人だ、甘酸っぱいにおいがする、馬鹿!俺は医者だぞ!何を考えているのだ?次に心電図を記録する。胸部誘導は第4肋間胸骨右と左にV1,V2,左乳頭直下にV4,V4とV2の間にV3,乳頭の左にV5,V6が続く。心電図に集中だ。乳頭はどうでもよい。心臓超音波検査だ。ビームを彼女の左乳房に置く。画像に集中だ!まだまだ検査がある。心音図だ。やたらと彼女をヌードにせざるをえない。当たり前だ。医師として仕事をしているのだ。

 心臓カテーテルの検査がやってきた。彼女は泣きそうに怖いと私の耳元で囁いた。甘い息が私の耳をくすぐった。馬鹿!カテーテル検査は命がけなのだ。まだわたしは新米なので、彼女の全身状態を見る係であった。オールヌードにさせられ、股動脈や大伏在静脈を穿刺され、カテーテルは彼女の心臓の中を躍っていた。最後に造影剤が勢いよく左心室に流された。彼女は苦痛のあまり、私の手を握った.柔らかい手であった。いけない、心臓カテーテルの検査を頭にたたきいれるのだ!

 無事病室に帰され、私は穿刺された彼女の左股の出血が内科、よく確認せねばならなかった。治療方針も決まり、彼女の退院日が近くなった。妙に寂しくなった。しかし、弁膜症は治ったわけではない。外来でお逢いできるだろう。

 退院の日、彼女は綺麗に着飾り、まぶしかった。いけない、相手は病人だぞ、私は医者だ。その後、外来で意識的によくお逢いするようにした。

 転勤の日が決まった。いよいよ引っ越しだ。名護屋を去る日、彼女は誰もいない外来に、一人立っていた。

「どうしたんですか」「転勤されるそうですね」「はい」「お世話になりました。向こうでも頑張ってください」と頭を下げた。真っ赤な顔でろくに挨拶が出来なかった。医師に恋は禁物だ。

 

投稿者: 大橋医院

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