2020.10.10更新

青木昆陽:今、NHKのさつま芋の番組を鑑賞していたら、すぐに青木昆陽の名が浮かんだ。有名でしょうが、最近、「いしやきーーーいも」という動く焼き芋屋さんなんてなくなりましたね。私は、最近、食べていませんし、あまり食べたくもありません。青木昆陽のネット情報と、サツマイモの写真を載せます。

サツマイモの普及
江戸幕府8代将軍・徳川吉宗は、飢饉の際の救荒作物として西日本では知られていた甘藷(現在のサツマイモ)の栽培を青木昆陽に命じ、小石川薬園(小石川植物園)と下総国千葉郡馬加村(現在の千葉市花見川区幕張)と上総国山辺郡不動堂村(現在の千葉県山武郡九十九里町)とで試作させている。この結果、享保の大飢饉以降、関東地方や離島においてサツマイモの栽培が普及し、天明の大飢饉では多くの人々の命を救ったと評される。享保20年(1735年)『蕃薯考』(ばんしょこう)を発表した。

元文元年(1736年)には薩摩芋御用掛を拝命し、身分が幕臣となった。

昆陽の薩摩芋試作が関東における普及の直接の理由なのかどうか、佐藤信淵の指摘(後述「佐藤信淵による批判」章を参照)に見られるように疑問視する説もある。だが、昆陽が同時代に既に薩摩芋を代名詞とする名声を得ていたことは事実である。後世“甘藷先生”と称され、墓所の瀧泉寺(目黒不動)には「甘藷先生之墓」がある。また、甘藷の試作が行われた幕張では昆陽神社が建てられ、昆陽は芋神さまとして祀られている。九十九里町には「関東地方甘藷栽培発祥の地」の碑が建てられている。

日本の飢餓時代、つい私の子供のころは、お世話になりました。お通じが良すぎて、おならが出ますので、いいイメージを持っていませんが、サツマイモが無かったら、大変でした。今、世界では人気商品らしいですね。おおはし

投稿者: 大橋医院