2019.12.09更新

<渋野日向子解釈―大橋信昭式 内科医>
渋野日向子は、21年前に、国体も出たことのある投擲の選手のお父さん、がっちりして二枚目、お母さんは陸上選手で今は華奢だがご結婚のころは、かわいかったに違いない。熱愛の末、渋野日向子は3人娘の次女賭して生まれた。アスリートとしてはサラブレットである。7歳からゴルフをはじめ、ソフトボールもAceで4番、ピッチャー、右投げの左打、ゴルフが右打ちだから筋肉が変位しないようにお母さんお配慮である。運動神経は抜群で、ソフトボールも男子チームでプレイし、腕相撲で彼女にかなわない男子のみであった。中学に入り高校に入り、ゴルフの素質はメキメキ才能を発揮し、岡山県、全国にその名は轟いた。
彼女は高校3年生になり、プロゴルファーでやっていけるか悩んでいた時に、高校の監督が、「君がプロにならなければ誰が成るんだ!」と檄が入った。しかし、非常にもプロテストは不合格であった。彼女は泣きまくった。お母さんが「あんたはお世辞にも美人とは言えないのだからいつも笑っていなさい。貴方は笑顔が一番素敵なのですよ。」次の年までの彼女の苦悩は、私は知らない。なんでも青木翔コーチに、クラブの握り方、構、基本を徹底的に習った。素直な彼女は実力がメキメキ向上した。中でもアプローチはサンドウェッジ、ピッチングウェッジが何本も使えなくなるまで反復委練習した。Patto is money!であることは明らかで、彼女は、9個のボールを、30cm、60cm、90cm、120cm、200cm、、、、、9メーターと9つのボールを円形状にグリーンのカップの周りに置き、9個全部入るまで、3時間も4時間も練習した。とっくに日が暮れていた。これらの継続は力なりの練習が実り、次の年のプロテストは合格した。無名の彼女が、メージャーのプロ競技の覇者になるのに時間はかからなかった。今までの努力が実ったのだろう。そして間もまなく、2勝目を挙げた。ここで全英オープン行きが決まった。彼女は当然喜んだが、有償など考えておらず、まだ見ぬイギリスへの旅行、練習に行くつもりであった。しかし、勝利の女神が彼女にくっついたのか、世界の強豪選手におじけないで、堂々とプレイし、予選は軽く突破し、3戦目では彼女を含めて誰が優勝するか、わからない混戦であった。
最終日、彼女は最初のホールで4パットをやった。これで彼女は優勝は番外かとおもったら、それからがバーディーの猛ダッシュであった。特に後半のぎりぎりでワンオンするミドルホールをワンオンし、楽にバーディーを取った。世界中は、無名の日本人選手に驚いた。緊張感は全くなく、Tv撮影に笑いかけ、お菓子や、おにぎりを遠慮なしに食べていた。18番の最終ホールのグリーン待ちも笑いながら、お菓子を食べていた。お菓子の商品名が「たらたらしてんじぇねーよ」十いうものであった。18番の入れれば優勝というパットも笑顔で下りのラインをガツンと入れた。解説者もアナウンサーも信じられない、女子ゴルフ会長も、世界中が驚いた。41年ぶりの全英オープン優勝である!彼女は昨年、プロテストを憂かったばかりだ。競技場は驚きと割れんばかりの拍手と、やがてみんなが感動した。彼女の偉いのは,たまらない笑顔とファンサービス、特に子供には、握手とサインは惜しみなくやっていた。マスコミンの群がる取材も嫌がらずに、淡々と飾らずに答えていた。全く自分を飾らずに21歳の女の子そのものであった。日本へ帰国したら、想像を絶する大歓迎、スピーチの山、表彰の山、しかし,彼女は早く岡山へ帰り、お父さんと話をしたいし、まずお母さんが作るご飯をたべたかった。子供のころ通った練習場、駄菓子屋さんのおばあさんに逢えるのが楽しみであった。しかし、人気のプロ選手、まだまだ試合は残っていた。
全英の覇者のプレッシャーからかなり苦しんだが、一か月後国試合3勝目を挙げた。こんどは賞金女王とオリンピック出場のプレッシャーがが彼女をくるしめたが、屈辱の予選落ちの次の週に、超驚き、優勝した。最期の試合は、賞金女王はどう計算しても無理であったが、最終戦を2位で終えた。恐るべき選手である。ゴルフは苦しいスポーツで、特に最終戦の15番ホールから18番の最後のカップインまで油断はできないが、渋野日向子は、ここで恐ろしい力を発揮する。女性らしいし、本当に世界を幸せにするえがおであるし、末永く活躍する選手であってほしい。もう何年も渋子、渋子、で盛り上がってもらいたい。大垣で診療所を開いている私だが、こんなに一アスリートに夢中になったのは初めてである。(完)おおはし

投稿者: 大橋医院

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