2020.08.26更新

マスメディアの責任:言論統制
戦前の日本では1909年(明治42年)5月6日に公布された新聞紙法によって新聞は検閲の対象となっており、軍や政府は記事差止命令や写真の不掲載といった措置を取ることができた。

(昭和12年)からの日中戦争の勃発とそれに続く1938年(昭和13年)の国家総動員法の制定はそれを決定づけることになった。この点は当時唯一の放送機関であった日本放送協会においても変わるところはなかった。

戦争の長期化:

主力空母4隻とその艦載機を失ったミッドウエーの大敗を転機として、軍令部は参謀本部や東條英機総理兼陸相に対してさえ大敗の事実を隠蔽するようになっていった[1]。 言論統制の結果もあるが、日本のラジオ・新聞などは大本営の発表を検証しないままに過大な偏向報道をし、国民の多くは国際情勢ならびに戦況の実態を知らされず、戦争が長期化する大きな要因となった。

戦争を推奨した新聞社の公募歌の一部(標語は朝日新聞が神風賦とした天声人語(戦時版)にて多用し国民を扇動した)
肉弾三勇士の歌(朝日新聞)
アッツ島血戦勇士顕彰国民歌(朝日新聞)
みんな兵士だ弾丸だ(毎日新聞)
爆弾三勇士の歌(毎日新聞)
大東亜決戦の歌(毎日新聞)
空襲なんぞ恐るべき(毎日新聞)
その他
満州国独立支持共同宣言(読売新聞ほか全国132社) 新聞は戦争を美化せよ!―戦時国家情報機構史

軍国美談(ぐんこくびだん)は、大日本帝国で広く知らされたエピソードで、日清戦争、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争における軍人、兵士、銃後の人々が題材となっている。新聞報道[1]や軍人の手記などから生まれ、それを元にした流行歌(軍国歌謡)、映画、伝記・小説から歌舞伎、浪曲、講談、落語なども作られることがあり、学校教科書(国定教科書)などの教材として使われることも多かった。呼び名としては、戦時美談、愛国美談、戦時佳話なども使われた。中でも英雄的に殉職した軍人は軍神とも呼ばれた。

 

投稿者: 大橋医院