真実の愛に満ちた行為は意識されない(ニーチェの言葉):
誰か他人に親切にしたあとは、快感を味わうことが出来るものだ。親切な行為や善行そのものが快感であるというわけでなく、
その行為のあとに自分が少しだけ聖人とか清い者とかに近づいた気分をあじわうことができるからだ。
しかし、普段の生活の中でわたしたちが友人や知人に親しくする場合には、それも善行などとは意識してはいけない。
まったく自然に良いことをしているし、そして、その行為によって自分が清いものになったような気がするからだ。
けれども、こちらの行為のほうが、親切を意識した行為よりもはるかに真実の愛と心に満ち、上位にあるものだ。