大橋院長の為になるブログ

2021.01.07更新

<医師は医学以外にも、寄り道学問も許されるべき> 大橋信昭
医師は医学雑誌のみ、読まなくてはいけないということはない。多少の雑学はお許し願いたい。
 私は年末、光について興味を持った。光はなんとアリストテレスにさかのぼる。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは色は光と闇のはざま、つまり白と黒の間に生じると考えました。アリストテレスは白色光が媒質を通ることによって暗くなり、その過程で、白と黒の間に、黄、赤、紫、緑、青が生じると考えました。これをアリストテレスの変改説または変容説、変化説といいます。
アリストテレスは視覚と色を論じるにあたり、まず視覚の対象は物体の色の表面にある色であると定義し、どのように色が生じるのかについて考察しています。そして、この考察の中で、アリストテレスが議論の中心として取りあげているのが透明なものです。なぜ視覚と色の説明に透明なものを取りあげたのでしょうか。

 私たちが物体を見るとき、眼と物体の間には必ず透明なものがあります。アリストテレスの言う透明のものとは空気や水などのことですから、これは私たちの日常体験からも理解できるでしょう。そして、当時の四元素説において、空気と水は、火や土と並んで万物を構成する元素ですから、特別な働きがあると考えられていました。

 アリストテレスは、色は物体の表面に存在し、その色が透明なものに作用すると説明しています。そして、透明なものは眼と物体の間に絶え間なく存在しているので、色が透明なものに与えた作用は視覚器官に作用すると説明しています。アリストテレスは、透明なものは、色を伝える媒質であると考えたのです。さらに、透明なものは見ることができるが、それ自体が見えるわけではなく、その先にある色によって見えると説明しています。そして、この透明なものの状態から光について言及しています。

 アリストテレスは、透明なものが明るい状態にあるとき、それが光であると述べています。また、透明なものは潜在的に明るい状態になる能力をもち、光でない状態のときには、あたりは闇であると述べています。そして、透明なものが明るい状態のときには、火などの光源が存在すると述べています。また、透明なものが明るい状態というのは、透明なものの色のようなものであるが、光そのものは、火でもなく、物体でもなく、物体から出てくるものではない、光そのものが見えているのではなく、見えているのはあくまでも物体の表面の色であると述べています。

 アリストテレスの視覚と色の理論における光とは、色を発現させるものと考えることができるでしょう。光そのものは眼に見えませんが、透明なものに明るさをもたらすことによって、色が見えるようになり、そして光の存在を感知することができます。

 これは、私たちの日常の体験からそうかけ離れた説明ではありません。光が存在していなけれは色は見ることができませんし、光がまったくなくなれば漆黒の暗闇になります。

 アリストテレスは光と闇を対局的な存在と考え、透明なものの状態によって、色が生じると考え、明るい白から暗闇の黒へ、白、黄、赤、紫、緑、青、黒の順に色が変化すると結論づけたのです。


 このアリストテレスの色彩論は、今でこそ誤りであることは明白ですが、ニュートンが白色光をプリズムでさまざまな色の光に分解することができ、さらに分解した光を集めると元の白色光に戻ることを証明する実験を行うまで支持されていました。

 ニュートンは1704年に著した【Opticks 和名:光学』のPART II. PROP. I. Theor. I. において次のように述べ、アリストテレスの変改説を否定しています。私は、光が白と黒からという説が誤りであることにかなり時間がかかったことに驚きです。
「万有引力の法則」で有名なイギリスの科学者アイザック・ニュートン(1643〜1727年)も、光について研究していました。1664年、ペストという病気が大流行して、ニュートンがいたケンブリッジ大学は一時閉鎖されることになりました。
そこでニュートンは「プリズム」を実家に持って帰り、プリズムに光をあてる実験を行うことにしました。プリズムとは、ガラスなどからできた透明な三角柱で光を屈折させたり分散させたりするものです。すでに一世紀頃には使われていました。
彼は、実家の窓の扉に小さな穴をあけて、太陽の光を暗い部屋に入れ、プリズムに当てました。すると、白い色をしていた太陽の光は、虹のように赤色から紫色の七つの色に分かれてプリズムから出てきました。
これらの色をレンズとプリズムを使って集めると、ふたたび白い色に戻ります。こうしてニュートンは、「太陽の白い色の光は、すべての色の光が混ざったもの」であること、そして「色によって屈折する角度がちがう」ことを、確かめました。ニュートンは生まれる3か月前に父親が病死、生後3か月で、母親が家出をします。どうして育ったか,ぐれもせずに、リンゴから万有引力、長いこと否定されなかったアリストテレスの光を変えました。
ゲーテの色彩論は、約二十年の歳月をかけて執筆された大著であり、ゲーテはこの著作が後世においてどのように評価されるかにヨーロッパの未来がかかっていると感じていた。そこまでゲーテが危機感を抱いていた相手とは、近代科学の機械論的世界観である。色彩論においてはニュートンがその代表者として敵対視されている。ニュートンの光学では、光は屈折率の違いによって七つの色光に分解され、これらの色光が人間の感覚中枢の中で色彩として感覚されるとしている。ゲーテは、色彩が屈折率という数量的な性質に還元されて理解されることが不満だった。
ゲーテの色彩論がニュートンの光学と根本的に異なる点として、色の生成に光と闇を持ち出しているということがある。ニュートンの光学はあくまで光を研究する。闇とは単なる光の欠如であり、研究の対象になることもない。だがゲーテにとって闇は、光と共に色彩現象の両極をになう重要な要素である。もしもこの世界に光だけしかなかったら、色彩は成立しないという。もちろん闇だけでも成立しない。光と闇の中間にあって、この両極が作用し合う「くもり」の中で色彩は成立するとゲーテは論述している。
ゲーテはこの光に対して、かなりの著作と時間を費やしていますが、「ファウスト」や「若きヴェルテルのなやみ」のように、もっと文芸作品を書くべきだったと批判する人も多いです。
ここにアインシュタインが登場します。彼は,光を絶対的速度といい、どの物質も光を追い越すことはできない、光時計の面白い実験があります。ここに光を応用して時肝と空間のひずみが出てきます。特殊性相対理論と一般性相対理論があり、二つで相対性理論と言いますが、E=mc²でウラニウムから核兵器が作成され、日本が犠牲国になります。これは二度と広島、長崎のようなことがあってはいけません。
 古代史に話が飛びますが、歴史というのは、時の権力者により常に書き換えられており、源平合戦、から戦国時代、幕末、昭和初期など面白いですが何が正しいかわかりません。古代は特に謎だらけです。文字が入ってきたのが後漢の時代ですから、それまで倭国と中国の文献に書いてあるだけ、壬申の乱以降、日本という国名が定まります。聖徳太子不在論から、大和王国はどこにあったか、縄文時代、弥生時代の線引きはできない、縄文人と弥生人は顔の相やDNAも違っているなど、深みにはまると大変です。ここらで、医学の勉強に戻ります。ちょっと学問の寄り道はつらいです。

 

投稿者: 大橋医院

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