2020.06.12更新

おおはし「イコール」  大橋信昭

 私は、中学の数学の問題を見て考えた。いわゆる代数学で認められた規則なのだろうが、x=2と仮定すると、問題文の最初に書いてあった。「=」という文字は等号とも呼び、「イコール」がポピュラーな呼び方であり、「イコール」の左右が等価であることを示す数式である。ここで屁理屈を言うと、“x”と“2”はあくまでも同じでないことである。数学という学問で決められた約束である。“2”は算用数字であり“x”はアルファベットである。これが世界の共通語と決めて、学問の世界でも、英語論文しか評価されないが、AからZまで26文字であり、小文字もあるが、たった26の記号で、乳幼児の読む「赤ずきんちゃん」から、世界のノーベル賞も取った論文も26文字で表現できるのである。その点、日本人は不便であり、ひらがな、カタカナ、漢字に至っては、無限で数えられない。この複雑な文字を使って、毎日、いや、時代により変化しているが、使いこなしている。広辞苑を開き、文字をじっと考えることもあるが、現代はインターネットであろう。言葉は、日々、いや秒単位で、今も東京の新宿で若者が新しい日本語を作ったかもしれず、定着するかもしれない。この複雑な思考を要する“x”と“2”が同じと考えろという数学の問題は暴力的である。暴力では学問になじめないので、
“=”という記号を持ち出す。
 学校の数学の問題は、時として諦めなければならない体験にあふれている。
ある教科書には(a)=(b)と仮定すると書いてある。間違っても(a)と(b)は“=”にしようという約束事である。屁理屈ばかり考えていると、義務教育さえ終了しないし、教員、友人、両親が心配して、精神科の医師に相談するかもしれない。数学は面白い学問であって、問題を数学者が一方的に作成し、解答せねばならない。その解答する過程の思考こそ数学であって、この私の解答は数学者の解答と“=”であってもうれしくもない。一時代過ぎ去れば、間違っているかもしれない。数学的に問題を考察している時ほど、快適な時間はないのであって、答が文部科学省の解答と“=”でなくても、楽しませてくれるのである。私事で恐縮だが、医学部の入試問題で、数学は我が母校は900点満点中、300点も欲張っており、5問しか出題しないから、一問60点もするものだから、数学が300点取れる能力を試す入試問題であった。もちろん、理科や英語、国語も、問題に入っているが、同じレベルの問題処理能力を訓練されてきた、受験生たちばかりだから、数学で博打問題でも,作らねば入学者を決められないのであろう。私は、5問中、4問まで解答できたが、問題出題者と考えが一致したが、どうも不一致しない問題が一問、残ってしまった。恥ずかしながら大学から与えられたメモ用紙が真っ黒になるくらい思考を繰り返し、この大学の生徒になれるのは、この問題をすぐに解答に数学のルールに逆らわず、正しい数学的思考から出題者の考えと“=”になるかである。私は普段、屁理屈ばかり考えているので、出題者の解答と“=”になったのは数学問題終了時間数分前であった。今の母校の生徒になれることを確信したのである。“=”には一苦労も二苦労もつきものである。

 

投稿者: 大橋医院

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